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保守

保守(ほしゅ)とは、状態を保ち守ること。悪化しないように維持する事などをす。守旧ではない。

また、以下の意味などでも使われる。

概要

保守とは、既存の価値・制度・信条などを「破壊」する「敵」が存在した時に顕在化する。

 最近の日本では、インターネットや一部の雑誌メディアを中心に、保守を再評価する動きがみられる。戦後保守を経験していない40代以下の世代が「保守覚める」といった様態をとることも多い。

保守の思想

保守思想は、歴史の中で個人が果たすべき責任を最も重視する。

先人から伝えられたものは、数多くの人々によって培われ、長い歴史検証に耐えて生き残ってきたものである。伝えられて今あるものは極めて「よい」ものであるはずだと考える。したがって、

  1. まず、先人から伝えられたものを後人に伝えることこそが個々人の果たすべき最も基本的な責任であると考える。
  2. 一方で、伝えられたものを後人に伝えるにあたり、自らが善を施すことを否定するものではない。
    伝えられたものが「よい」ものであるのは、多くの先人が善を積み重ねてきたからである。善の全否定は、伝えられるもの自体の価値の否定につながる。
    伝えられたものは「よい」ものなので、善はそれを根本的に変えるようなものであるはずはない。したがって、個々人が施す善はごく小さい。しかしそれでも価値があると考える。

次のような言い方もできる。

例えば地震が起きたとき、それに対処する持ち札(具)は過去からやって来る。その具の使い方も過去を知ったほうが成功率は高い。だからこそ先人から伝えられたもの(伝統)を尊重する。

保守と宗教

 歴史・伝統・文化に対する敬意、先祖への尊敬などは、歴史ある宗教と容易に結び付く。実際に、欧ではキリスト教との、日本では神道、そして、天皇陛下との結びつきが見られる。

特に日本では、天皇陛下への尊崇保守に不可欠のものと考える、あるいは、陛下への尊崇から保守思想が始まると考える思想も多い。そのような思想の中には、陛下に対する異なる考え方に対して不寛容である者も多く、実際、そのような考え方の違いから分裂することも多い。

日本の保守の歴史

ここでは日本の「保守」について時代を追って説明する。
 明治新政府立前後、日本ロシア(後のソ連)、清(後の中国)という大に隣接しながら、大航海時代の延長にある植民地義の猛威にされつつあり、諸外由来の宗教布教や通商行為の名のもとに、様々な圧産業革命以後に顕著に成っていた。
 時の徳幕府は制度疲労を起こし、抜本的に日本は幕体制に依らない形で、天皇の元に挙一致すべく内戦が勃発、新政府が勝利し現在に至る。すなわち、これが現在の形の保守の始まりである。

 やがて、ロシア帝国(今のロシア)などで「虚無党」なる一や、プロイセン内(今のドイツ)で左翼イデオロギーの祖となる思想などが発生し、直後からそれらの「外患」の息の掛かった明治政府打倒の策謀が日本国内でも起こり、既存の宗教の否定や新興宗教の発生、農本義者による自治権(地方自治)の移譲、共産党(後の日本共産党)の暗躍(経営者と労働者の対立を扇動etc)、日本義を標榜する右翼団体の乱立、諸による議会制の否定などが、昭和20年を経てしばらく続いていた。

そして戦後共産党社会党の活動が合法と見做され、また保守右翼政党も乱立する事態となっていた。しかし1955年社会党の右・左が合併し与党第一党となり、それに危機感を覚えた財界の要望もあり日本民主党自由党が合併し自由民主党となり、与党第一党となる。多党連立政権(自民党社会党新党さきがけ1994年)に交代するまでいわゆる55年体制が続くこととなった。ちなみに自民党とは、日本自由(Liberal)と民主主義(Democratic)を守るという保守である。

論壇界の保守1960年学生運動が活発であり、岩波の「世界」などが導する左翼思想、後の全共闘運動革マル派中核派連合赤軍などの極左暴力集団全盛期だったころ、それに対抗する、戦前の肯定や戦後民主主義平和憲法(ヤルタポツダム体制)に対する批判スタンスの、「諸君!」が1969年5月に創刊された。

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