ミクロネシアとは、日本列島の南に広がる、西太平洋の小さな島々を指す。日本がかつて統治した「南洋諸島」の語もここで説明する。
国際的な広域圏名では、オーストラリア大陸、メラネシア、ポリネシアと合わせて「オセアニア」地域を形成する。
大ざっぱに言うと、太平洋上で「小笠原諸島より南」「赤道より北」「東経180度線より西」にあり、椰子が多く自生する熱帯気候の2000余りに及ぶ島々である。
正しい縮尺で一般サイズの世界地図ではまずはっきり表示されない小さな島ばかりである(せいぜい、淡路島より少し小さいグアム島が見えるくらいである)。
1920年(ヴェルサイユ条約)からの25年間、大日本帝国が統治を委任された範囲と基本的に合致し、日本では「南洋諸島」と呼んだ。日本統治と戦争を通して近代的価値観がもち込まれ、この地域の人びとの生活は大きく変わった。
日本の敗戦以降は全域がアメリカの信託統治領となっていたが、今では3つの地域が独立国となって国連に加盟している。
このほか、ナウルやキリバス連邦をポリネシアではなくミクロネシアとすることもある。特にキリバス連邦の西部ギルバート諸島はミクロネシアと考えることも多い。
ミクロネシア地域においては元々、古い時代にニューギニアやフィリピンから到達した民族などがいくつもの島で生活し、島同士で交易などもおこなわれていた。
ただし文字文化を生み出した民族はなく、ミクロネシア史の研究は遅れている。
スペイン(18世紀~)
→売却→ ドイツ(19世紀~)
→第一次世界大戦→ 日本(1920-45)
→第二次世界大戦→ アメリカ
と統治権が引き渡されていく。ただし、最大の島グアム島に関してはスペインからドイツに売却されず米西戦争後の1898年からアメリカ領なので、真珠湾攻撃後に日本が奪うまでドイツ・日本の統治時代は経ていない。グアムは現在でもマリアナ諸島の他の島と政治機構等が異なる。
江戸時代後期には、約20人の日本人がグアムに漂着し、地元社会に同化して余生を送り、水田稲作を伝えるなどしたという(今日まで日本名をもつ家系が残っているらしい)。
日本統治時代には、少兵の軍隊を置き中心的な島に町をつくっただけのスペインやドイツと異なり、各島に学校や病院を建てて3年間の義務教育、2年間の選抜教育を施し、多くの島民が初めて読み書きができるようになった。
農漁業や製糖業でもこの時代に近代的な方法が発展した。
ミクロネシアの島々では、草地の中に旧日本軍の砲座や戦車が未だに多く放置されていたり、岸辺にトーチカが掘られていたりする。
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最終更新:2024/04/25(木) 10:00
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