神の国 単語

24件

カミノクニ

5.2千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

神の国とは、が治めるに守られたに属するを中心とした、多数のが存在する、などを表現する言葉である。

自らの国家祝福されていると信ずる、あるいはそうあれかしと考える国家歴史しくはない。宗教色の強い国家を崇める形の教を定めている国家、王権授説を取る君主制国家などが、自らの国家についてそのように考えることは自然だろう。

だが、特に日本で「神の国」と言った場合には、下記1.あるいは2.のいずれかをす場合が多い。

  1. 神の国。神国(かみぐに、しんこく)。日本書紀の記述、天皇の存在、多神教たる神道の教義などに基づき、日本を「神の国」とみなしたもの。思想と結びついた場合は「神国思想」となって、元寇の際に日本に有利に働いた暴風雨を「」と捉える解釈を生んだり、『皇正統記』で触れられたり、尊王攘夷運動の思想的基盤ともなるなど、過去から現在にわたって日本の歴史を与えた。「神国」の記事も参照されたい。
    1. 神の国発言 - 2000年に当時の日本国内閣総理大臣森喜朗神道政治連盟の集会において行った問題発言本記事で説明
  2. 神の国。の王キリスト教新約聖書に度々登場する言葉。マタイによる福音書第4章第17節やマルコによる福音書第1章第15節にある「神の国は近づいた」という記述が有名か。解釈はさまざまであり、いつ来るのか、それがどういった性質のものなのかについての意見は宗や個人によって千差万別である。教会のことであるという解釈、信仰によってまず人々の心の中に築かれるものだという解釈、さらには世界の終りの後に訪れるものだという終末論的な解釈もある。
    1. 『神の国』 - キリスト教の教キリスト教初期の発展に寄与した職者・学者)アウグスティヌスが、5世紀初頭に著した書。キリスト教以外の異教やそれを仰ぐ国家を非難し、また人間の権者による地上の平和・地上の自体をも批判し、教会のごとくによって支配される体制、すなわち平和・神の国を称揚した。

本記事では上記のうち、2000年5月の「神の国発言」に関して詳記する。

概要

神の国発言とは、神道政治連盟で行った森喜朗首相日本、まさに天皇を中心としている神の国」などの問題発言である。

民主権」や「政教分離」をうたう憲法に反しており「(戦前の)大日本帝国憲法の考え方だ」などと批判を浴びた。[1]

しかし、森喜朗首相はこの発言について再三にわたり、「訂正の必要がないものである」とした。
そしてこの発言以後も「無党派層は寝ていてくれればいい」などの問題発言を続け、更に内閣支持率を落とし「神の国解散」に繋がることとなる。

なお、2007年刊行の「 喜朗 自民党と政権交代」によると「神道政治連盟の会合での発言だから、出席している神主さんたちに多少のおべんちゃらを言うのは当たり前でしょう。」と口先ばかりのお世辞だったとして正当化している。

スピーチ全文


神道政治連盟国会議員懇談会が三十年ということで、おそらくお話があったのだと思いますが、
この綿貫先生、まさしく先生神の子でありますから、しかも、位のきわめて高い官でもありますから、
その綿貫さんと私たちは同期生、つまり国会議員になりましてから、ちょうどわれわれも三十年になるんです。
つまり昭和四十四年の暮れに当選をいたしました。綿貫先生がそのまとめ役をされておられますけど、
一番若かったのが当時二十七歳の小沢一郎さん、その次に若かったのが三十二歳の私でありまして、
その次に若かったのが私より二つ上の羽田孜さんでした。その次が大阪中山正暉さん、
まあ梶山静六さんもおられましたし、江藤美さん、松永さん、とにかく多士済々四十四人。
浜田幸一さんなどもいらっしゃいまして…。
まあ、本当に小沢さんをはじめとして世間をお騒がせする者が、私を含めて非常に多い、そういう当選組が
昭和四十四年でございまして、その私どもがどちらかといえば私も綿貫さんの導を仰ぎながら、この、
神様を大事にしようという最も大事なことをどうも世の中は忘れているのではないかということから、
神社本庁のご導をいただきながら神道政治連盟、そして国会議員懇談会を設立したわけですから、
まさに私たちが中心になって、今日まで活動させていただいたと自負しております。

最近、村上正邦参院議員会長をはじめみなさんの大変なご努で「昭和の日」ということを制定いたしましたり、
あるいはまた、今の天皇のご在位十年をお祝いをさせていただいたり、先陛下ご即位五十年、六十年のお祝いとか、
ややもすると政府側、今の私は政府側におるわけですが、若干及びになるようなことをしっかりと前面に出して
日本、まさに天皇を中心にしている神の国であるぞということを、民のみなさんにしっかりと承知をしていただく、
その思いで、われわれが活動して三十年になるわけでして、較的私たちの同期というのは皆しぶとくて、
結構国会に残っていますのは、神様を大事にしているからちゃんと当選させてもらえるのだなあと、
そう思っているわけです。

とりわけ、今日梅原(猛)先生がお見えになってらっしゃいますが、やはり、私はありがたいことに
という名前を頂いておりまして、今や日本だけでなく世界中が環境、そして環境の問題をるには
を大事にしよう」ということになるわけで、皆様、私を大事にしてくださって、小渕さんま
私を大事にしてくださっているんじゃないかなと思っているくらい、わたしは今の立場を、本当に、
小渕さんのこの残されたお仕事をしっかりと実行できるように努しなければならん立場だと思って
います。

それには、われわれの子供社会から考えてみますと、やはり、鎮守のという宮様を中心に地域社会
構成してきたように思うんです。
実は私が今、小渕首相の後を受けてこういう立場になって教育革を進めようという教育会議
いたしております。この間、こうした少年犯罪が増加することを心配してアピールをしようということで、
テーマを、まあ、文書を作られたのですが、正直言って役所側で作ったものなんですから、委員のみなさんが
大変なご批判をいただいた。私も一言言いたかったのです。どうも文部省が教育委員会に通達するような文章
だったので正直言って私も見ながら恥ずかしい思いをしたんですが、しかし、この審議会そのものが総理
私的諮問機関ですから、私がそんなことを申し上げてはいかんのです、立場上。しかしそんな難しいこと、
確かに難しいことだけど、言いたいことは私は、人の命というものはおまおさまから頂いたもの、
しかし、もっと端的に言えば神様から頂いたものだ。神様から頂いた命は、まず自分の命を大切にしなければ
ならないし、人様の命もあやめてはならない。ということが基本でなければならない。その基本のことが
なぜ子供たちが理解していないのか。
いや、子供たちに教えていないたちや学校先生社会の方が悪いんだといえば、私はそのとおりだと思う。
昨日沖縄に参りまして、全四十七都道府県から子供たちが集まって、小中学校生徒さんのサミット
いうのをやりまして、そして七月に行われる本番のサミットに提言をしてくれた。その提言の文章を私が
頂いたんですけど、その文章を見てますと、地球環境を大事にしよう、地球共生社会と書いてあるが、
どこをみても、命を大事にしようとは書いていない。ちょうど、不思議なことで、ちょうどその式典に
出ようとしたそのときに、小渕首相訃報(ふほう)が沖縄の私に連絡が入ったわけです。
もう胸がいっぱいになりました。子供たちがいるセレモニーの中で小渕さんの話をしようかなと
思ったんですけど、子供たちが喜んで「さあ終わったぞ」ということでみんなが楽しんで喜んだ
セレモニーでしたから、あえて私は小渕さんのことは申し上げなかったんですよ。
申し上げなかったけれども地球共生の社会システムを大事にしよう、を大切にしよう。
それらもとてもいいことだけれど、もうひとつ、地球社会、共生の社会ということなら、共通なことは
命が大事なんだよ、人の命が大事だということを考えよう。

様、お様から頂いたことは間違いない。しかし、この人間の体ほど、不思議なものはない。
これは神様から頂いたものということしかない。
そうみんなで信じようじゃないか。神様であれ、様であれ、それこそ天照大神であれ、神武天皇であれ、
親鸞聖人さんであれ、日蓮さんであれ宗教は心に宿る文化なんですから。そういうことをみんな大事にしよう
ということをもっと教育の現場で何で言えないのかなあ、「信教の自由だから触れてはいけない」のか、
そうではない。信教の自由だからどの宗教も、も大事にしよう。ということを学校でも社会でも
庭でも言うということが私はもっともっと今の日本の、精論から言えば一番大事なことではないか、
こう思うのです。

私はあまり信心深くない方ですが、それでもは必ず棚にをあげて、出て参ります。そうすると
私の孫が一歳半の時から、一緒に倣ってお参りをしてくれる。私のことを孫が先生と言ってくれる。
幼稚園に行く前に、タッタッタッと私の寝室に来て、そのとき私は小渕さんのところとかに行って
疲れていましたけど孫が、「先生」と言うから、「どうしたの」と言うと、「先生、お参りしよう神様に」
と言ったので、これは寝ているときではないな、と「ちょっと待って」と言って、をあげた。
この子が将来どうなるかは分かりませんよ。分かりませんが、日曜には教会に行っているという。
教会に行ったり棚に参ったり、お仏壇にお参りしたり。要はお参りしようということをいつの間にか
さな子供がやっぱりおじいちゃんがやることによって覚えてくれる。

私は息子に言うんです。おまえら一番悪いじゃないか。何にもしないから。
おじいちゃんがやると孫もできるようになるんだよ、と。そんな一番大事な基本のこと、庭の基本のこと、
そして地域社会のこと、やはり神社を中心にして地域社会は栄えていくんだよということをもういっぺん、
そんな難しい話じゃない、みんなでもういっぺんそのことを勇気を持ってしっかりやることが
二十一世紀がまた、ける時代になるのではないかな、そんなふうに思うんです。
今日は全からこうして皆さん方がお越しの前で、私が余計なことを申し上げるのは立場上差し控えるのですが、
皆様にはもっともっと多くのみなさんに多くのをもたらしてくださる方々ばかりですから、
どうぞ皆様方で勇気をもってですね、今の子供たちの社会、もっと神様とか様とか、そうしたことをしっかりと
体で覚えていく、そういう地域社会、秩序ある社会を作り出す、そのために、ますます皆様がご活躍して
いただきますよう、また、われわれ国会議員の会も神社本庁のご導を頂きながら人間社会は何が一番必要なのか
という原点をしっかり皆様方に把握していただく、そういう政治運動をしていかなければならない。
そのように考えているわけであります

たまたま小渕先生がご他界になりました。その四十三日前に、私はそうした立場で、補佐役をしておりました。
私は小渕さんの後を頂こうとかそんなことは一つも考えていなかった。私は小渕さんが一生懸命やることを
与党の幹事長という立場で支えることが私の滅私奉の精にあっている、そう思っておりましたから
後継の総裁に名してくださったことを命だと思った。命ということは、神様から頂いた、
私はそう思っている。まさにの配剤ということであろうかと、私はそう思っています。
小渕さんがお亡くなりになったときのが官邸の前を通って国会を回られて帰られた。
私はそのことを写真でみましたが、ちょうど一にわかにかき曇って小渕さんが官邸の前を通ったときに
鳴が鳴ったそうです。それは小渕さんがに昇られた、あるいはも一緒に小渕さんの死を悲しんで
くださった。いずれにしてもの命が下った。わたしはそう思っています。これは神様の配剤だろうと。
だからこそ、神様に恥ずかしいことをしてはいかん。もっと分かりやすく言えばお様が見ている。
神様が見ているということを、私は日本政治が過ちにならないようにしっかりがんばっていきたいと
思うのです。

どうぞご参集の皆様方、三十年をこうして祝ってくださって、さらに行く末、そして世界の将来を
念じながらご導賜りますようにお願い申し上げまして、少し長くなりますがお礼を申し上げる次第です。
ありがとうございました

関連項目

脚注

  1. *https://mainichi.jp/articles/20221029/k00/00m/010/243000c
この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/20(土) 13:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/20(土) 13:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP