梅野雄吾 単語

ウメノユウゴ

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梅野雄吾(うめの ゆうご、1999年1月13日-)とは、佐賀県出身のプロ野球選手投手)である。現在中日ドラゴンズに所属。

概要

プロ入り前

小学5年生から新栄少年野球部で野球を始める。ポジション内野と外野。中学時代は佐賀フィールドナイン二塁手を務め、3年時には九州大会で優勝を果たす。その後投手に転向した。

高校時代は1年からベンチ入り。その後エースの座を掴み取り、2年福岡大会ではノーヒットノーランを達成。続く九州大会でチームベスト8に導いた。共に甲子園の経験はなし。

2016年ドラフト会議では東京ヤクルトスワローズから3位名を受け、入団に至る。

ヤクルト時代

2017年8月9日横浜DeNAベイスターズ戦でプロ登板・初先発を果たすも、3回5失点でプロ。ちなみにこれは同期セ・リーグ高卒ルーキーの中で最速の1軍デビューである。

オフにはアジアウィンターリーグに参加予定だったが、辞退している。


2018年、当初は先発中継ぎを転々としていたが、後半戦からは2軍で抑えとして定着。その後1軍に昇格し、8月25日横浜DeNAベイスターズ戦ではプロ記録(1回失点)。以後不調の中尾輝に代わり、7回の勝ちパターンを任されるようになった。

オフには台湾WLへと派遣され、防御率0.00 5セーブと好成績を残した。


2019年チーム最多タイの68試合に登板。離脱した石山泰稚に代わり抑えを務めることもあった。ただ好不調の波がしく、後半戦からは6~7回あたりに投げることが多くなった。


2020年は6-7回の接戦での登板だった。疲労のため1ヶ近くの二軍調整を経験したが、42試合に登板ブルペンを支えた。


2021年監督の方針もあり、イニング途中のピンチでの登板が多かった。疲労の7月二軍降格したが、その後は再昇格することなくシーズンを終えた。


2022年ブルペンの一を支え、41試合に登板した。しかし、9月以降の登板は1試合のみと、後半戦は疲労による不調に苦しんだ。


2023年はわずか5試合の登板にとどまった。オフ現役ドラフトにより、中日ドラゴンズへ移籍した。

人物・プレイスタイル

その優れた投手から、同期浜地真澄福岡大大濠高→阪神タイガース)、山本由伸(都高→オリックスバファローズ)、太田(れいめい高→JR東日本読売ジャイアンツ)とともに「九州四天王」と並び称されていた。

最速154km/hのあるストレートで押していくピッチングスタイル。その他カットボールスライダーフォークチェンジアップなどを投げる。

成績

2023年終了時点)

年度別投手成績

年度 球団 登板 先発 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
2017年 ヤクルト 2 2 0 0 0 1 0 0 .000 8.0 9 8 7 6 6.75
2018年 29 1 0 0 3 2 0 10 .600 26.2 22 25 22 21 7.09
2019年 68 0 0 0 2 3 4 28 .400 67.2 25 77 34 28 3.72
2020年 42 0 0 0 5 2 0 12 .714 42.1 17 35 18 17 3.61
2021年 29 0 0 0 0 0 0 8 .--- 25.1 9 29 7 7 2.49
2022年 41 0 0 0 4 3 0 16 .571 39.0 15 26 15 13 3.00
2023年 5 0 0 0 0 0 0 0 .--- 8.0 4 4 3 3 3.38
NPB:7年 216 3 0 0 14 11 4 74 .560 217.0 101 204 106 95 3.94

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今のところ特になし(上がり次第追記)。

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