原爆ドーム 単語

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原爆ドームとは、広島県広島市にある被爆建築物である。旧名「広島県産業奨励館」。ユネスコ世界遺産

概要

あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、恐るべき原爆を世に訴えてくれるのだろうか

―被爆者の少女、楮山ヒロ子(翌年放射線障害による白血病で死去)の日記より―

原爆ドーム
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広島市中区、元安ほとりに佇む煉瓦造りの建物の遺構。大正時代建築され、広島文化・産業をアピールする場として賑わっていたが、1945年8月6日、至近距離で炸裂した原子爆弾の爆と熱線の直撃を受けて、奇跡的に持ち堪えたドーム部分と外を残して破壊された。

戦後は取り壊しが検討されたこともあったが、原爆の惨禍を後世にり継ぐシンボルとしての保存をめるが次第に高まり、1966年広島市によって永久保存が決定された。以降は定期的に現状保存のための工事が行われている。現在では反核運動平和運動徴として内外から多くの人々が集まるほか、1996年ユネスコ世界遺産負の世界遺産)として登録されたこともあり、広島にとっては重要な観光にもなっている。

歴史

原爆投下まで

1915年、チェコ建築家ヤン・レッツェルの設計に基づいて建築された。当初は「広島県物産陳列館」と呼ばれ、広島県産の様々な物品が紹介されたほか、1919年には似に収容されていたドイツ人捕虜のカールユーハイムが日本で初めてバウムクーヘンの製造・販売を行い好評を集めたという。

その後「広島県立産業陳列所」「広島県産業奨励館」と名前を変えながら、産業・文化の発信地として広島の発展を支えた。また西欧モダンな佇まいから観光名所としても賑わいを見せていたが、戦争化に伴いそうしたやかさは失われていき、1945年4月以降は行政機関事務所建物として利用されていた。

被爆

1945年8月6日午前8時15分、産業奨励館の東150m・上約600mの地点でアメリカ軍が投下した原子爆弾が炸裂した。産業奨励館の大部分を含め周辺の建物は凄まじい爆と熱線にされく間に瓦礫の山と化したが、産業奨励館のドーム部分だけは以下のような条件が重なったため奇跡的に外形を留めた。

  • 衝撃波がほぼ直上から襲いかかったため、横方向に吹き飛ばれずに済んだ。
  • 製のドーム屋根が一で溶け、ドーム内部に多く設えられたから爆が抜けていった。
  • 煉瓦造り(一部筋)であったため、熱線やその後の火災で焼失することがなかった。

だが爆が通り抜けたドーム部分の内部は跡形もなく吹き飛び、本館も含め中に居た人間は皆行方知れずとなった。衝撃波と熱線、そして大量の放射線によって全員即死したものと推測されている。

保存か撤去か

終戦からしばらくの間、産業奨励館跡はそのまま放置され、人々はこのドームを頭に乗せた遺構をいつしか原爆ドームと呼ぶようになっていた。やがて復が進み、平和記念都市としての整備計画が持ち上がるようになると、次第に劣化・崩壊しつつある原爆ドームを修復して保存すべきか、それとも撤去すべきかが問題となった。

保存は爆心地付近の重な被爆建造物である原爆ドームをシンボルとして残すことで、原爆の惨禍を後世にり伝え、平和への礎にすべきだと訴えた。撤去は原爆ドームが被爆者のトラウマらせるとしたほか、中には倒壊を免れた原爆ドームがシンボルでは原爆の惨禍が過小評価されかねないとの懸念を表明するもあった。

当時の広島での世論調査では保存が6割から7割程度で優勢だったが、保存には費用がかかることから行政は消極的で、撤去もしないが保存工事もしないという曖昧な態度を取っていた。しかし冒頭で挙げた少女・楮山ヒロ子が遺した日記を読んで感銘を受けた「折鶴の会」のメンバーらが保存費用の募活動を始めると次第に保存をめるが高まり、1966年7月議会で遂に原爆ドームの永久保存が決議されるに至る。

が保存工事のための寄付を募ったところ、予定額の4000万円をえる約6600万円が内外から寄せられ、これを元手に事第1回保存工事は了した。1989年に行った第2回の募運動でも約3億9500万円が集まり、同年の第2回保存工事および2002年の第3回保存工事の費用に充てられた。

こうした保存活動の甲斐あって、被爆から約70年が経過した今日でも原爆ドームは被爆当時の姿をほぼそのまま保っている。2001年芸予地震では震度5弱の揺れに襲われたが、過去の保存工事で脂接着剤を使って煉瓦を補強しておいたことが功を奏し、奇跡的に被害を免れた。

近年は反核運動平和運動を好ましく思わない一部の団体が原爆ドーム解体を訴えて宣やデモを起こす場面も見られるようになっており、今後の動向が注されている。

世界遺産登録

1992年日本世界遺産条約の加盟となると、原爆ドームをいわゆる「負の世界遺産」として登録し、核兵器絶と恒久平和を誓う世界的なシンボルにしようとのが上がり始めた。登録申請をめる国会請願への署名者は約165万人に上り、政府1995年9月に以下の通り世界遺産登録をめる推薦状を提出した。

ドームは、人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を如実に伝えるものであり、時代を越えて核兵器の究極的絶と世界の恒久平和の大切さを訴え続ける人類共通の平和記念碑として、価値基準viに該当し、かつ同基準の「例外的な条件(in exceptional circumstances)」の要件を満たすものである。ドームのように核兵器による被爆後の惨状をそのままの形で伝えている建造物は他に存在しない。

審議では原爆投下であるアメリカが「原爆投下が太平洋戦争第二次世界大戦を終結に導いたという歴史的観点が欠落している」として登録に反発したほか、中国が「日本戦争責任を否定する論者悪用するおそれがある」として棄権したものの、最終的に1997年12月7日をもって世界遺産への登録が認められた。

日本では7番となる世界遺産であり、同時に同じ広島県にある厳島神社世界遺産に登録された。

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