「山田有栄」(やまだ・ありなが 1578 ~ 1668)とは、戦国時代から江戸時代にかけて薩摩国島津氏に仕えた武将であり、黄金の鞘の持ち主である。
父が豊臣秀長率いる九州征伐軍に降伏した際に人質となり、主家復帰後は「文禄・慶長の役」や伊集院忠真のおこした「庄内の乱」や「関ケ原の戦い」に参加して抜群の軍功を立てた。
※「山田晏斎覚書」と言う関ケ原での島津家の立場を著す書類を残している。
関ヶ原から生還後、島津家の家老となり、治世につとめた他、島原の乱に島津家の名代たる総大将として参加する等、戦国後期の激戦に参加しながらも90歳まで生きて畳の上で死んだ名将である。
山田有栄の佩刀は純金製で鞘までも黄金で出来ている豪華なものであった為、家中では「見栄っ張り」と陰口を叩かれていたのだが、島津義弘の元に駆けつけて参加した関ヶ原の戦いにおいて「島津の退き口」と呼ばれる中央突破&退却に参加し、無事、東軍の囲みを突破したものの、敵に見つからぬ様に逃亡する際に味方が困窮する最中、自慢の黄金の鞘を売って路銀に替えて島津義弘一行は無事薩摩まで帰還できたと言われる。
この逸話により、「見栄っ張り」と陰口を叩く者はいなくなり、「有事のために普段から備えている立派な武人」と褒め讃えられるようになり、薩摩藩では、普段は貧しくとも有事の為の貯蓄をする事が流行ったと言われている。
※そんな粋なところのある武人山田有栄だが、「信長の野望」ではチート一族の後期武将な為かDQN当主の島津忠恒に比べると低め(といても副将クラスとしてはなんとか使える平坦な)能力設定がされており、登場が遅いこともあって、架空戦記系動画でもあまり見かけない人物である。
Ver2.0で参戦。コスト比武力4を満たす武闘派。
計略「弥九郎の武」は範囲内の敵の武力を上げ、その数によって自分の武力を上げる計略。一定以上で貫通効果も付与される。要するに真柄直隆の銃版。
「仁義なき兵を、一刀両断に這え落とす!」
Ver3.0ではコストが上がって気合を得た。
「死地の鞘売り」は島津の闘痕計略で闘痕進行度が高い程味方の武力が上がる。2段階目の味方に使えば長時間の高武力采配になるが、その場合は闘痕の仕様上終了時味方が撤退してしまうので、出来れば闘痕を消す武将と一緒に使いたい。
▼山田有栄が配下30人を引き連れて島津義弘に合流した関ヶ原の戦い
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||||
覇王伝 | 采配 | - | 戦闘 | - | 智謀 | - | 政治 | - | 野望 | - | ||||||
天翔記 | 戦才 | 158(A) | 智才 | 120(B) | 政才 | 146(A) | 魅力 | 66 | 野望 | 67 | ||||||
将星録 | 戦闘 | 75 | 智謀 | 69 | 政治 | 75 | ||||||||||
烈風伝 | 采配 | 56 | 戦闘 | 61 | 智謀 | 66 | 政治 | 65 | ||||||||
嵐世記 | 采配 | 49 | 智謀 | 60 | 政治 | 56 | 野望 | 25 | ||||||||
蒼天録 | 統率 | 52 | 知略 | 61 | 政治 | 63 | ||||||||||
天下創世 | 統率 | 53 | 知略 | 61 | 政治 | 63 | 教養 | 63 | ||||||||
革新 | 統率 | 67 | 武勇 | 59 | 知略 | 68 | 政治 | 69 | ||||||||
天道 | 統率 | 67 | 武勇 | 79 | 知略 | 68 | 政治 | 69 | ||||||||
創造 | 統率 | 68 | 武勇 | 73 | 知略 | 73 | 政治 | 67 | ||||||||
大志 | 統率 | 66 | 武勇 | 72 | 知略 | 73 | 内政 | 66 | 外政 | 71 |
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最終更新:2024/04/18(木) 20:00
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