影山ヒロノブ 単語

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カゲヤマヒロノブ

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影山ヒロノブ

影山ヒロノブとは、SOLID VOXランティス所属の男性アーティストである。

概要

1961年2月18日生まれ。大阪府大阪市出身。血液型A型

JAM Projectメンバーの一人。アニソンを手掛ける。

中学生時代に、現LOUDNESSメンバー高崎晃同級生であった。高崎ギターを始める前から彼とは仲がよく、高崎フォークギターを始めたことにされて自身も音楽を始めた。
洋楽カヴァーをしていた上級生を受け、16歳の時にバンド「LAZY」を高崎らと共に結成。当時はサイドギター担当だった。

しかし、当時から高崎ギター技術は卓越しており、このままサイドギターをやって居るわけにはいかないと、自らボーカリストに転向する。

その後、朝日放送深夜放送されていた「ハロー・ヤング」という関西ローカルオーディション番組にLAZYで出演、その時のかまやつひろし氏に才を認められ上京1977年にLAZYのボーカルとしてデビューすることとなった(この時の芸名は本名である景山浩宣)。

ハードロック志向のLAZYは不本意ながら事務所の意向でポップアイドル路線で売り出していた時期があった。
LAZYとして3枚シングル頭巾ちゃん御用心」がオリコン32位ランクインするなど躍進を果たすが、「頭巾ちゃん御用心」はLAZYのすべきところとして事務所から提示された「ベイ・シティローラーズ」に近い色を放つ曲であり、メンバーには必ずしもよく思われてはいないようである。

1980年には反旗を翻し「ヘヴィメタル宣言」を行い、アルバム宇宙地球号」をリリースしたが、1981年に解散。

解散後はソロ活動(この時点で芸名を現状の影山ヒロノブに変更)をしていた。

しかし、当時の影山作詞作曲が出来なかった為、周りに言われるがままに歌う日々を過ごしたが、人気は減り、ホールコンサートをしていたころからライブハウスコンサートしか開けなくなるまでそう時間はかからなかったという。

影山ソロ活動はライブが多く、年間120演にもなったが、その一つ一つは極めて小さいもので、料理店のショー、個人趣味の設備でのライブなど、劣悪な環境下のものも多かった。
それでも後年の影山はこの時期にした様々な苦労を顧みて、「今から考えたらどん底だが、この時期があってよかった」とっている。

その時期は同じLAZYのメンバーだった高崎晃樋口宗孝の二人がLOUDNESS海外進出していた頃であり、影山は日々「自分はこれで良いのか」と悩み続けながら活動していた。

1985年、徳間音楽工業(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)から日本コロムビアに移籍。日本コロムビア木村プロデューサーを介して同年、影山26歳の年に『電撃戦隊チェンジマン』の主題歌アニソン歌手KAGE名義)としてデビュー

当初はライブではアニソンを歌わない等、ソロ活動とアニメソング歌手としての活動は別としていた。
しかし、

などをきっかけに、本格的にアニソン歌手として活動を開始。

以後、ドラゴンボールZ主題歌CHA-LA HEAD-CHA-LA』や『鳥人戦隊ジェットマン』でヒットを飛ばし、アニソン界を代表するボーカリストとなる。
代表曲『CHA-LA HEAD-CHA-LA』から20年以上たった今でもヒット曲の多さ・質の高さ・知名度により、水木一郎きただにひろしと並びメディア露出も非常に多い。

そして2000年JAMProjectを結成。JAMリーダーとして、影山ヒロノブとしてアニソン界を盛り上げている。 

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