古木克明 単語

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フルキカツアキ

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古木克明ふるき かつあき、1980年11月10日-)とは、横浜ベイスターズオリックス・バファローズに所属したファンタジスタであり、元格闘である。プロ野球選手時代の背番号は3→33→46。

概要

愛知県豊田大谷高校から、1998年ドラフト1位横浜ベイスターズに入団。松坂大輔の外れ1位であった。入団時の背番号は3。2002年から33。

2002年シーズン後半から打撃で頭を現し、翌2003年、開幕サードで起用され、首からは期待されていたが、125試合出場で打率.208 22本塁打 37打点 131三振(リーグ2位)、守備では20失策というファンタジスタぶりを見せつけてしまった。37打点というのは20本塁打以上の打者の最小打点記録なのではないかと思われるが未確認。ただ得点打率.121という数字を見るだけでも、その惨憺たる勝負弱さは充分にい知れる。

2004年には外野に転向するも、その守備の危うさからレギュラー奪取までは到らず、代打での出場が多くなる。
2007年オフオリックス・バファローズ大西宏明と交換トレードで移籍。外野の他、再びサードも守るようになるが一軍での出場機会には恵まれず、2009年10月3日に戦外となった。

その後トライアウトに参加するも獲得球団はく、球界を代表するファンタジスタもついに過去の物になってしまった・・・

と思ったらまさかの格闘技転向。「スマッシュ」に入団、今度は格闘技ファンタジスタっぷりを見せつけることとなる。2010年大晦日Dynamite!!で格闘デビューアンディオロゴンに敗れたものの善戦を見せた。しかし本人はこの試合で「命の危険を感じた」らしく、翌年4月に格闘として初勝利を挙げるが、そのすぐ後に格闘引退する。

そして、なんと球界復帰をして野球練習を再開。トレーニングを続けながら球界からのオファーを待っていたが、結局NPBからのオファーは届かず。戦外番組では妻と離婚したことも伝えられた。

2013年、渡独立リーグハワイスターズに入団。2009年以来4年ぶりの現役復帰を果たした。ハワイスターズでは打者として活躍、に3,4番などクリーンナップで出場し、中途入団ながら54試合で.307 2本塁打 39打点 8盗塁 OPS.870という好成績を残した。守備の方はサードレフトに守っていたようである。しかしシーズン終了後、ひっそりと再び現役引退

引退後は宮城県スポーツを通した震災復支援事業を行う一般社団法人を設立し代表を務める。さらに事業構想大学院大学に進んで経営を学び、2016年に「The Baseball Surfer」というブランドを起業。2019年からはDeNAライブ配信サービスPocochaで動画配信を始めるなど、なんかいろいろやっているようである。

サードを守ればサードゴロを一塁に送球しようとして転ぶ(後述)、レフトを守れば大阪ドームで何でもないレフトフライ測を誤り落球する等、とにかく手なやらかしが多く、現役時代は何かと守備の拙さをネタにされることが多かった。しかし、スペックとしてはそこそこ俊足強肩である。ただちょっと捕球が苦手だっただけなんだよ……うん。

エピソード

いろいろネタエピソードに事欠かない。概要のみ記載。詳しくはwikipediaも参照されたし。

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