ロドニー・ペドラザ(Rodney Pedraza、1969年12月28日-)とは、アメリカ合衆国出身の元プロ野球選手(投手、劇場型守護神)である。
よく間違われるが、「ペトラザ」ではない。「ペドラザ」である。
OB | |
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ロドニー・ペドラザ Rodney Pedraza |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | テキサス州 |
生年月日 | 1969年12月28日 |
身長 体重 |
186cm 98kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1991年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1999年に福岡ダイエーホークスに入団。先発要員としての獲得だったが、城島健司の進言でリリーフに回り、5月に初セーブを挙げると、藤井将雄、吉田修司、篠原貴行と強力無比な勝利の方程式を形成。48試合に登板し、3勝1敗27セーブ、防御率1.98という好成績を挙げ、ダイエー初の優勝・日本一の胴上げ投手となった。
2000年も渡辺正和、吉田、篠原らとともに奮闘。51試合で3勝4敗35セーブ、防御率2.15の成績でセーブ王のタイトルを獲得。リーグ連覇の原動力となる。35セーブは当時のリーグ最多タイ記録。この2年間は絶頂期で、非常に安定感のある優秀な守護神だった。
2001年からは勤続疲労による球威・制球の低下で徐々に雲行きが怪しくなる。この年は54試合で4勝4敗、34セーブを挙げ2年連続のセーブ王に輝いたのだが、防御率は3.65。99年には0、2000年は3だった被本塁打が10に激増するなど、前年までの安定感は消え失せ、劇場型守護神として名を馳せることになった。ロッテファンの間で伝説となっているボーリックナイトはそれを象徴する出来事といえる。
2002年も力の衰えは隠せず、岡本克道らが抑えを務める場面も増え、34試合で1勝2敗21セーブ、防御率3.30という成績に終わる。本人は翌年もダイエーでのプレーを希望していたが年俸面で折り合わず、この年限りで退団。
2013年、衰えが明らかだったにもかかわらず、読売ジャイアンツが獲得。河原純一に繋ぐ中継ぎ、河原の代役の抑えとしての獲得だったが当然のように炎上し、6月には右肩痛で帰国、そのまま解雇された。
全盛期でも速球は140km/h台で剛球タイプではなかったが、球持ちの良さと制球力の高さ(2000年は年間で僅か4四球)、変化の大きい縦スライダーを武器に活躍した。ダイエー時代に挙げた通算117セーブは当時の球団記録(のちちに馬原孝浩が更新)。連覇時の神っぷりと2001年以降の劇場神っぷりの落差が激しいが、最高の助っ人クローザーは誰か?という話では今でもよく名前が挙がる。
ちなみに、『ドカベン プロ野球編』に登場したことがある珍しい外国人選手(権利関係が複雑なので普段は滅多に外国人選手は出てこない)。
通算:5年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
NPB | 194 | 0 | 0 | 0 | 12 | 12 | 117 | - | .500 | 202.0 | 30 | 126 | 73 | 67 | 2.99 |
タイトル | ||
---|---|---|
最優秀セーブ投手 | 2回 | 2000年、2001年 |
表彰 | ||
月間MVP | 1回 | 1999年6月 |
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最終更新:2024/04/24(水) 22:00
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