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南京事件

曖昧さ回避

南京事件とは、

  1. 1913年に発生した袁世凱の部下の軍隊による日本人・襲撃事件
  2. 1927年に発生した革命軍による外領事館・居留区襲撃および英米海軍による報復攻撃事件。ソ連共産党の関与とされ、蒋介石による上海での反共クーデター(四・一ニ事件)と中ソ断交に至る。日本は’20年の尼港事件での反から抵抗を貫いたものの犠牲者が出たため、後に続く同様の事件(口事件、済南事件)ともども中国に対する強硬干渉路線へと世論を傾かせていく。
  3. 1937年に日本軍による南攻略後に発生したとされる、軍民への虐殺・襲撃事件。この項で解説
  4. 1976年の周恩来追悼集会から発展した大規模な反文革デモ(三・ニ九事件、南文革運動)。北京に飛び火し(四五運動)、それを四人組の導する当局が弾圧した(第一次天安門事件

本記事においては、(3)の1937年の事件について記述する。

概要

日本軍日中戦争支那事変)中の1937年12月中国の南を陥落させた後、6週間から2ヶに渡り、日本兵が中国側の投降兵(捕虜)および一般市民虐殺し、また略奪・強姦放火拉致等を行ったとされる事件のことである。その中でも虐殺行為が起こったことに重点をおき、南京大虐殺南京虐殺と呼ぶこともある。また、中国では京大屠殺とのみ呼ばれている。

日本政府の公式見解は、1937年に南日本軍が陥落させた際、多くの非戦闘員を殺したり略奪を行ったことは否定出来ないとしつつ、その被害者数については諸説あり、政府としてどれが正しいか認定するのは困難である、としている。

その期間や規模に関しては、外交問題も絡んで長年にわたり日中双方の論議の対となっている。Wikipediaでも南京事件の記事の他、南京大虐殺論争という独立記事が立てられているほどである。

特に論争の的となりやすいのが日本兵の虐殺による犠牲者数であり、中国共産党などは「30万人以上」という見識を発表している。なおこの見解は日本の研究者の間では基本的に支持されていない。
日本の研究者の間でも、「10~20万程度」(笠原十九ほか)、「数万程度」(ほか)、「数千程度」(畝本正己ほか)、等と様々な見解を持つ者がいる。

政治家の発言

2012年現在東京都知事を務めている石原慎太郎1990年アメリカの雑誌「プレイボーイ」の取材で南京大虐殺に関して、「日本人が南で大虐殺を行ったといわれるが、事実ではない中国人作り上げたお話でありうそだ」と述べたことがある。

また2012年2月には名古屋市長を務める河村たかしが、姉妹都市関係を結んでいる南委員会幹部との対談で「いわゆる南京事件はなかったのではないか」と述べ、中国側から抗議を受けた。この時、先述の石原知事は河村市長を擁護している。

なお先述したとおり、日本政府・外務省公式見解は「南での虐殺・略奪行為があったこと」を否定してはいない。

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