今井雄太郎 単語

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今井雄太郎(いまい ゆうたろう1949年8月4日-)とは、新潟県出身の元プロ野球選手投手)であり、ローカルタレント野球解説者である。「投手」とも呼ばれた。

概要

中越高校から新潟鉄道管理局(現:JR東日本新潟支社)を経て、1970年ドラフト会議阪急ブレーブスから2位名された。当人は地生活を望み、入団を渋ったが、熱燗を口にするや気が大きくなり、入団を快諾したという。

は評価されていたもののとにかく気が弱く、入団から7年間で6勝8敗という成績しか残せなかった。8年となる1978年敗戦処理として開幕を迎えたが、5月4日南海戦(大阪球場)で先発登板を命じられた。試合前、梶本隆夫投手コーチ今井ビールの注がれたコップを差し出し、嫌がる今井理やり飲ませた。梶本は後年、「でも飲んで投げたら〝強気〟になるやろ-と思ったのは事実や。雄ちゃんはお酒が入ると、人が変わって強気になるからな」とっている。

ただ、本来ならその日が今井にとって最後の1軍の試合になる予定で、結果を残せなければ翌日から2軍落ち。そしてオフには戦力外通告。梶本は〝別れの盃〟のつもりだったという。

ところが、今井変身する。「体がカーッと熱くなって、自分でもビックリするぐらい強気になった」という。8回途中で山田久志リリーフを仰いだものの、7安打1失点で今季初勝利を挙げた。その後も2度ほど飲んでから登板したと言うが、そのうち飲まなくても強気の投球ができるようになった。

そして迎えた8月31日ロッテ戦(県営宮城球場)。ここまで今井は7勝3敗1Sをあげ、投手に成長しつつあった。この日は今季限りでの辞任を表明していたロッテオリオンズ金田正一監督仙台でのラストゲームであったが、終わってみれば内野ゴロ18、内野フライ3、三振3、捕邪飛1、外野へ飛んだ打球はわずか2つという、まさかの完全試合(史上14人)であり『昭和最後の完全試合としても知られている。さらにDH制が採用されている試合で初の完全試合であり、2022年令和4年4月10日に、令和怪物千葉ロッテマリーンズ佐々木朗希投手が、対オリックス・バファローズ戦で達成するまで、長らく破られなかった記録でもあった。

ちなみに、この日から中4日9月5日に再びロッテと対戦(西宮球場)し、金田監督から不正投球の疑いをかけられている(結果はシロ)。この日も投し、6連勝で今季9勝をあげた。

結局終わってみれば、プロ初の2桁勝利となる13勝4敗1セーブリーグ2位となる防御率2.38を記録してチームの4連覇に貢献した。

上述のロッテ戦の試合前に、阪急百貨店専務今井を訪ねてきて、完全試合の記念品を作らないかと勧めてきた。「代はいつでもいい」というので値段を確認せずに発注してしまったが、当時の年俸の半額以上となる180万円で方から大目玉を食らったという。結局オフ契約更改で年俸が倍以上に上がったため、事なきを得た。

監督が梶本に交代した翌年から2年間は成績を落とすが、上田利治監督に復帰した1981年には復調し、19勝15敗をあげて初の最多勝いた。翌1982年はまた低迷するが、1983年には15勝10敗をあげる。

そして阪急最後の優勝となった1984年4月オール投(3完封)で5勝1敗という戦績を残す絶好調で、終わってみれば21勝9敗、防御率2.93を記録して2度最多勝と初の最優秀防御率いた。実はこのシーズンキャンプでは肩痛で思い切って投げられず、仕方なくタマを放す間にだけを入れるようにした。すると、まないからタマのキレも良くなり、コントロールもついた。「高知キャンプで肩を痛めたのがかえって良かったわ。人生何が幸いするか分からんもんや。」とは本人の談。

1985年も12勝13敗をあげるが、これが最後の2桁勝利となった。

その後も球団がオリックスに譲渡された後まで在籍し続けたが、1990年シーズンを未勝利で終えると球団から引退を勧められる。これを拒否して矢野投手との交換で福岡ダイエーホークスに移籍し、1991年5月9日オリックス戦(平和台球場)でシーズン勝利をあげるが、結局この古巣からの勝利が現役生活21年における最後の勝ちとなった。 

ダイエー移籍とともに夫人の実家のある佐賀県生活拠点を移した。引退後にサンテレビ解説者になる一方でローカルタレントとしても活躍、2016年まで福岡放送人気番組「ナイトシャッフル」にレギュラー出演していた。また、夫人が生前に切り盛りしていた食堂ゴットマザー イマイ」(佐賀駅前)を引き継いでいたが、残念ながら2017年9月22日閉店してしまった。

水島新司「あぶさん」にやたらと登場が多くもはやキャラの一人になっている。

山田久志今井について、「実のある投手が自信をつけるとこうなる。雄ちゃんはもともと実があった。3種類に変化するシンカーなんても投げられない。そこへ完全試合で自信をつけた。もう〝棒〟ですよ」と評している。

成績

通算投手成績

通算:21年 登板 先発 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 439 274 104 18 130 112 10 --- .537 2030.0 625 870 1097 966 4.28

タイトル・表彰・その他

タイトル
最多勝 2回 1981年1984年
最優秀防御率 1回 1984年
ベストナイン 1回 1984年
MVP 2回 1983年6月1984年4月
その他
完全試合 1回 1978年8月31日
オールスターゲーム出場 4回 1979年1981年1983年1984年

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