大嶋匠(おおしま たくみ、1990年2月14日-)とは、群馬県出身の元プロ野球選手(捕手)である。
早稲田大学ソフトボール部からドラフト指名された異色の選手だった。
OB | |
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大嶋匠 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 群馬県前橋市 |
生年月日 | 1990年2月14日 |
身長 体重 |
180cm 95kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 捕手 |
プロ入り | 2011年ドラフト7位 |
引退 | 2018年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
小学校までは野球をしていたが、中学校に野球部が無かったためソフトボール部に入り、新島学園高校で高校総体・国体優勝。2008年、ソフトボールU-19日本代表で4番を務め、早稲田大学ソフトボール部では公式戦で13試合連続本塁打という記録をマーク。ソフトボール界では知らぬ者のいない強打者である。
2011年のプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズから7位指名を受けた。軟式野球や準硬式野球からのプロ入りは過去に大野豊や土橋正幸、最近では青木勇人などがいるが、ソフトボール選手のドラフト指名は史上初。硬式野球経験ゼロという異例ずくめの指名に、一躍大きな注目を浴びることになった。11月2日に、この年ドラフト指名された選手で最初に仮契約を果たし、正式にプロ野球選手となった。
2012年(1年目)の沖縄キャンプでは、プロ初の実戦となる紅白戦に8番指名打者で出場、植村祐介から初スイングでバックスクリーン直撃の本塁打を放つ鮮烈なデビューを飾る。その後も数試合は結果を残し大きな注目を集めたが、徐々にヒットが出なくなり、オープン戦序盤で二軍落ちした。シーズンでは二軍で60試合に出場、打率.199、3本塁打。
2013年は右手首を負傷し、手術を受けた。この年も一軍昇格はなかった。フェニックスリーグでは斎藤佑樹との連携がチグハグで、斎藤から「中嶋さんと大嶋は捕手の経験値が違う」と苦言を呈された。
2014年シーズン終盤に一軍に昇格し、1試合1打席だけ出場した。
2016年5月31日の東京ヤクルトスワローズ戦でプロ初安打、6月27日の埼玉西武ライオンズ戦でプロ初打点を記録した。
2018年は2試合の出場に留まり、戦力外通告を受けて現役を引退した。
弟が勤務する群馬・高崎市役所にて、2019年4月に臨時職員として採用される。
さらに12月上旬に高崎市の職員採用試験を受験し、倍率30.9倍を突破し合格。
2020年4月から正規職員となった。
高崎市役所ではソフトボール部に所属し、母校の新島学園時代に汗を流した仲間らとともに一塁手としてプレーをしている。
年度 | 球団 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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2014年 | 日本ハム | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | .000 |
2016年 | 12 | 17 | 15 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 2 | 0 | .200 | .235 | |
2018年 | 2 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | .000 | |
NPB:3年 | 15 | 20 | 18 | 1 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 3 | 0 | .167 | .200 |
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最終更新:2024/04/19(金) 16:00
最終更新:2024/04/19(金) 16:00
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