ブラッド・ペニー 単語

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ブラッドペニー

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ブラッド・ペニー(Brad Penny1978年5月24日-)とは、一人の選手にケビン・ミッチェルとマイク・グリーンウェルが宿った希有な例である。

概要

1978年5月24日生まれ、アメリカオクラホマ州出身。右投右打の投手

当時新設球団のアリゾナ・ダイヤモンドバックスドラフト名され入団。2000年フロリダ・マーリンズMLBデビューすると、先発ローテーション投手として2003年には14勝を挙げるなど活躍。

2004年ロサンゼルス・ドジャースにトレードで移籍し、2006年には16勝を挙げ最多勝タイトルを獲得。

2007年も16勝を挙げた。その後は球団を転々とし、2011年デトロイト・タイガースで11勝をマーク

2012年和田毅杉内俊哉D.J.ホールトンの移籍で先発投手が手薄になった福岡ソフトバンクホークスが年俸300ドル(約2億3000万)プラス出来高の大契約で獲得。メジャー通算119勝の大物外国人として鳴り物入りで来日する。

しかし、福岡ダイエーホークス時代からケビン・ミッチェル、D.J.カラスコなど高額の助っ人が働かないことに慣れているホークスファンは「こんな大払ってちゃんと働くのか?」と不安を抱き、また前年11勝とはいえ成績そのものはメジャー先発投手でもワースト級というデータも不安を高めた(その上、ペニーは練習嫌いな上にチームメイトと確執を起こす事でも有名であった為、なおさら不安が高まる)。

そんなペニーは入団時のインタビューでは「最多勝を獲る」とし、オープン戦も最初はぼちぼち投げていた。が、ファンの不安は的中してしまう。3月14日教育リーグでの登板腹痛で回避。「サボっただけでは?」とファンは疑惑のを向け、秋山監督も何らかの懸念を抱いたのか開幕ローテ剥奪を示唆する発言をする。

そしてシーズンが開幕すると、開幕ローテ入りしたペニーは5戦となる4月4日のさっむいさっむい仙台での楽天戦で初登板。が、3回1/3を投げ被安打7四死球3、6失点であえなくノックアウト。そして試合後に右肩の痛みを訴え登録抹消。6日に福岡市内の病院で検を受けたが結果は「異常なし」、にも関わらずアメリカに帰してしまう。

4月11日ペニー本人のTwitterexitに、ウキウキでアメリカ生活を満喫している写真exitアップされ、ファンを呆れさせる。批判を受けたペニーは「2008年に撮った写真だよexit」と愚にも付かない釈明をかます。さらに、アメリカでの検でも異常なしとの診断が出、もはやホークスファンも呆れきっているところに再来日、リハビリ組に合流する。

そして5月8日、「日本野球環境染めなかった」との本人の申し出により退団。一軍成績は1試合0勝1敗防御率10.80、僅か64球投げただけで去っていった。なお、自己申告での退団であったため年俸は日割りされ、約7000万程度がペニーに支払われた模様。

ファンの怒りと呆れをに、本人は帰Twitterで「アメリカに戻れて最高だぜ!exit」と一言。メジャー複数球団からオファーという報道に加え、日本ファンからの怒りのリプライに対し、活躍できなかったことを詫びるどころか、フォロワーからの「日本からゴミみたいなツイートが山ほどきてるじゃん。馬鹿げてるわ」との言葉に応じて「はっ、あいつらは俺にゾッコンみたいだなexit」と最後まで畜生ぶりを重ねていった。

ちなみに5月8日での退団はダン・ミセリにこそ及ばないが、あのマイク・グリーンウェルよりも。かつて前身のダイエーホークスで高額年俸を貰いながら「電子レンジでチンした冷凍チョコレートドーナツ根を怪」などの仮病でサボって帰したケビン・ミッチェルを彷彿とさせる見事なサボりっぷりと、グリーンウェル級の退団のさで、南海ホークス時代から、短期で消えて行った助っ人(酷人外国人選手が多かったホークスの球団史上のみならず、NPB史上でも稀に見る大物クソ外人であったといえよう。

なお、退団から僅か10日後の5月18日サンフランシスコ・ジャイアンツマイナー契約した。……マイナー
そして6月12日に行われた3Aレズノ対サクラメント(アスレチックス下)戦で復帰デビュー。試合には勝ったものの結果はお察しください。その後、6月29日にちゃっかりメジャー昇格し、中継ぎで22試合に投げたが防御率6点台に終わってオフ放出された。

その後も球団を転々としており、1年間のFA2013年)を経て2014年カンザスシティ・ロイヤルズマイナー契約を結ぶものの、スプリングトレーニング中のホワイトソックス戦で炎上してあっさり解雇。その後古巣マーリンズに拾われ、メジャーに昇格して2勝するものの防御率は6点台と散々な結果に終わり、オフ自由契約となった。

2015年シカゴ・ホワイトソックスマイナー契約を結んでのスタートとなったが、メジャー昇格はなく、オフ自由契約となり、ベネズエラウィンターリーグプレーした。
その後、オフトロント・ブルージェイズマイナー契約を結び、スプリングトレーニングに招待選手として参加するも、2016年3月18日に現役を引退

通算成績

通算:14年 登板 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率 WHIP
MLB:14年 349 4 2 121 101 0 3 .545 1925.0 619 1273 990 917 4.29 1.38
NPB:1試合 1 0 0 0 1 0 0 .000 3.1 3 1 6 4 10.80 3.03

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