ラーマ9世 単語

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人物
ラーマ9世
基本情報
生年 1927年12月5日
生誕地 アメリカ合衆国マサチューセッツケンブリッジ
2016年10月13日
タイ王国バンコク
出身地 タイ王国バンコク
タイ王国
本名 ラーマ9世(รัชกาลที่ ๙)
別名 プーポンアドゥンラヤデート
(ภูมิพลอดุลยเดช)
職業・肩書 タイ国王
備考・その他
人物テンプレートボックス

ラーマ9世exit(รัชกาลที่ ๙、1927年12月5日 - 2016年10月13日)とは、
チャクリー王第9代のタイ国王である。

概要

1927年アメリカ合衆国マサチューセッツケンブリッジで生まれる。

タイバンコクで初等教育を受けた後、スイスに渡る。ローザンヌ大学に進学するもラーマ8世の死去により1946年6月9日タイ国王に即位することになる。タイ国王の身分のままスイスに戻って大学に復学し、1952年卒業してタイに帰した。

1950年には現在王妃結婚1956年には門に入り、すぐ後に俗世に戻る。タイで生まれた男子は一生に一度は出せねばならないというタイ仏教しきたりに従った。

1992年に「暗5月事件」が発生した際には軍と民主化勢の仲介役となり武衝突を回避させる事に成功している。この結果、軍が擁立した首相は辞職することとなる。

「王室プロジェクト」としてタイ内の農業の発展を支援しており、王室の所有地を農地として提供する事や経済活性化計画を自ら策定するなどしている。

日本皇室との関係も深い。ラーマ9世本人は1963年に初来日している。日本の皇族がタイに行くことやタイの王族が日本に行くことも多い。

趣味カメラジャズであり、自らサクソフォン演奏したり、カメラを首から下げて自ら写真を撮る事が多い。アマチュア無線免許を有しており、「HS1A」というコールサインを有している。ヨット東南アジア大会での優勝経験あり。ホンダ・アコードである。

2016年10月13日タイ王国バンコクのシリラート病院で崩御、享年満88歳。

人柄

の字がつくな人柄として知られる。
タイ国王として本格的に活動し始めたのは1952年以降のことで、そのころはまだ遊びたい盛りのはずの
20台であった。身分を隠しておびで歓楽街に遊びに行く、爛な宮殿の中で美味しい食事をしつつ
綺麗な女の子を選ぶ・・・といったことをしてもおかしくないが、ラーマ9世は違った。

ラーマ9世は進んで地方巡業におもむき、産業振を注いだ。
貧困に苦しむド田舎の農に行き、土壌良から始め農業を根付かせていくことを王室の経費で行った。
若い頃は首都の宮殿留守にしっぱなしであったことが多かったという。
貧しい地方の農だからロクなホテルもないのだがラーマ9世は文句1つ言わない。
の降りしきる中、膝まで泥んこの田んぼに浸かり、土壌の良をする。まさしく学者肌の方であった。

そういう生活を50年以上続けてきた。世界史を広く見渡してもなかなか見つからないほどの
王様で、このためタイ民から絶大な支持と敬を集めることになった。

Wikipediaexitには若かりし頃のラーマ9世の写真がある。いかにも生な学究肌の人という感じ。

タイ国民から敬愛される

タイ民からの敬は絶大で、国王誕生日12月5日ごろになるとタイ内は国王肖像画で埋め尽くされ、
はラーマ9世の誕生色の黄色を着た人で溢れかえっていた。
を行くの中に国王肖像画が飾ってあるなど、外国人をびっくりさせていた。

タイの北東部にはチャーン・インターナショナルサーキットがあり、その12コーナーの外側には
国王肖像画が入った巨大な看板がデーンと立っていたexit
ラーマ9世の写真の横には「LONG LIVE THE KING国王陛下、長生きしてください)」とある。
レース関係者が集まる記者会見の場所にも大きな国王肖像画があり、その肖像画の下でレーサー
関係者がインタビューに答えていた。これがタイであった。

これだけ敬されると、その状況をからかいたくなってくる人間も一定の割合で出てくる。
故意に国王を侮辱するのだが、そうなると現地警察不敬罪逮捕され、懲役10年以上の判決が出る。
するとラーマ9世は「不敬罪など要らぬ。それで捕まったものはすぐ釈放せよ」とすぐ恩赦を出す。
これがタイである。

政争を調停する

タイというのは政情不安なであり、しょっちゅう政争とクーデターが発生する。
選挙が行われると「不正選挙だ」「潔く負けを認めろ」としい罵り合いになり、混乱が極まったら
軍部がクーデターを起こす。それでも混乱が続くので、そうなったらラーマ9世の出番であった。
ラーマ9世が「選挙をやり直すのが良い」というとその通りになり、「軍部は退くように」というと
軍部も大人しく引き下がる。ラーマ9世のの一で政争が決着する。ある意味、政情が安定している。

有名なのは1992年の暗5月事件だった。軍隊体の内閣民主運動しく弾圧、首都バンコク
流血の事態となった。このときラーマ9世はスチンダー首相民主運動導者チャムロンを宮殿に呼び、
玉座の前で2人を正座させ、「そんな事でタイ民のためになると思うか、双方ともいい加減にせよ」と
きつく叱りつけ、騒動を一夜にして収束させてしまった。

資産が多い

ラーマ9世の資産は2兆円ほどだった。など全く欲しがらないような人なのだが、これだけ尊敬されると
進んで財産を寄進する人が大量に現れる。寄進する人は「国王に寄進をした人」としてステイタスを得る。
いくら断っても寄進をしようとしてくるので断り切れず、資産が2兆円ほどになった。
先述のようにこうした資産は農地良などのプロジェクトに使われた。

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関連項目

先代 チャクリー王タイ国王 次代
ラーマ8世(รัชกาลที่ ๘)
1935~1946
ラーマ9世(รัชกาลที่ ๙
1946~2016    
ラーマ10世 (รัชกาลที่ ๑๐)
2016
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