吉見一起 単語

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吉見一起(よしみ かずき1984年9月19日-)とは、京都府出身の元プロ野球選手投手)である。プロ生活15年を中日ドラゴンズ一筋で過ごし、現在野球解説者

概要

小学校から野球を始める。

大阪高等学校では3年甲子園に出場した。

2005年トヨタ自動車から希望入団中日ドラゴンズに入団。背番号は19。

中日時代

2007年までは中継ぎ先発谷間などで4試合に登板していた。


2008年、開幕ローテーション入りを果たすと2連続完封勝利を達成するなど一気にブレイクチーム事情から中盤中継ぎに回り、オールスターも故障で出場辞退するなどしたが、最終的に10勝3敗10ホールドという好成績を残す。


2009年エース川上憲伸が抜けた先発で柱として活躍。同僚のチェン・ウェイン記録的な防御率(最終的に1.54)を残していたため微妙立たなかったが、防御率2.00(正確には1.99647…)という驚異的な安定感でコンスタントに勝ちを積み重ね、最多勝を争う。最多勝タイトル東京ヤクルトスワローズ館山昌平と16勝で分け合うこととなった。
10月22日、彼が以前から用していたにんにく注射について、中日スポーツの記事をきっかけに世界アンチドーピング機構(WADA)からドーピング疑惑がかけられたが、24日にNPBから正当な医療行為にあたるとの見解を示された。


2010年は前年ほどの安定感はなかったが、チェンと共に先発の柱として活躍し、3年連続2桁勝利となる12勝を挙げた。9月に一度抹消されるもすぐに復帰。クライマックスシリーズでは好投したが、日本シリーズでは満足いく結果が残せなかった。


2011年は故障で出遅れたが、復帰後は遅れを取り戻し、9月にはMVPを獲得。読売ジャイアンツ内海哲也と並ぶ18勝を挙げ、2度最多勝を獲得。クライマックスシリーズでは2勝、防御率0.59と活躍し、クライマックスシリーズMVPを獲得。日本シリーズでも活躍し、敢闘選手賞を獲得。


2012年開幕投手を務めたが、二度にわたって故障で長期離脱し、ギリギリで規定投球回数に届かなかった(138回2/3)。しかし13勝4敗、防御率1.75とエースとしての貫を示す数字を残し、またリーグ最多の6投をマークした。


2013年WBC代表を肘の故障で辞退。シーズンでは開幕投手を務めたが、右肘の調子が思わしくなく不安定な投球が続き、6月に右肘の靱帯再建とクリーニング手術を受け、そのままシーズンを終えた。


2015年は開幕を一軍で迎え、4月1日巨人戦で6回を失点に抑え、2013年4月13日以来の勝利を挙げた。その後は通常の投手よりも登板間隔をあけながらも投げ続け、5月30日の時点で3勝敗、防御率0.84と見事な成績を残していたが、30日の登板で右肘のりを訴えたため3回で降し、31日に登録を抹消された。
その後8月5日に再登録され、同日の横浜DeNAベイスターズ戦に登板し5回を1失点に抑えたが、翌日再び登録を抹消されシーズンを終えた。


2016年は登録と抹消を繰りかえしながらも一軍にて投げ続け、8月16日巨人戦では敗戦投手となるも2012年以来の投を記録。後半戦は100球以上投球する試合も増え、故障明けながらチームトップ131.1回を投げて6勝をあげた。


2017年は14試合に登板したが、3勝7敗と負け越した。


2018年8月10日ヤクルト戦で6年ぶりの完封勝利を挙げる。20試合に登板し、5勝7敗だった。FA権に関しては家族会議を経て行使せずに残留した。


2019年先から低調だったが、チーム先発投手4人(松坂大輔小笠原慎之介梅津晃大藤嶋健人)が怪で離脱する緊急事態に陥り、急遽開幕ローテ入り。初戦こそ好投したがその後は打ち込まれ、5試合の登板で1勝1敗に留まった。


2020年菅野智之を参考にしたフォームに変更。6月27日広島戦では5回1失点の好投でチームの5連敗を阻止する活躍を見せるが、これが現役最後の勝利となった。続く7月4日巨人戦で4回4失点KOを食らい二軍落ち、再昇格して迎えた9月13日横浜DeNA戦でも5回に息切れするなど、体力の衰えを隠せなくなった吉見はこの年限りでの引退を表明。同年11月6日ヤクルト戦を最後に現役を退いた。

引退後

野球解説者に転身。2021年より古巣・トヨタ自動車のアドバイザーを務める。

バラエティでは2021年3月TBS系列で放送された「炎の体育会TV」にくも出演。正体を隠すため現役時代では見せなかったワインドアップを披露したがバレバレだった。

プレースタイル

元々は速球だったが、2010年の肘の故障で球速が落ちて以降は130km/h台後半程度になった。しかし他の追随を許さない正確コントロールを最大の武器として中日エースの座に君臨した。「すぽると!」の現役選手100人が選ぶ「1/100企画コントロール部門では2011年2012年ぶっちぎりで2年連続1位を獲得するなど、現役選手からもその制球の評価は非常に高かった。

2013年以降は右肘の故障に苦しみ、全盛期きは取り戻せないまま現役引退となったが、現役晩年は高めのストレートフロントドアを積極的に使うなど、モデルチェンジに励んでいたようである。

成績

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
2006年 中日 4 2 0 0 1 0 0 0 1.000 13.1 3 10 4 4 2.70
2007年 5 4 0 0 0 1 0 0 .000 14.2 7 14 14 12 7.36
2008年 35 14 3 2 10 3 0 10 .769 114.1 25 82 46 41 3.23
2009年 27 25 5 4 16 7 0 1 .696 189.1 33 147 52 42 2.00
2010年 25 25 1 1 12 9 0 0 .571 156.2 25 115 67 61 3.50
2011年 26 25 5 3 18 3 0 0 .857 190.2 23 120 38 35 1.65
2012年 19 19 6 2 13 4 0 0 .765 138.2 13 76 28 27 1.75
2013年 6 6 0 0 1 4 0 0 .200 36.1 10 29 19 19 4.71
2014年 3 3 0 0 0 1 0 0 .000 15.0 2 6 8 7 4.20
2015年 8 8 0 0 3 0 0 0 1.000 48.0 12 39 5 5 0.94
2016年 21 21 1 0 6 7 0 0 .462 131.1 27 81 49 45 3.08
2017年 14 14 0 0 3 7 0 0 .300 75.2 14 38 49 44 5.23
2018年 20 20 1 1 5 7 0 0 .417 125.2 24 61 54 54 3.87
2019年 5 5 0 0 1 1 0 0 .500 19.2 4 17 14 14 6.41
2020年 5 5 0 0 1 2 0 0 .333 17.2 3 10 11 11 5.60
NPB:15年 223 196 22 13 90 56 0 11 .616 1287 225 845 458 421 2.94

※ただし、2020年の5登板のうち1登板引退試合で、打者(山崎太郎)1人に投げて交代。

タイトル・表彰・その他

タイトル
最多勝利 2回 2009年2011年
最優秀防御率 1回 2011年
最多勝 1回 2011年
最優秀バッテリー賞 1回 2011年谷繁元信
最優秀投手 1回 2011年
クライマックスシリーズMVP 1回 2011年
MVP 2回 2011年9月2012年8月
ベストナイン 1回 2011年
その他
開幕投手 3回 2010年2012年2013年

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