平面説神話(Flat Earth myth; Myth of the flat Earth)とは、中世ヨーロッパ社会において地球平面説が流布しており、人々の間で広く信じられていたというのは全くの誤認識であるとし、これを「よくある誤解」(common misconceptions)の一つに数える人々が、こうした認識が広まってきた状況に対して名付けた名称である(原発の「安全神話」と類似の命名法)。「地球平面説という神話」とも。
地球が平面であるとする言説自体については「地球平面説」の記事へ。
当記事では
「多くの中世ヨーロッパの人が『地球が平面だった』と信じていた」、というのは誤解である
とする説について述べる。
中世ヨーロッパ社会では地球平面説が広く受け入れられていたという認識は現代では常識として語られている事が多く、例えば「コロンブスは地球は平面であると信じる人々に地球は丸いと説いた」と言ったようなエピソードが広く知られている。こうした逸話は教育現場にもみられ、高校世界史の教材に平面説神話に基づいた記述がなされている他、西洋史と関係のない書籍でも喩え話として中世ヨーロッパで地球平面説が信じられていたという話が紹介されている。
平面説神話はこうした認識を間違いであるとし、そのような中世社会のイメージは近代に入って捏造されたものであるとの説を唱える人々によって名付けられた用語である。
アメリカの歴史家であるサミュエル・モリソンは自著『アメリカの歴史』の中で以下のように述べている。
「ホメロスとヘロドトスは世界を平面の円盤で大洋に囲まれているとみた。しかし紀元前六世紀のピタゴラス派の哲学者たちは、球体説を唱えた。アリストテレスはこの説を支持した。(中略)中世の神学者たちは、球はもっとも完全な形態であるから、神は世界を球状に作ったに違いないという議論を付け加えた。中世の大学に入った若者はみな地球は丸いと教えられた。コロンブスは、地球は丸いと主張して議論する必要はなかった。もちろん無教養の大衆や海から遠い奥地の平野に住んでいた人びとは、あいかわらず地球は平面であると考えていた」
コロンブスがアメリカ大陸を「発見」した1492年にはエルトアプェルErdapfelと呼ばれる現存する最古の地球儀が制作されており、これは1475年にローマ教皇シクストゥス4世が思い描いた地球儀に沿ったデザインであるという。
また13世紀の天文学者ヨハネス・ド・サクロボスコは『天球論』で地球が球体である事を明確に記述しており、同書はその後4世紀にわたって西ヨーロッパの学生のテキストとして用いられたという。同じく13世紀イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリの『神曲』でも、地球が球体である事が前提となっている記述がみられる。
地球球体説は当時の教会関係者や学者といった知識層のみならず、航海士の間でも常識として知られていたという。19世紀に何らかの思惑が働いた結果こうした誤認識に基づく説が流布された、というのが平面説神話を訴える人々の主張である。
◆平面説神話を訴える研究者・科学者達からは次のような発言が為されている。
デヴィッド・リンドバーグとロナルド・ナンバースDavid Lindberg and Ronald Numbers「中世のキリスト教徒の学者で〔地球が〕丸いことを認めず、地球の近似的周長を知らないものなどほとんどいなかった」"there was scarcely a Christian scholar of the Middle Ages who did not acknowledge [Earth's] sphericity and even know its approximate circumference"
ステファン・ジェイ・グールドStephen Jay Gould「(古今の社会一般において私達の住む惑星がどのように概念化されたかはさておき)学者たちの間で『地球平面説が信じられた暗黒時代』など存在しない。古代ギリシア以来の地球が球体であるという知識が消え去ったことなどなく、中世の主だった学者は皆、宇宙論上確立された事実として地球が丸いことを支持していた」 "there never was a period of 'flat Earth darkness' among scholars (regardless of how the public at large may have conceptualized our planet both then and now). Greek knowledge of sphericity never faded, and all major medieval scholars accepted the Earth's roundness as an established fact of cosmology."
ジェフリー・バートン・ラッセル「稀な例外を除けば、紀元前3世紀以降の西洋文明の歴史に連なる教養人で地球が平面だと信じたものなどいなかった」
◆また、創造説や創造科学の立場からヤング・アース派に立つ人々の間からは以下のような主張が為されている。
「過去200年余りに渡り、多くの反キリスト教主義者は下卑た虚偽に頼ってきた; 初期、そして中世のキリスト教会は地球が平らだと教えてきたというものである。」
For the last 200 years or so, many anti-Christians have resorted to a scurrilous lie (acting consistently with their worldview1): that the early and medieval Christian Church taught that the earth is flat.
[米サイトcreation.comのThe Flat Earth Mythより]
「平面説神話はリベラル達がキリスト教徒を貶めるために歴史を上書きしようと試みてきた内の一例である。」
The Flat Earth Myth is an example of liberals trying to rewrite history to slander Christians. The myth was perpetrated by evolutionists in the 19th century, painting the medieval Catholic Church as "believing in the flat Earth". This was not the case however, as it was well known since ancient times that the Earth was round. This is shown by the fact that sailors would be unable to navigate properly if they held a belief in a flat Earth.
[米サイトconservapedia.comのFlat Earth Mythの項目より]
Wikipediaの「地球平面説」の項目では次のように記述されている。
古代の多くの文化で地球平面説がとられており、そのなかには古典期に入るまでのギリシア、ヘレニズム期に入るまでの青銅器時代~鉄器時代の近東、グプタ朝期に入るまでのインド、17世紀に入るまでの中国がある。地球平面説は典型的にはアメリカ先住民の文化でも受容されており、逆さにした鉢のような形状の天蓋がかぶさった平面状の大地という宇宙論は科学以前の社会では一般的である
地球球体説というパラダイムはピュタゴラス(紀元前6世紀)によって生み出されてギリシア天文学において発展したが、ソクラテス以前の哲学者はほとんどが地球平面説を維持していた。紀元前330年頃にアリストテレスが経験的見地から地球球体説を採用し、それ以降ヘレニズム時代以降まで地球球体説が徐々に広がり始めた。
コロンブスの時代のヨーロッパでは教養人も地球平面説を信じており、コロンブスの航海によってそれが反証された、という近代に生まれた誤解は地球平面説神話と呼ばれてきた
アリストテレスの「経験的見地」とは水平線の彼方に進む船が徐々に見えなくなっていくことや、地理的に離れた場所では星々の見え方が異なってくる事を観察した事を証拠としたものである。
アリストテレスの哲学や思想はイスラーム哲学や中世スコラ学、さらには近代哲学・論理学に多大な影響を与えており、万学の祖とも称される彼の研究に依拠してきた中世ヨーロッパの知識層が、一方でそれに反する考え(=地球平面説)を常識として受け入れていたと想像するのは確かに難しいものがある。
天動説・地動説を巡る論争との混同も平面説神話の流布の一因となっているものと見られる。太陽中心説は紀元前のギリシアでアリスタルコスによってすでに提唱されていたものの主流とはならず、地動説の登場はコペルニクスをまたねばならなかった。そのような状況からも中世ヨーロッパにおいて天動説が優勢であったことはほぼ確実だが、この事実と地球平面説を巡る議論とが混同されがちな事もまた平面説神話を広める原因と成っていると考えられる。
地球が平面であるか、また球体であるかといった問題は宇宙論的には天動説・地動説と密接な関わりがあるものの、天動説をとれば地球平面説、地動説をとれば地球球体説、といった様にセットになっている訳ではない。だが天動説・地動説を巡ってはガリレオ裁判やブルーノの火刑など、教会権力によって自説の撤回を迫られたり刑罰を課されたケースが中世にはあり、それらのイメージは地球平面説・球体説を巡る議論とも容易に結びつけられる※ため、中世ヨーロッパの宇宙観といえば天動説にして地球平面説、という固定観念が広まったのではないだろうか。
※現に「ガリレオは地球が球形であると主張したかどで宗教裁判にかけられた」といったエピソードがトーマス・ジェファーソン第3代アメリカ合衆国大統領によって書き残されている(『バージニア覚書』1784年)など、この混同による誤認識は相当以前から広まっていたものと見られる。歴史上、地球球体説ないし地球平面説を主張したという罪状によって裁きに掛けられた人物は少なくとも中世ヨーロッパではその例を確認されていない。
このような状況にもかかわらずコロンブスが当時、地球平面説を唱えるカトリックの神学者達の影響により援助を被るにあたって多大な困難を生じたといった誤認識が広まったのは、1828年にアメリカの作家ワシントン・アーヴィングが著したコロンブスの伝記(『クリストファー・コロンブスの生涯と航海 The Life and Voyages of Christopher Columbus』)にそうした記述が為されていた事が軈て広まったものと見られている。
更にはコロンブス自身もまた地球平面説の支持者(或いは単に地球球体説に関する知識を持っていなかった)であったとも言われており、いずれにしても彼が航海にあたって支援をなかなか得られなかったのは地球平面説が流布していた故では無かったという見解に至っている。
アーヴィングがこうした逸話を自著に盛り込んだ背景には、彼がリベラリズムを柱とするロマン派に属する作家であった事が深く関係していると考えられる※。旧来のキリスト教的倫理観や道徳への反発がロマン主義運動の出発点になっており、それらから文学を解放することがロマン主義の目指す所の一つであった。
※彼はアメリカ先住民に対する欧州系移民の接し方に対し次のような苦言を呈していることからも、リベラリスト寄りの思想の持主であった事が伺える。「植民時代の初期には、白人達のために二重に中傷された数多くの不幸な先住民がいた。彼らは金目当てで頻繁に起こされた理不尽な戦いによって先祖代々の領土を追い出され、さらには彼らの人柄も、頑迷で不純な作家達によって中傷されたのである」
平面説神話はアーヴィングのようなリベラリスト寄りの作家によって四方山話として導入されたばかりではなく、科学史や科学哲学を研究する人々により学会の場で発表されてきた。
1837年にはイギリスの科学哲学者で英国教会の司祭でもあったウィリアム・ヒューウェル※が著書『帰納的科学の歴史』(History of the Inductive Sciences)でラクタンティウスおよびコスマス・インディコプレウステースの二人に焦点を当てて持論を述べている。彼ら二人は中世に地球平面説が信じられた証拠であるとヒューウェルは主張し、ほかの歴史家もすぐに彼に従ったが、他に地球平面説が信じられた証拠を見つけ出すことはできなかった。
※英語圏において「科学者」(scientist) という言葉を発明した事で知られる。
掲示板
28 ななしのよっしん
2023/07/19(水) 04:02:11 ID: u7q39VGkgr
>>26
その主張してるヴァカはつべやニコ動にワンサカいるぞ
で物証や記録を求めると古事記とか言い出してて草
隣が壁画に落書きあるから半万年の歴史と言ってるのと同じなのな
29 ななしのよっしん
2024/01/01(月) 10:31:31 ID: OAr1irtY+O
中世ヨーロッパで調べたら5世紀から15世紀とか書かれててワロタ。
1000年くらいあったら技術や常識なんて何度でも入れ替わるから『中世ヨーロッパの人たちは〇〇を信じていた』なんて何言っても当てはまる気がする
30 ななしのよっしん
2024/03/20(水) 17:23:51 ID: oY9taGtutV
今知ったんだけど、古代インドの宇宙図も19世紀にドイツで作られた創作らしいな…
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/25(木) 07:00
最終更新:2024/04/25(木) 07:00
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