林家三平単語

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林家三平とは、落語家の芸名である。

  1. 昭和爆笑王」の異名をとった初代三
  2. ↑の人物の二男の二代。9代林家正蔵。元林家いっ平。

本記事では両方の人物について説明する。

初代三平の概要

1925東京都生まれ。本名海老名泰一郎。

東京の下町で生まれ、父親落語家(七代林家正蔵)という典的な落語環境の中で育つ。当初は医師していたが、ほどなく父親子入りし林家三平の芸名を名乗る。大方の落語家は芸歴を重ねるにつれて名することが多いが、三は前座時代の高座名のまま生涯を全うしたしい例である。

その後父親が死に一門を移籍。1951年に二つに昇進し翌年結婚。妻・香葉子との間には美どり、金髪ブタ野郎と離婚した泰葉終身名誉こぶ九代正蔵、そして二代が生まれる。1958年真打昇進。

テレビ庭に広まり、芸能ブームが起こると初代三はその中心的存在になり人気爆発する。初代三の芸というと「どうもスイマセン」に代表されるギャグダジャレ、小噺が中心で本格的な噺は苦手というイメージが持たれがちだが、実際は古典落語にも十分を入れており、落語家としての技術も備わっている。また下ネタが大嫌いでネタにも決して入れることはなく、芸人としての品格も持ち合わせていた。なお下ネタはご法度という教えは子にも受け継がれている。

晩年、病に倒れ医者が意識を確認するために「あなたの名前は?」と聞いたところ「加山雄三です」と答え、死の直前においても芸人としてボケる事を忘れなかったの姿を見て二人の息子は「かなわない」と感じたという。1980年肝臓で死去。残された子は一部を除き2番子の林家こん平が引き継いだ。

子の芸名を付けるのが下手だったらしく、安易な名前をつけていた。漫談として活動している林家ペー・パー子もそのうちの一人である。

二代目三平の概要

1970年生まれ。本名海老名泰助。散々説明したが初代三の二男。

の死去時は小学生のため直接教えは受けていない。中央大学在学中の1989年と同じく林家こん平入門、「いっ」を名乗る。1993年二つ2002年真打昇進。2009年に二代を襲名した。「が生きている間に正蔵と三い踏みさせたかった」とっていた思いが実現することになった。ビートたけしからは「とコネで三を襲名した」とボロクソに言われたが。

2011年10月に「水戸黄門」での共演をきっかけに女優国分佐智子と結婚このときもたけしから「共演者に手を付けるとは“ちゃっかり八兵衛”もいいとこ」と言われたが。

いっ時代にはテレビ番組ゲーム王」出演者として90年代子供達の人気者になる。

2016年5月より「笑点」の大喜利メンバーとなる。11月には第一子となる長男が誕生。子供持ちキャラとして某司会者からは幾度も羨ましがられいじられている。2017年1月から笑点の放送時間中にデータ放送連動企画として視聴者参加デジタル大喜利が始まってから、「座布団を取る」の得票が「座布団をあげる」を上回り、最終的に三座布団が0枚で終わる回が多い。2021年12月最後の放送回をもって大喜利メンバー卒業した。

小学生の頃、落語の稽古で度々殴られていたを見て「兄貴はよく殴られてたんこぶを作るね」と発言し、初代はそれがきっかけでこぶという芸名を名付けたという(「小太りだからこぶ」という説もある。どちらにせよ、名付けが苦手だった初代が、次男の思いつきを拝借したというのは確からしい)。

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最終更新:2024/03/28(木) 18:00

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