東野幸治 単語

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東野幸治とは、ひがしのりであり、かたやきそばでもある。

概要

1967年兵庫県宝塚市に生まれる。
1つ年上のがおり、地元では兄弟って「宝塚スポーツ兄弟」と呼ばれていたという伝説がある。
1985年吉本興業の新人オーディションを受け合格し、そのままお笑い芸人を歩むこととなる。若手時代は「セニョール東野」という体操選手のような格好をしたキャラを演じてネタを行なっていた。

今田耕司とともに吉本新喜劇への異動の後、徐々にダウンタウン今田耕司と共に活動を行うようになる。 
ダウンタウンのごっつええ感じ」(フジテレビ)にレギュラー出演したが、その参加は1994年と番組中期以降である。パイロット版には出演したのだが、浜田雅功の「東野には協調性がない」という摘からレギュラー入りが当初見送られたためである。板尾創路未成年者淫行騒動で活動謹慎に陥った際に埋めとしてようやくレギュラー入りし、尾復帰後も最終回までレギュラー出演した。
今田耕司とは「Wコウジ」というユニット名で出演したことも多かったが、これは番組スタッフに勝手に付けられたものであり、正式にコンビを組んだことは一度もない。
近年ではピンでの会業もこなしており、高い武器に頭をメキメキ現し、タイプこそ違うものの今田耕司と肩を並べるほどの実と信頼を得ている。 

どや顔」という言葉を発案しメディアで使用し始めた第一人者という説がある。(他にも明石家さんま松本人志という説もあり)

また、「日本気と東野幸治の仕事量は連動している」という説もある。気が悪くなると当然テレビ番組などの製作費も減らされ、大御所クラスはしがらみからなかなか切ることが出来ず、逆に若手クラスも出演料が安いのであまりがなく、結果的に東野幸治クラス中堅芸人がまっさきに首を切られるという根拠による。実際、東野過去テレビレギュラー番組を一気に8本失った経験があるそうだ。もっともこの説は東野がまだ中堅クラスであった2000年前後の頃に当てはまる説であり、トップクラスへと昇格した昨今においては当てはまらない説である。 

2020年9月13日に放送された「行列のできる法律相談所」で、細川たかしから、細川一門として『三味幸治たかし』の名前を授かり、以後三味線演奏するときはこの芸名でやることが分かった[1]

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関連項目

脚注

  1. *東野幸治、細川たかし「望郷じょんから」を三味線で演奏 ド緊張も「必死でしがみついた」 - ORICON NEWSexit
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