リオネル・メッシ単語

メッシ

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リオネル・メッシLionel Andrés Messi, 1987年6月24日- )は、アルゼンチン共和国サンタフェ州ロサリオ出身のプロサッカー選手である。
アメリカMLSインテル・マイアミCF所属。サッカーアルゼンチン代表

170cm72kg。ポジションはFW。利き足は左足。

概要

アルゼンチンロサリオ出身のイタリアアルゼンチン人。おもに4-3-3の右ウイングか3トップの中央でゼロトップ(偽の9番)としてプレー。おもな称は「レオ」。世界でもっとも有名なアスリートの1人であり、2019年世界アスリートの年収ランキング1位に選出されている。

神の子」とも称され、多くのサッカー関係者やファンから世界最高のフットボーラーと認識されている。歴代のサッカー選手の中でもNO.1という呼びも多い。17歳トップチームデビューして以降、FCバルセロナの絶対的エースとして君臨。卓越した技術と圧巻の得点で10度のラ・リーガ優勝、7度のコパ・デルレイ優勝、4度のUFFAチャンピオンズリーグCL優勝と数々のタイトルをもたらし、2009年2015年にはシーズン三冠トレブル)を達成している。

自身も歴代最多となる8度のバロンドールを受賞している。また、ラ・リーガ得点王(ピチーチ)7回、CL得点王6回という記録を持っており、ヨーロッパゴールデンシューも歴代最多の6回獲得している。欧州5大リーグ2010年代得点ランキングアシストランキング両方とも1位いている。2012年に出場した公式戦の通算得点数は91得点であり、1972年ゲルト・ミュラーが作り出した記録を40年ぶりに塗り替えている。まさに異次元の経歴の持ちである。

アルゼンチン代表としても18歳の頃から選出され、2010年からはキャプテンを務めている。代表の通算最多得点と最多アシストと最多出場記録の保持者でもある。しかし、々しいクラブチームでの実績とは違い、代表ではなかなかビッグタイトルを獲得できず、アルゼンチン代表ではバルセロナの時ほどけないと摘されていた。だが、2021年コパ・アメリカ2021で得点王、アシスト王、MVPの"個人賞3冠"を達成すると共にようやく初の代表でのタイトル戴冠を成し遂げる。さらに、自身最後のワールドカップ言した2022 FIFAワールドカップでは、7ゴール3アシストの活躍でアルゼンチンに36年ぶり3度優勝をもたらし、自身は2014年大会に続いて二度最優秀選手賞を受賞。名実ともに祖国アルゼンチン英雄となった。

2009年から2014年までの6年間のうち5年間世界で最高年収のサッカー選手である。2006年以来アディダススポンサー契約を結んでおり会社の要なパートナーとしての地位を確立2017年にはアディダスと生涯契約を締結している。一方、その存在があまりにも大きすぎることがチーム戦術や監督の采配にを与えてしまうこともある。

自身幼少期に1万人に2人という難病によってサッカー選手としてのキャリアを断念しかねない経験をしていることから、2007年に難病の人々の救済や彼らのえ、等の機会を与えるという信念の元に「レオメッシ財団」を設立。の活動が認められユニセフより大使に任命されている。

経歴

幼少期

アルゼンチンロサリオ工場労働者ホルヘとパート清掃員のセリアの3人の子として生まれる。ごく一般的な庭で育ち、大人しく、人の輪に入るのが苦手な子供だった。二人のサッカーボールを蹴るようになり、5歳のときに父親コーチを務めるクラブで本格的にサッカーを始める。

8歳になった1995年に地元クラブニューウェルズ・オールボーイズに入団。圧倒的なドリブルスキルも止めることができず、在籍していた6年間で500ゴール記録。類まれな才を見せていたことで周囲からは天才と称され、もが偉大なサッカー選手になることを期待していた。

ところが、10歳の時に成長ホルモンの分泌異常が発覚。1万人に2人しかならない難病であり、成長ホルモン投与などの治療なしでは身体が発達しないと診断された。両息子えようと奔走したが、裕福ではない庭では治療費を工面出来ず、アルゼンチンの名門リーベル・プレートから獲得を断念される等サッカー人生に暗が立ち込める。どのクラブも治療費の負担を拒み、サッカーを続けることすら諦めなければならないほどの窮地に立たされていた。

そんなとき、人生の大きな転機が訪れる。13歳のときにアルゼンチン天才少年の話を聞いたスペインリーガ・エスパニョーラの名門FCバルセロナトライアルを受けるチャンスを得ることができた。テストにおいて、当時の監督だったカルロス・レシャックは彼のプレーを一見ただけでその小さな身体に驚くべき才と将来性が宿っていることを悟り、すぐさま合格を決めた。このときレシャックは契約書を持っておらず、ナプキン契約を交わしている。

バルセロナ

下部組織時代

当時、ヨーロッパクラブがメッシのような若い年齢の選手と契約することはしいことだったため会長がなかなか契約を前に進めなかったため交渉は難航したが、メッシの才に惚れ込んだレシャックの尽もあり、家族全員バルセロナへの移住を条件に治療費の全額負担を約束され、晴れて入団が決定。

2001年3月1日に正式契約を結び、家族ってスペインへ移住。カンプノウ近くのアパートに暮らしながら世界的に優秀なことで知られるバルサの育成機関ラ・マシアでサッカーを学ぶことになる。入団当初は同年代とべても小さな身体であり、大人しい性格のためチームメイトにも染めず、ホームシックにも苦しんだが、すぐにその才もが認めることとなった。

若手時代

ラ・マシアでの治療のおかげで169までに身長が伸び、2004年10月6日エスパニョール戦において17歳トップチームでのデビューを果たす。翌年5月1日アルセバテ戦にて当時のクラブ最年少記録(17歳と10ヶ7日)となる初ゴールを決める。プロ1年レギュラー定着とはならなかったものの、次世代のスター選手となる逸材として大きく注されるようになる。

2005-06シーズンスペイン市民権を得たことでEU外のの問題もなくなり、フランス代表のリュドヴィク・ジュリから右ウイングポジションを奪うほどの活躍を見せる。しかし、CL準々決勝2nd legのチェルシー戦で右足の筋肉を負傷し、残りのシーズンを棒に振ってしまう。チームラ・リーガCLの2冠を達成するが、タイトル獲得のときピッチに立つことができなかった。

2006-07シーズン、コパ・デルレイ準決勝ヘタフCF戦ではマラドーナ再来とも言われる伝説の5人抜きを達成。しかもドリブル開始からフィニッシュまでのドリブルコースボールタッチ数、ゴールパフォーマンスまでもが酷似していたため、同試合を中継していた現地テレビ局実況奮気味にマラドーナの名を連呼していた。右サイドから切れ込むドリブルが冴えわたり、インパクトを残し、このシーズンで初めて二桁ゴールを決めるなど、成長を遂げる。反面、またしても筋肉系の負傷に苦しみ、フルシーズンを発揮することができずにいた。

2007-08シーズンサミュエル・エトーが負傷、ロナウジーニョが不調、加入したティエリ・アンリチームフィットできず、期待された攻撃が機しない中で孤軍奮闘。単騎突破から重なゴールを決め、暗期が到来していたチーム希望となる。ただ、過去の3試合よりは出場時間が増えたものの、やはりこのシーズンも怪で戦列を離れた時期があった。また、全に過渡期となったバルサは、2シーズン連続で冠に終わり、大きく期待を裏切ることに。そして、チーム役はロナウジーニョからメッシへと移るのであった。

ペップバルサ黄金期

フランクライカルトからジョゼップ・グアルディオラ監督が代わり迎えた2008-09シーズン、退団したロナウジーニョに代わり背番号10をつける事に。人材不足であった右サイドバックセビージャからブラジル代表DFダニエウ・アウヴェスが加わったこともあり連携面でのアドバンテージを得る。この頃からグアルディオラ導もあって食事方法の善による改造を図り、これまで悩まされていた筋肉系の負傷が減り、シーズンを通して活躍できるようになる。また、以前は1人で強引にドリブルで持ち込もうとする傾向が強かったが、グアルディオラの方針もあって周りを使ったプレーの意識も強くなり、シャビアンドレス・イニエスタと連携してゲームメイクでも貢献するようになる。2009年5月27日におけるUEFAチャンピオンズリーグ決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦でのダメ押しゴールは、三度目の正直となる初のバロンドール受賞、そしてチーム欧州制覇の決定打となった。この年、チームリーガ、コパ・デルレイ、そしてCL優勝したことでクラブ史上初のトレブル三冠)を達成。新たな黄金期が築くことになる。メッシにとっても大きな飛躍のシーズンになったと言え、名実ともに世界最高のフットボーラーとして認識されるようになる。

2009-10シーズンにはバルセロナ通算100ゴールクラブ史上最年少記録で達成。シーズン後半からはポジションを3トップの中央に移し、偽の9番(ファルソ・ヌエベ)としての役割を担うようになる。2010年3月14日バレンシア戦、3月21日サラゴサ戦で2試合連続ハットトリックを達成。リーグ戦34得点で初のピチーチ(得点王)を獲得するなど、最終節までれたレアル・マドリードとのデッドヒートを制しリーガ連覇に貢献。1シーズン47得点怪物ロナウド記録にも並び、初のヨーロッパゴールデンシューも獲得する。2009年の暮れには欧州王者としてクラブワールドカップにも出場。決勝のエストゥディアンテス・ラプラタ戦の延長後半にはGKの動きを見てボールを胸でゴールに押し込むという機転の利いたプレーを見せ、同大会MVPいている。
バロンドールFIFA最優秀選手賞が統合されたFIFAバロンドールの初代受賞者となったが、スペイン代表で初のW杯制覇を達成したチームメイトシャビイニエスタクラブ3冠W杯優勝スナイデルを差し置いての受賞には一部で議論が巻き起こった。

2010-11シーズンジョゼ・モウリーニョを招聘し序盤から好調のレアルホームに迎えたエル・クラシコ第1戦ではダビド・ビジャの2ゴールアシストするなど結果は5-0での圧勝。MVP(メッシ、ビジャペドロ)と称された3トップが機し、リーガ3連覇と2シーズンぶりのCL優勝に貢献。このシーズンバルセロナ世界を震撼させるほどの圧倒的な異次元の強さを見せ、パスワークによるポゼッションを重視したバルサスタイル世界中のチームが憧れるようになる。リーガ得点王の座ことクリスティアーノ・ロナウドに譲ったものの、2シーズン連続でゴール数は30ゴールえ、CLでは大会史上最多タイとなる12ゴール得点王となる。異次元プレイヤーとして進化したメッシを世界中が称賛し、3シーズン連続でのバロンドールにも選ばれている。

グアルディオラ体制最後の年となった2011-12シーズンクラブタイトル国王杯のみとなったが、驚異的なペースゴールを量産し、リーグ50得点という前代未聞の記録を打ち立て得点王にく。CLでは、3月7日レバークーゼン戦において大会史上初となる1試合5得点を達成。4シーズン連続で得点王となっている。また、シーズン公式戦通算得点数は73得点というとてつもない数字を残しており、ゲルト・ミュラーが持っていたシーズン公式戦最多得点記録を塗り替えている。2011年末に日本で開催されたクラブワールドカップでは出っ礼極まりないインタビューを浴びながらも南米王者サントスFC子供扱いし、格の違いを見せつけて優勝。何かと較されたブラジルの新ネイマールがひたすら守備に追われる中、2ゴールマークしたメッシは再び大会MVPを受賞した。2012年バロンドールにも選出され、フランスの"将軍"ミシェル・プラティニ記録を打ち破る前人未踏の4年連続の受賞となった。

ペップ後の時代

クラブが新たなサイクルに突入した2012ー13シーズンだったが、エースとしてこれまで通り異次元プレーを披露。2012年12月9日レアル・ベティス戦で2ゴールマーク公式戦年間ゴール数を86とし、元ドイツ代表FWゲルト・ミュラー記録した85得点え40年振りに年間最多得点記録更新した。
快挙から数日後、ブラジルリーグの名門フラメンゴが「1979年ジーコが89得点記録している」との明を発表。非公式記録ではあるものの相手が相手なだけに議論が巻き起こったが、国王杯コルドバ戦、アトレティコ・マドリードとのリーガ天王山でそれぞれ2ゴール、年内最終戦レアル・バジャドリード戦でも1ゴールを挙げ、最終的に年間ゴール数は91。自ら記録更新すると共に、「神様」との不毛な外野戦にも終止符を打った。さらに2シーズンぶりにリーガタイトルも奪還している。

2012-13シーズンでは3試合の負傷による欠場を挟みながら、21試合連続ゴールというとてつもない記録を作り出しており、サッカー史における最多連続得点記録立。CLでは、自身の負傷による欠場もあって準決勝でバイエルンに敗れたが、リーガタイトルを奪還することに成功。シーズン終盤は負傷によって戦線を離脱したが、リーガ46得点公式戦60得点を挙げ2年連続得点王にいた。また、これによって3度欧州得点王となり、ヨーロッパゴールデンシューの単独最多受賞者となる。

ブラジルの新ネイマールが加わり、注度の高かった2013-14シーズンは、開幕から度重なる筋肉系の負傷に悩まされ、2013年11月10日のベティス戦では左足太もも離れによって1カ半の離脱を強いられる。それでも、復帰後は例年通りの異次元プレーを見せ、2014年3月23日レアル・マドリード戦ではハットトリックの活躍を見せ、クラシコの単独最多得点者となる。しかし、リーガタイトルは最終節の直接対決引き分けたことでアトレティコ・マドリードに持って行かれ、シーズン冠に終わる。

MSN時代

2014-15シーズンは新加入のウルグアイ代表FWルイス・スアレスに譲る形で、シーズン途中からポジションをおよそ5季ぶりに右ウイングへと変更。ネイマールを加えたトリデンテ「MSN」が覚ましいコンビネーションを炸裂させ、自身も好調を維持し、43得点マークしたリーガは2季ぶりの奪冠。
恩師であるグアルディオラが率いるバイエルン・ミュンヘンと戦うこととなったCL準決勝2nd legでは、右からドリブルで切りこみ、マークについたジェロム・ボアテングを切り返しによってバスケットアンクブレイクのような要領で転倒させる人的なプレーからゴールを決める。コパ・デルレイ決勝アスレティック・ビルバオ戦では右サイドタッチライン際、ハーフウェーライン付近でダニエウ・アウベスのパスを足元で受けた後DF3人に囲まれたが、そこから強引にドリブル突破。エリア内に侵入すると更に1枚かわしてニアサイドに強な先制点を突き刺す圧巻の「4人抜き」を披露し、4季ぶりのCL決勝ユベントス戦ではゴールアシストこそならなかったものの、正確な左サイドへのロングフィード、長距離ドリブルからDFを1枚吹き飛ばした末にGKブッフォンファンブルを誘う強なミドルシュート、そして終了間際にルーボールを制して全にフリーとなったネイマールへのスルーパスなど全3得点に絡む活躍で優勝に大きく貢献。
5度の載冠により優勝カップ永久保持権獲得、そして史上初となる2度3冠達成と記録ずくめのシーズンとなった。
この活躍により自身5度となる2015年バロンドールを受賞。

2015-16シーズンは、を生やしたワイルド貌にイメチェンする。前シーズンシャビチームを退団したによりゲームメイクに関わる頻度が高くなり、以前よりも下がりの位置でプレーする機会が増える。それでも得点に陰りは見られず、2016年2月3日バレンシア戦で34度ハットトリックを達成し、キャリア通算500ゴールを達成。2週間後のスポルディング・ヒホン戦では、リーガ通算300ゴール記録シーズン終盤にネイマールスアレスと共にってコンディションを崩し、CLベスト8で敗退。一時は独走状態だったリーガでも3連敗を喫し、最終節までもつれこんで辛くも逃げ切って優勝することになる。

2016-17シーズンは、イニエスタの負傷欠場が多かったこともあって負担が増えるが、2016年10月19日CLマンチェスター・シティ戦ではチャンピオンズリーグ単独最多の7度ハットトリックを達成した。11月6日リーグ11節セビージャ戦ではクラブ通算500ゴールを達成。2017年4月23日レアル・マドリードとのエル・クラシコでは決勝点を含む2ゴールを決めてクラブでの公式戦通算500ゴールを達成。だが、バランスの悪さが立つようになったチームは宿敵レアル・マドリードリーガ優勝を許し、CLでもベスト8でユヴェントスを相手に敗している。

グアルディオラチームを去って以降のバルセロナは、年々メッシへの依存度を増すようになり、2015年シャビの退団、そして2018年イニエスタが退団したことで中盤のポゼッション低下が加速してしまい、攻撃の全権を任されることとなったメッシはもはやクラブ以上の存在となりつつあった。そのため、クラブでの発言も年々増すようになっている。また、2014年あたりから試合中に嘔吐することがたびたびあった。後にこの嘔吐の理由を当時の怠惰な食生活にあったことを明らかにしている。

黄金時代の終焉

2017-18シーズン開幕直前にネイマール電撃的にパリ・サンジェルマンへ移籍し、MSNトリオは唐突に崩壊となる。突然の路線変更が必要となったエルネストバルベルデ監督は守備のバランスを重視したスタイルを切るが、これまで通り守備の負担は免除されたことで攻撃の全権を握ることになる。スアレスとのコンビネーションからゴールアシストチームを牽引していき、CLでは準々決勝でASローマにまさかの大逆転を許し敗退するが、ラ・リーガでは第35節まで敗を維持し2シーズンぶりに優勝。34ゴールで2シーズン連続5度ピチーチ(リーガ得点王)を獲得する。

2018-2019シーズンからはイニエスタが退団したことでチームの新キャプテンに選ばれる。シーズン開幕からいつも通りゴールを量産するが、2018年10月26日セビージャ戦で橈骨折し、3週間の離脱を余儀なくされ4日後のエル・クラシコを欠場する。2019年1月13日エイバル戦では、欧州5大リーグでは史上初となるリーガ通算400ゴールを達成。このシーズンではリーグ戦34試合出場で36ゴールを決め、史上最多となる6度ピチーチを受賞する。
通算6度となる2019年バロンドールを受賞クリスティアーノ・ロナウドを抜いて再び単独での歴代最多記録更新する。

2019-2020シーズンは、右足ヒラメ筋の負傷により開幕から欠場し、6年ぶりとなる6試合ノーゴールを経験する。2020年1月エルネストバルベルデ監督が解任となるが、バルベルデを支持していたメッシはチームの決定に反発。さらに、この解任劇について選手が追い出した旨の発言をしたエリック・アビダルSDSNS批判チーム上層部との間に裂が走ったと報じられ、2021年までとなっていた契約の延長交渉をストップさせたことでバルセロナからの退団が噂される。不協和音いてチームリーガ連覇を逃すが、自身は25ゴールで7度となるビチーチを4年連続で受賞し、2008-09シーズンシャビが作り出した1シーズン最多アシスト数を更新する21アシスト記録。一方、CLでは、ラウンド16 2nd legのナポリ戦で5人に囲まれながらのゴールを決め勝利に貢献するが、準々決勝ではバイエルンを相手に8失点を許しての歴史的な大敗を喫する。試合中、崩壊するチームを呆然と見ていた姿がキャプテンとしてあるまじき姿であるとして批判を受ける。

バイエルン戦での惨敗後、スアレスベテラン勢を容赦なく切り捨てようとするチーム上層部との関係はもはや修復不能な状態となり、2020年8月25日クラブに対して自身の契約一方的に解除することを正式に要し、バルセロナから退団する意思を表明する。恩師であるグアルディオラ監督率いるマンチェスター・シティへの移籍が有されるなど、移籍が確実視されるが、ラ・リーガ側がバルセロナ側のの正当性を認める明を出したことで事態は急転。するバルセロナと争う状況を避けるため、不本意ながらもあと1年バルセロナに残留することを表明。
【全文】「裁判で争いたくはない」メッシが明かすバルセロナ残留の真相、思い、確執/インタビューexit

紆余曲折して2020-2021シーズンバルセロナプレーすることとなったが、PK以外でゴールが奪えず、ボールロストも例年とべて立ち、2020年10月24日クラシコレアル・マドリードに敗れたあたりから衰えが摘される報道が増え、運動量の少なさが再びクローズアップされ批判が集まるようになる。さらに、アントワーヌ・グリーズマンとの不仲も取り沙汰され、自身への批判に対し「もう批判されるのは疲れた」とコメントしている。11月29日のオサスナ戦ではチームの4点となるゴールを決めると、下に着ていたニューウェルズの背番号10のユニフォームを披露し、4日前に亡くなったディエゴ・マラドーナ追悼するパフォーマンスを見せる。12月22日おこなわれたラ・リーガ第15節バリャドリード戦では、バルセロナでの通算得点数644得点となるゴールを決め、ペレサントスFC記録した1クラブにおける最多得点記録を塗り替える。徐々に調子が上向きになり、事態が好転したかに見えたが、2021年1月17日スーペル・コパ決勝アスレティック・ビルバオ戦の試合終了間際に相手のチャージに昂して暴力行為を働いてしまい、クラブキャリアでは初となる退場になる。これにより、公式戦2試合の出場停止処分が科せられる。3月15日ラ・リーガ第27節ウエスカ戦でバルセロナでの通算試合出場数が767試合となり、シャビの持っていたクラブ最多記録に並び、さらにこの試合で2ゴールを決めて13シーズン連続での20ゴールえを達成。4月17日、コパ・デルレイ決勝アスレティック・ビルバオ戦では2ゴールを決め、タイトルを獲得。リーガでは前年を上回る30得点記録し、5年連続8回ピチーチを獲得したものの、優勝には届かなかった。

2021年6月30日をもって契約延長交渉がまとまらず、形式上所属という状態になる。コパ・アメリカ2021終了後バルセロナと再契約交渉をおこない、一度は双方とも新契約に合意していたが、8月5日バルセロナ側から「経済的・構造的な障害のために正式な契約を結ぶことができない」という明が発表され、21年間所属していたバルセロナを退団することになる。8月8日にはカンプノウで退団会見を開き、「残るための全てのことをやった」「最も辛い間」と述べ、ながらに12歳の頃から所属したクラブに別れを告げる。

パリ・サンジェルマン

2021年8月10日フランスリーグ・アンパリ・サンジェルマンFCと2年契約を結んだことが発表される。ネイマールから背番号10を譲ることを打診されるが、これを固辞し、新地での背番号プロデビュー時と同じ「30」となる。
8月29日リーグ・アン第4節スタッド・ランス戦で途中出場し、フランスでのデビューを飾る。しかし、同僚のディ・マリアパリ染めていないことが明かされるなど適用に苦しみ、を出せず、批判が出始めていた。そんな中、9月28日CLグループステージ第2節マンチェスター・シティ戦で待望の移籍後初ゴールを決める。11月22日リーグ・アン第14節FCナント戦でリーグ戦出場6試合にして待望のリーグ・アンゴール記録。しかし、リーグ・アンでは怪新型コロナウィルス感染もあり前半戦1ゴールのみというまさかの成績に終わり、2月15日CLラウンド16 レアル・マドリードとの1stレグではPKを失敗したことで酷評され、地元から最低点の評価を下される。2nd legでも不発に終わりチームは逆転負けを喫すると、直後のボルドー戦ではボールを持つたびに味方サポーターからブーイングを浴びるこれまでにない屈辱を味わい、CL敗戦の戦犯とされてしまう。PSGの2シーズンぶりのリーグ優勝に貢献はしたが、結局リーグ戦で6ゴール14アシストという成績に終わり、期待値を考えると物足りないシーズンとなった。

2022-23シーズンリーグ・アン開幕戦であるクレルモン戦では、鮮やかなバイシクルシュートを決めるなど、2ゴール1アシストの活躍を見せる。9月14日CLグループステージ第2節マッカビハイファ戦でゴールを決め、CL史上初の18シーズン連続ゴール記録する。しかし、CLではラウンド16でバイエルン・ミュンヘンを相手に敗れると、味方サポーターから戦犯とみなされブーイングを浴びせられてしまう。さらに、バルサへの復帰話が取り沙汰されるようになり、2023年5月2日にはクラブ断でサウジアラビア渡航したことが問題視され、2週間の活動停止処分を受ける。謝罪後、チームに復帰しPSGリーグ連覇に貢献。公式戦41試合20得点20アシストという成績を残した。
リーグ最終節終了後、PSGを退団することが成績に発表される。

インテル・マイアミ

地について古巣FCバルセロナへの復帰やとてつもない巨額のオファーを受けたサウジアラビアクラブへの移籍が取り沙汰されたが、2023年6月7日デイヴィッド・ベッカムが共同オーナーを務めるアメリカMLSインテル・マイアミCFへの移籍が発表される。契約は2年半で背番号は「10」。
7月21日のクルス・アスル戦でアメリカでの初出場を果たすと、試合終了直前に芸術的なFKからの直接ゴールを決め、チームを劇的な勝利に導く、鮮デビューを果たす。インテル・マイアミでは加入して間もないにも関わらずキャプテンを任されると、7試合連続で10ゴールゴールを量産。8月19日にはリーグスカップ優勝を果たし、アメリカでの初タイトルを獲得する。

2024年1月下旬から2月上旬にかけてチームアジアツアーに参加するが、2月4日香港選抜との善試合を怪を理由に欠場。これに中国ファン激怒し、「を返せ!」とブーイングを浴びる事態となるなど批判が殺到する。ついには香港政府までが批判明を出す事態となる。
その3日後の2月7日には東京でのヴィッセル神戸との善試合では、欠場の可性が不安視されていたなかで後半途中から出場。
ところが日本で試合に出場したことで中国からの批判がさらに過熱してしまい、ついには3月中国で予定されていたアルゼンチン代表の善試合2試合が中止となってしまう。

アルゼンチン代表での経歴

2005年5月から開催されたFIFAワールドユース選手権2005U-20アルゼンチン代表のエースとして出場。決勝のナイジェリア戦では、2つのPKを決める活躍で優勝に貢献。個人としても得点王と大会最優秀選手を獲得している。その後、ホセペケルマン監督率いるフル代表に選出され、8月23日ハンガリー戦に途中出場し、18歳にして代表デビューを果たす。しかし、出場からわずか40後に相手選手に肘打ちをしてしまい一発退場。ながらにピッチを後にするほろ苦いデビューとなる。

2006年ドイツで開催されたFIFAワールドカップ 2006のメンバーにも選ばれ、グループステージセルビアモンテネグロ戦でワールドカップゴール記録アルゼンチンにおけるワールドカップ最年少出場、最年少アシスト、最年少ゴール一気に更新した試合となった。チームベスト8で開催ドイツに敗れ、レギュラーで出場することはなかったが、才の片鱗を見せた大会となった。

2008年に開催される北京オリンピックに挑むU-23アルゼンチン代表のメンバーにも選ばれるが、デビュー時から怪がちでフル稼働出来たシーズンはほとんどかったことを考慮し、当初バルセロナ側は招集を拒否。だが、最終的には許可が下り、セルヒオ・アグエロアンヘル・ディ・マリアら後のA代表のらとオーバーエイジにより選出されたフアンロマン・リケルメと破壊抜群の攻撃を形成。決勝のナイジェリア戦では、58分にディ・マリアの決勝ゴールアシストアルゼンチン金メダル獲得に貢献する。

名実ともに世界最高選手として注されるようになったFIFA ワールドカップ2010では、監督を務める英雄ディエゴ・マラドーナから攻撃の全権を任されるも、戦術のい個人技頼みのチームで持ち味を出すことができず。準々決勝のドイツ戦では何もさせてもらえず敗。このあたりからバルセロナのときとべて代表でけないメッシに対するアルゼンチン民からの批判が強まるようになる。

コパ・アメリカ2011では得点に終わり、準々決勝敗退となるが、大会後24歳にしてアルゼンチン代表のキャプテンに任命される。2013年6月14日グアテマラ戦でハットトリックを決め、マラドーナの持つ代表通算ゴール数34を抜く

キャプテンとして迎えた2014 FIFAワールドカップでは、初戦となったボスニア・ヘルツェゴビナ戦でゴールを決め、2大会ぶりに得点記録する。続くイラン戦では0-0で迎えた試合終了間際に決勝ゴールを決めると、グループリーグ終戦ナイジェリア戦でも2ゴールの活躍。延長戦までもつれ込んだベスト16のスイス戦では、ディ・マリアの決勝ゴールアシスト。ここまでの4試合全ての試合でMOMに選ばれている。準々決勝のベルギー戦と準決勝のオランダ戦では、相手の包囲網が厳しく決定的な仕事をさせてもらえなかったが、チーム1990年イタリア大会以来24年ぶりに決勝へと進む。決勝のドイツ戦では、堅守からのカウンターを狙う攻撃を引っり脅威を与えるが、延長戦の末に敗れ、悲願のワールドカップ優勝をあと一歩のところで逃すこととなる。試合後、大会のゴールデンボール賞を受賞する。

ブラジルワールドカップで悔しい思いをしたメンバーがほぼ残った顔ぶれで挑んだコパ・アメリカ2015では、自身も含めた攻撃が不調だったが、守備の奮闘もあってしぶとく勝ちあがっていく。準決勝のパラグアイ戦では、チャンスメーカーとして大量6ゴールを奪った攻撃リード。しかし、決勝のチリ戦では、相手に圧倒されて攻撃が沈黙。0-0で迎えたPK戦の末に敗れ、2014年ワールドカップに続いて準優勝に終わる。試合後、大会の最優秀選手に選ばれるが、なんとこれを拒否。賞が席となってしまう異例の事態を引き起こす。

2016年6月アメリカで開催されたコパ・アメリカ・センテリオでは、負傷を負ったため開幕戦を欠場。第2戦パナマ戦で61分から途中出場すると、ハットトリックを達成。準々決勝のベネズエラ戦でもゴールを決めると、準決勝のアメリカ戦ではFKからの直接ゴールを決め、代表通算ゴールを55とし、ガブリエル・バティストゥータが持っていた代表最多得点記録を塗り替える。2大会連続で決勝へ進出し、相手も前回大会で敗れた因縁のチリとの再戦という形になる。しかし、またしても0-0からPK戦にもつれ込み、1人として蹴ったPKを外してしまう。結局PK戦の末に敗れて2大会連続で準優勝に終わり、大会後心身の疲労を理由にアルゼンチン代表からの引退を示唆する。

だが、8月を理由に代表引退を撤回する。2015年からスタートしたロシアワールドカップ南米予選でアルゼンチンは、予想以上の苦戦を強いられ、最終節を前にワールドカップ出場圏外の6位で迎え、予選敗退の危機に直面する。このアウェイエクアドル戦で開始々にリードを許すが、12分の同点ゴールを皮切りにハットトリックの大活躍を見せ、の窮地を救い、ワールドカップ出場に導いてみせる。なお、この南米予選では21ゴール記録し、南米予選の最多得点記録立。

31歳となり、ベテランとなったメッシは自身4度となるFIFA ワールドカップ2018に出場。しかし、第1戦アイスランド戦でPKを失敗し1-1の引き分けに終わり、2戦クロアチア戦では0-3の敗と窮地に立たされる。当時の代表監督であるホルヘ・サンパオリはメンバーを入れ、を外すかをメッシにねており、このことで選手と指揮官の間に内紛が起きていた。それでも、ナイジェリア戦では自らゴールを決めてチームを決勝トーナメント進出に導いている。ベスト16のフランス戦では2アシスト記録するが、チームは3-4で敗れて敗退。メッシ頼みのチーム限界を露呈することとなった。

ロシアワールドカップ終了後、過度の重圧から年内の代表としての活動を休止。2019年3月エクアドルとの善試合で代表に復帰し、6月からブラジルで開催されたコパ・アメリカ2019に出場。スタートとなった中、第2戦のパラグアイ戦でPKによるゴールを決め、チームは準決勝まで進む。しかし、準決勝で宿敵のブラジルを相手に0-2の敗。試合後、審の厳しいジャッジをメディアを通して厳しく批判する。続く3位決定戦のチリ戦では、31分にガリー・メデルとの小競り合いによって一発退場になる。アルゼンチンは試合に勝利したが、試合後メッシは判定と大会運営への抗議のため表式に参加せず、メダルの受領も拒否。この一連の行動を重く見た南米サッカー連盟は、メッシに対し5万ドルの罰と3カの出場停止処分を科す。

2021年6月に開催されたコパ・アメリカ2021では2年前に遺恨を残したチリと初戦で対決し、FKから直接ゴールによる先制ゴールを決める。続くウルグアイ戦ではピンポイントクロスでギド・ロドリゲスの決勝ゴールアシストグループステージ第5節のボリビア戦では代表での出場試合数が148試合に達し、ハビエル・マスチェラーノを抜いて歴代最多出場試合数を立。試合では次元の違うスーパープレーを連発し、2ゴール1アシストの大活躍で自らの記念試合にを添える。準々決勝のエクアドル戦では1ゴール2アシストと3ゴール全てを演出する活躍をまたも見せる。準決勝のコロンビア戦でもラウタロ・マルティネスゴールアシストし、ここまでアルゼンチンの奪った11ゴール全てに絡むこととなる。そして、7月10日に開催されたブラジルとの決勝でアルゼンチンディ・マリアが決勝ゴールを決めて1992年以来のタイトルを獲得。自身にとって5度の正直にしてようやく掴んだ悲願の代表での初タイトルを獲得。大会7試合で4得点5アシスト記録し、得点アシスト両方で大会トップの成績を残し、大会のMVPにも選ばれる。さらには、2021年11月29日史上最多通算7度バロンドールを受賞。

2021年9月9日2022 FIFAワールドカップ南米予選第10節ボリビア戦ではハットトリックの活躍を見せ、代表での通算得点を79に伸ばし、ペレ記録を抜いて南米での最多得点選手となる。この試合の後、コパ・アメリカ優勝セレモニーをおこない、サポーターと喜びを分かち合いながら歓喜のを流している。南米予選ではチーム最多タイの7ゴールを決め、ワールドカップ出場権獲得に貢献。2022年6月1日EURO王者のイタリアと争ったフィナリッシマ2022では2アシストの活躍で勝利に貢献し、代表で2つめのタイトルを獲得する。6月5日エストニア戦では代表では初となる1試合5ゴール記録

2022 FIFAワールドカップ

2022年11月カタールで開催された2022 FIFAワールドカップは、自身5度の出場であり、これが最後のワールドカップになることを言しての大会となった。

グループリーグ初戦のサウジアラビア戦でPKを決め、先制ゴールを決めるが、その後チームはまさかの逆転負けを喫し、悲願の初優勝へ暗が漂うスタートとなった。続くメキシコ戦でも着状態が続くが、後半19分にミドルシュートを決め嫌な空気を払拭させる。試合終盤には、エンソ・フェルナンデスゴールアシスト。1ゴール1アシストの活躍でチームに初勝利をもたらす。第3戦のポーランド戦ではPKを止められるも、アルゼンチンは2-0で勝利し、首位でグループリーグを突破。

キャリア通算1000試合メモリアルマッチとなったラウンド16のオーストラリア戦では、前半35分に自身にとってワールドカップ決勝トーナメントゴールとなる先制ゴールを決め、勝利に貢献する。準々決勝のオランダ戦では、前半に正確スルーパスでナウエルモリーナのゴールアシスト。後半28分にはPKで追加点を奪う。その後オランダに同点に追いつかれるが、PK戦では1人キッカーとして成功させ、ベスト4進出を果たす。なお、この試合ではオランダルイス・ファン・ハール監督から挑発的な言動を受けたこともあって感情的になる場面が見られ、試合後に近づいてきたボウト・ヴェグホルストに対し攻撃的な言葉で応対している。

W杯最多出場記録(25試合)に並んだ準決勝のクロアチア戦では、前半32分今大会屈のPKストッパーであるドミニク・リバコビッチを相手にPKによる先制ゴールを決める。このゴールは、アルゼンチンW杯最多得点記録更新となる通算11点であった。さらに後半24分には、ヨシュコ・グヴァルディオルをドリブルで振り切っての圧巻のプレーからフリアン・アルバレスのダメ押しゴールアシスト。ついに悲願のワールドカップ優勝に王手をかける。

2022年12月18日フランスとの決勝でワールドカップ最多試合出場数及び最多出場時間数を更新する。前半23分に盟友ディ・マリアが得たPKをきっちり決め、先制ゴールを決める。後半にフランスキリアン・エムバペの2ゴールによって2点のリードを追いつかれてしまうが、延長後半4分にラウタロ・マルティネスシュートのこぼれ球に詰め、勝ち越しゴールを決める。これでアルゼンチン優勝かと思われたが、またしてもエムバペに同点ゴールを決められ、PK戦に突入。ここでも1人キッカーとして確実に成功させると、PK戦を制し、5度の正直で長年の悲願だったワールドカップ優勝を果たす

大会後、自身にとって二度となるFIFAワールドカップゴールデンボール最優秀選手賞)を受賞。長年ディエゴ・マラドーナ較されてきた「呪い」から解き放たれた間であり、史上最高のプレイヤーと評されるのに欠けていた最後のピースを埋めた間でもあった。

2023年10月30日には、ワールドカップアルゼンチン優勝に導いたことが評価され、史上最多通算8回となるバロンドールを受賞する。

その後

ワールドカップ後もアルゼンチン代表としての活動を継続する意向を明らかにし、優勝後初のアルゼンチンでの代表ウィークとなった2023年3月には民から熱な歓迎を受ける。3月28日キュラソー戦では前半だけでハットトリックを達成。これにより南米の選手とはしては初となる代表通算100ゴールを達成。
2023年9月8日2026 FIFAワールドカップ南米予選第1節エクアドル戦では値千となるFKからのゴールを決め、勝利をもたらす。

プレースタイル

サッカープレイヤーとしては小柄でストライドは短いというが、爆発的な加速と繊細なボールタッチ武器に敵を切り裂く世界最高峰のドリブラー。トップスピードに乗った状態でのドリブルでもボールが足元からど離れず、相手DFが飛び込む隙を与えない。尚且つ筋肉質であるため、ユニフォームを引っるなど故意のファールでも止められず、対戦相手の指揮官から「メッシを止めるにはショットガンが必要だ」とジョークが飛ばされるほどである。

また、視野も抜群に広いため、人数をかけてコースを塞がれてもフリーの味方を見つけ出し、絶妙なパスを供給出来る。特に右サイドから逆サイドスペースへ対線に通す浮き球のスルーパスを得意としている。近年は中央でプレーする機会が増え、ゴールゲッターとしての才も開ゴール前での落ち着きはを見るものがあり、芸術的ループシュートから強なミドルシュートまでそのバリエーションも豊富。

シャビイニエスタが去ってからのバルセロナでは、アンカーエリアまで下がってゲームメイクに加わる場面も見られ、1人でゴールを量産しながらゲームメイクもこなしてしまう欠のアタッカーへと進化。さらに若い頃はさほど得意でかったプレスキックキッカーとしても進化を遂げており、2014-15シーズン以降はフリーキックからの直接ゴールの数が飛躍的に伸びている。特に2018-19シーズンは、公式戦で8ゴールを決め、ますます止めの利かない選手となっている。

試合開始から数分からは歩行をするだけで試合から消えていることが多いが、これは周囲を観察してこれから起きることを予測するためだと言われている。90分間においても走行距離が他の選手とべて少なく、多くの時間を歩いている。これも首を振りながら状況を観察し、頭の中に速に地図を作るためであると言われている。そして、ボールを受けた間にすぐにスイッチを入れ、一トップギアに入れるスタイル確立させているためである。自身のエネルギーを攻撃に全て集中させることであの圧倒的な個人を発揮している。ただし、守備への貢献がほとんどないため、チームの守備が不安定になる原因にもなっている。

個人成績

シーズン クラブ リーグ 試合 得点
2003ー04 バルセロナB セグンダ 5 0
2004ー05 バルセロナB セグンダ 17 6
バルセロナ ラ・リーガ 7 1
2005ー06 バルセロナ ラ・リーガ 17 6
2006ー07 バルセロナ ラ・リーガ 26 14
2007-08 バルセロナ ラ・リーガ 28 10
2008ー09 バルセロナ ラ・リーガ 31 23
2009-10 バルセロナ ラ・リーガ 35 34
2010-11 バルセロナ ラ・リーガ 33 31
2011-12 バルセロナ ラ・リーガ 37 50
2012-13 バルセロナ ラ・リーガ 32 46
2013-14 バルセロナ ラ・リーガ 31 28
2014-15 バルセロナ ラ・リーガ 38 43
2015-16 バルセロナ ラ・リーガ 33 26
2016-17 バルセロナ ラ・リーガ 34 37
2017-18 バルセロナ ラ・リーガ 36 34
2018-19 バルセロナ ラ・リーガ 34 36
2019-20 バルセロナ ラ・リーガ 33 25
2020-21 バルセロナ ラ・リーガ 35 30
2021-22 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 26 6
2022-23 パリ・サンジェルマン リーグ・アン 32 16
2023 インテル・マイアミ MLS 6 1

おもな個人タイトル

エピソード・人物

関係者による評価

「彼ほど飛びぬけた才の前には戦術も監督も関係ない。」
「メッシのプレーを見ることができるのは、このうえない贅沢だ。」

ジョゼップ・グアルディオラ

「彼は子供の姿を持ち続ける素晴らしい選手だ。彼を見ていると、思わずほほえんでしまうよ。」

ヨハン・クライフ

「今の彼は世界最高の選手だ。テーブルサッカーをやってるかのようだ。」

ディエゴ・マラドーナ

「彼が史上最高の選手だよ。この間だけでなく、歴史上においてもだ。」

シャビ・エルナンデス

「メッシがフィジカル的に100%であれば、止めることは不可能と言わざるを得ない。」

カルロ・アンチェロッティ

「いろいろな賞で彼をべるのはバカげたことだ。彼のような選手は過去にもいなかった。」

ルイス・エンリケ~

「メッシは私が現役時代に一度もできなかったプレーを、1試合のうちに4、5回やっている。」

ガリー・リネカー

「彼は3日おきにゴールを決め、アルゼンチン代表でもプレーし、時差ボケのまま戻ってきてもゴールを決めるんだ。」

セスク・ファブレガス

「この世に2人の史上最高の選手は存在しない。一の存在であり、それがメッシだ。」

エデン・アザール

関連動画

メッシの5人抜きとマラドーナの5人抜きの較はこちら。

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