中後悠平 単語

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中後悠平(なかうしろ ゆうへい、1989年9月17日-)とは、大阪府出身の元プロ野球選手投手)である。

概要

近畿大学2年の頃から頭を現し、関西トップ大学生左腕としてドラフト1位補となる。2011年ドラフト会議では2位千葉ロッテマリーンズ名され入団。背番号16。

ロッテ時代

2012年オープン戦で結果を残し、中継ぎで開幕一軍入り。開幕2戦東北楽天ゴールデンイーグルス戦で、いきなり1点リードの8回裏1アウト満塁という場面でプロ登板聖澤諒内村賢介二者連続三振って取る鮮デビューを果たした。その後は中継ぎとして同じルーキー益田直也とともに奮闘、4月22日埼玉西武ライオンズ戦でプロ勝利も挙げたが、与四球率5.75と四球から崩れる場面が立ちはじめ、6月二軍落ちし、後半戦はほぼ二軍暮らしになった。最終的な成績は27試合で2勝0敗5ホールド防御率4.87。


2013年は去年と変わらず四球から崩れる場面が多く、後半戦は一軍に上がることなく1年を終えた。この年のオフ西武からFA移籍してきた涌井秀章の入団により背番号13に変更することになった。


2014年2013年と同様、5試合の登板に終わった。


2015年二軍で26試合に投げたが一軍登板く、10月3日戦力外通告を受けた。

シーズンオフ11月に行われたトライアウトではNPBチームからのがかからず、BCリーグ武蔵ヒートベアーズへの入団が決定。背番号11。
この一連の状況をTBSで毎年年末に放映される、戦力外通告をされたプロ野球選手を追うドキュメント番組「プロ野球 戦力外通告を受けた男達」で取り上げられた。

マイナー時代

2016年1月、「プロ野球 戦力外通告を受けた男達」を見たMLB関係者が、中後の変則的なサイドスローとそこから繰り出される速球に着し、その紹介MLB3チームスカウトが中後の練習を見学。その結果アリゾナ・ダイヤモンドバックスが中後にスプリングトレーニングへの参加を打診し、所属が決まっていた武蔵ヒートベアーズの同意のもと、スプリングトレーニングに参加することとなった。
この間、プロから戦外になりその後も野球を続けることを決めた背景に、義(夫人の)の支えがあったという(後述のエピソードを参照)
スプリングトレーニングを経て3月ダイヤモンドバックスマイナー契約ルーキーリーグからのスタートとなったが、同年のうちに1A級、2A級、3A級と順調に昇格を続けた。

2017年マイナー契約スタート防御率2点台と好成績を収めメジャー昇格まであと1歩まで迫っていたものの、昇格することなくシーズンを終えた。

2018年も引き続きマイナー契約となるが、2A所属で防御率5.29という成績で、シーズン途中となる6月自由契約となった。

DeNA時代

マイナーから自由契約となり日本へ帰すると、左腕の中継ぎを欲していた横浜DeNAベイスターズからの誘いで6月29日に入団テストを受ける。その日のうちに高田繁GM(当時)から獲得の意向を示され、7月4日チームから獲得が発表された。背番号は91。
一軍と二軍を行き来する生活だったものの、8月には対中日戦で同点に追いつかれた5回途中から先発平良拳太郎の後を引き継ぎ、ピンチを抑えてヒーローインタビューにも選ばれた。
この年は8試合の登板に留まった。防御率は3.60。


2019年は4試合の登板に留まり、10月1日戦力外通告を受け、現役を引退した。

引退後

2020年からはDeNAの球団職員となり、営業部に配属。選手が引退直後に営業部の職員になるのは球団初だとか。

プレースタイル・人物

リークォーターとサイドスローを使い分ける変則フォームから、最速151km/hの速球とスライダーを中心に多変化球を駆使する。しかしコントロールがよろしくない。
ドラフトの時は上位補に挙げられたが1位名に名前が挙がらず「なんでがこの(1位名の)中に入ってないんですか」と漏らすなど、強気で負けず嫌いな性格である。

特にノーコンは深刻であり、一軍では25回登板して27四死球を与えている。WebSportivaの記事exitによると、近畿大時代に既に

左打者のライバルたちから「ボールが抜けてきそうで怖い。絶対に対戦したくない」とまで言わしめた。

と、打てないのが怖いのかノーコンによる死球怖いのかかなり怪しい評価を得ていたことが分かる。

なお、なんJなどでは後述のように妙な扱いを受けている。

オリックス中後(ロ)

発端はドラフト前、中後の際大会での投球の動画ネット上にアップされ、それを元にしたスレなんJに立ったことによる。その動画に映っていたのは、矯正の難しそうな変則フォームからとんでもないノーコンぶりを披露する中後の姿であった。

「変則左腕」「ノーコン」「ビッグマウス」「和製ランディ・ジョンソン」という地雷要素の塊っぷりに、なんJでの中後の評価は急落。上位名を言していたオリックスへ、他の11球団が全で中後を押しつける構図が発生し、ドラフト前になんJではオリックス中後が誕生。「なんJ地雷」「終身名誉地雷」の称号を得る。

実際のドラフトでは、オリックスハズレ1位社会人遊撃手安達了一名。中後は1位名からは漏れ、2位でウェーバー順が最初だったロッテ名された。このため、千葉ロッテマリーンズのオリックス中後投手というの腸捻転現が発生。巨人小笠原感が似ているためかカッスレスレが立ったり、千葉ロッテマリーンズ2位の中後悠平投手とオリックス中後は別人と言われたり、なんだかよく解らないことになった。

なお、「1位名だからこその地雷」ということもあり、中後を地雷扱いする潮はドラフト後は薄れつつあるはずだったが、キャンプインすると打撃投手としてボール球を連発、打者との間にあるネットに球をぶつけ、打者から「投げないで欲しい」と言われるなど、地雷どころかもはや見えている爆弾扱いされることになり、「マインちゃん」なる称も与えられた。しかしオープン戦に入ると先発で一度爆発炎上したものの、その後は中継ぎで好投を続け、事開幕一軍入りを果たすなど、相変わらずなんだかよく解らない投手であった。

シーズンでは前半戦は働いたものの後半戦は二軍暮らしという、地雷とも当たりとも言い切れない中途半端な成績に終わり、元々素材であったこともあって最近はこのネタで弄られることもあまりくなっている。

エピソード

成績

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
2012年 ロッテ 27 0 0 0 2 0 0 5 1.000 20.1 13 15 11 11 4.87
2013年 5 0 0 0 0 1 0 1 .000 1.0 5 0 2 2 18.00
2014年 5 0 0 0 0 1 0 0 .000 4.0 5 1 4 3 6.75
2018年 DeNA 8 0 0 0 0 0 0 1 .--- 7.1 6 4 3 3 3.68
2019年 4 0 0 0 0 0 0 0 .--- 2.2 2 1 1 1 3.38
NPB:5年 49 0 0 0 2 2 0 7 .500 35.1 31 21 21 20 5.09

関連動画

ロッテ時代

関連コミュニティ

関連項目

脚注

  1. *中後悠平、二度「戦力外」を受けた男の恩返し 理解者だった義父と突然の別れ、激動の1年(東洋経済)exit
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