日本社会党 単語

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日本社会党(にっぽんしゃかいとう)とは、かつて存在した日本政党である。自民党とともに55年体制を築いた政党である。

概要

1945年11月戦前の非共産系左翼が合流して結成されたものの、の対立から必ずしも一枚岩ではなかった。1947年社会党委員長が首班となった片山内閣成立の約半年後、農業系の党員が離党し社会革新党を結成した。1948年には労農毛沢東義者を除名。追い出された側は労働者農民党を結成している。1949年にも最左の党員を追放している。

 それでも党内の溝は埋まらず、ついに社会党は右と左に分裂してしまう(1950年。直後統一するが翌年に再分裂)。

これに前後して労組の中央組織である日本労働組合総評議会(総評)と、労農マルクス義者のサークルである社会主義協会が結成された。両者とも左支援し、社会党の強な支持基盤・思想体となった。

一方の右は、再軍備論争に対する明確な統一方針が打ち出せず、支持基盤もなかったため劣勢となった。1952年には前出の社会革新党のなれの果てである協同党が右に合流。

1955年、左右社会党が再統一する。直後に保守合同が実現し自由民主党が結成されたことにより、いわゆる55年体制が始まった。ちなみに社会党再統一の際に前出の労働者農民党も合流を所望していたが、右の反対を受けわなかった。1957年労働者農民党解党という儀式を経てから社会党復帰を果たすこととなる。

これで左結集、二大政党制になるかと思いきや、総選挙の獲得議席数では保守に遠く及ばなかった。1959年には元首相含む際右が三行半を突きつける形で離党し、民主社会党を結成した。1977年には社会主義協会と対立する党員を除名する等、年を経るごとに左傾していくようになる。

1993年細川連立内閣で政権入りするも、内閣一の成果である小選挙区制度導入に対して責任な方策に明け暮れ、結果的に(野党自民含めた)他党の言い分を丸呑みせざるを得なくなった。この際にも離党者を出している。

1994年には自民党新党さきがけと連立政権を組むことになり、村山内閣が成立。片山内閣以来の社会党委員長首班であるが、連立相手に妥協したため、支持者の離反を招くこととなった。

1995年、政権後初の選挙である第17回参議院議員通常選挙でも大敗を喫した。村山総理の方針転換に批判的であった党内最左は、1996年1月1日新社会党平和連合を結成したが、その18日後に社会党も党名変更することとなる。後の社会民主党である。

2010年、渕上貞雄参議院議員が引退したことに伴い、日本社会党在籍経験のある社民党国会議員はいなくなった(ただし、民主党には横路孝など旧社会党系議員がいる)。

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