フライシャー・スタジオとは、1921年から1942年まで存在したアニメーション制作を主とするアメリカの企業。世界のアニメーション史に大きな影響を与えた。
1921年、マックス・フライシャーとデイブ・フライシャーのフライシャー兄弟により設立。マックス・フライシャーは1916年に実際の人間の動きをアニメーションに書き起こす「ロトスコープ」の技術を発明、1919年に「インク壺の外へ」で初めて商業化している。
1930年代から1940年代にかけて、当時一世を風靡していたディズニースタジオの好敵手として活躍、ポパイ、ベティ・ブープなどの人気キャラクターを生み出した。またアメリカンコミックの人気作品「スーパーマン」を初めてアニメ化した。1941年の「バッタ君町に行く」は傑作として知られるが、公開当時は太平洋戦争開戦の混乱もあり興行的には失敗した。その後財政面の悪化により1942年にパラマウント映画に買収され、その後はフェイマス・スタジオとして受け継がれた。
手塚治虫、宮崎駿、高畑勲など日本のアニメーション作家にも多大な影響を与えており、「天空の城ラピュタ」のロボット兵はスーパーマンに登場するロボットがモデルだといわれる。
なお「海底二万哩」、「トラ・トラ・トラ」などで有名な映画監督リチャード・フライシャーはマックスの息子である。
掲示板
3 ななしのよっしん
2018/12/22(土) 14:13:11 ID: sMAGmS8Wtr
世界大恐慌下の米国で失業青年たちは職も失く金も無いので、
映画館に入り浸り、当時、日活ロマンポルノなどは無いので、
チャップリンとかキートンのドタバタ喜劇・スプラスティックコメディ
か、フラッシャー兄弟のベティブープとかの、デズニーとは
一味違う、アニメーション・漫画映画を観ていた。
ハリウッド映画は市民の夢や希望、願望の象徴であり、ホー
ムドラマなどは、家庭すら持てない青年たちにとって観るに
辛過ぎたのだ。
4 ななしのよっしん
2020/06/14(日) 15:44:08 ID: O1ycNVlfUJ
確かにCupheadはフライシャーの影響の方がつよそうだね。
技術力はさながら、当時の流行・ニーズの取り入れに積極的なところはTDRに対するUSJみたいな感じだな。
5 ななしのよっしん
2020/07/23(木) 16:07:48 ID: 5yBvB+hhKK
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/25(木) 21:00
最終更新:2024/04/25(木) 21:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。