「有馬義貞」(ありま・よしさだ 1521 ~ 1577)とは、ルイス・フロイスが、
詩歌に造詣深く、書道に巧みで、為政者としては老練慎重かつ賢明である
と、戦乱渦巻く戦国時代には不向きな今川氏真の様な人物だったと「日本史」に書き残している肥前のキリシタン大名。
島原半島一帯に強大な勢力を築いた有馬晴純の子に生まれる。弟は大村純忠。
有馬晴純がリア充生活に入るにあたって家督を譲られた際に、室町幕府の相伴衆になり、将軍・足利義晴より「義」の字の偏諱を受けて有馬義貞と名のった。
島原にてポルトガルとの南蛮貿易が始まると共に入ってきたキリスト教について、父・有馬晴純は布教の過程で仏教を冒涜する行為を行ったとして弾圧したが、有馬義貞は逆にキリスト教と、その後ろにあるポルトガルとの貿易ウマーな点を重視してキリスト教に改宗し、ドン・アンドレと言う洗礼名を持つキリシタン大名となった。
※キリスト教に改宗した大名としては弟の大村純忠が先で、大村純忠の意見も取り入れての改宗だったらしい。
しかしキリスト教への改宗は父・有馬晴純との対立を生み、また文化系の有馬義貞が当主となってからは大友宗麟や龍造寺隆信の圧力が強くなって戦っても負けた事や、父の代には従属していた有馬義貞の義兄・西郷純尭が台頭して有馬義貞を囲うようになり、有馬氏は島原全体を支配した大勢力から一気に縮小して、島原の一地方の領主レベルにまて落っこちた。
その後、家督を嫡男の有馬義純に譲ったものの、有馬義純が急死した為、有馬晴信を当主とした。
そして有馬義貞は、自らの文化系ぶりによって失った所領を回復することなく1577年に没した。
※その他「有馬義貞」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。
▼「信長の野望革新PK」地方別武将ランキング九州編にて総合ワースト3位で登場。
▼「信長の野望革新PK」駄目武将ランキングでは、全国ワースト17位に。
父・有馬晴純が築いた有馬氏の最盛期を急降下で没落させた事と、ルイス・フロイスの評により政治以外には見るところが無い評価をされている。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | 63 | 戦闘 | 59 | 智謀 | 31 | 政治 | 58 | 野望 | 37 | ||||
天翔記 | 戦才 | 118(C) | 智才 | 62(B) | 政才 | 116(B) | 魅力 | 71 | 野望 | 36 | ||||
将星録 | 戦闘 | 53 | 智謀 | 39 | 政治 | 51 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 31 | 戦闘 | 35 | 智謀 | 21 | 政治 | 44 | ||||||
嵐世紀 | 采配 | 19 | 智謀 | 12 | 政治 | 31 | 野望 | 38 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 16 | 知略 | 20 | 政治 | 32 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 15 | 知略 | 18 | 政治 | 33 | 教養 | 65 | ||||||
革新 | 統率 | 17 | 武勇 | 15 | 知略 | 21 | 政治 | 44 | ||||||
天道 | 統率 | 17 | 武勇 | 15 | 知略 | 21 | 政治 | 44 | ||||||
創造 | 統率 | 25 | 武勇 | 33 | 知略 | 30 | 政治 | 46 |
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最終更新:2024/03/28(木) 20:00
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