人間五十年
下天の内をくらぶれば
夢幻のごとくなり
一度生を得て
滅せぬ者のあるべきか
敦盛(あつもり)とは、伝統芸能「幸若舞」の演目のひとつ。特に上記の一節が有名で、これだけを指して呼ぶこともある。織田信長のテーマソング。
「敦盛」とは平安時代末期の武士・平敦盛(たいらのあつもり)に由来する。源平合戦のひとつ・一の谷の戦いで、源氏方の猛将・熊谷直実(くまがいなおざね)に討ち取られた17歳の若武者であった。
自らの息子と同じくらいの若武者の首を取らねばならないという、直実の葛藤が強く滲み出る場面であり、『平家物語』における名場面として知られている。この一件から、直実は武士としての生き方に疑問を抱くようになり、後に出家して敦盛を弔っている。
この場面を題材にした作品のひとつに、「幸若舞」(能楽のような舞曲)の『敦盛』があり、その中で有名な「人間五十年~」の一節が登場する。この一節はあくまで『敦盛』の一部であり、その前後も多分に存在する。この一節だけが特段有名なのは、織田信長が好んだというところが大きく、『信長公記』にも桶狭間の戦い直前に舞ったという記録がある。
幸若舞の舞の振り付けは現代にはほとんど伝わっておらず、信長がどのような振り付けで舞っていたかはわかっていない。そのためドラマなどで信長が敦盛を舞うシーンでは、各作品ごとにオリジナルの振り付けで舞うしかなく、振り付けはバラバラである。
ちなみに、「人間五十年」とは人間の寿命が50歳だと言っているわけではなく、後に続く「下天(仏教における天界のひとつ)」と合わせて、「人の世の50年は天界の最下層である下天の一日に過ぎない。人の世の時間など一睡の夢程度の儚いものだ」という意味合いである。この下天の一日=人間界の50年という内容は仏典(経典)からの引用である。「信長の生きた当時の平均寿命は50年だったからそれを言っているのだ」とドヤ顔で講釈をたれる人がたまにいるが、完全なデタラメである。そもそも、信長が生きた時代に平均寿命などという概念は存在せず、当然ながら寿命の統計などは当時は存在しなかった。
なお、能に「敦盛」という同名の演目があり混同されがちだが、「幸若舞」とは全く別の作品で能の「敦盛」には「人間五十年~」のフレーズは登場しない。
敦盛にもいろいろあります(適当)
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最終更新:2024/03/29(金) 06:00
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