種田仁 単語

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タネダヒトシ

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種田仁とは、中日ドラゴンズ横浜ベイスターズ埼玉西武ライオンズに所属した元プロ野球選手である。

通称「タネタネ」。ポジション二塁手

概要

89年のドラフト6位で上宮高校から中日ドラゴンズに入団。元巨人元木大介高校同期高校時代の監督には種田が9人いれば監督はいらない」と言われていた。ドラフト同期には与田剛井上一樹がいる。

立浪和義の二塁コンバートとともに遊撃手レギュラーに定着するが、94年に故障で出場機会を減らすと、鳥越裕介遊撃手レギュラーを奪われてしまい、代打としての出場が多くなる。

2000年種田トレードマークとなるがに股打法開発して復活代打で11打席連続出塁という日本記録立しカムバック賞を受賞。先立ちでがに股になりバットを立てて構えるその特異な打撃フォームが注を浴び、ファンがそのフォームを真似て踊るなど一躍人気者になる。

2001年波留敏夫とのトレードで横浜ベイスターズに移籍。横浜では重なユーティリティスーパーサブとして活躍。2004年2005年にはレギュラー二塁手となり、オールスターにも出場した。

しかし故障で2006年は不振に終わり、2007年にはトレードで入団した仁志敏久が正二塁手に定着。年齢と高年俸がネックとなり戦力外通告を受け、埼玉西武ライオンズに移籍。しかし埼玉西武では一軍出場の機会はなく、その年のオフに再び戦外となり現役引退した。

その後は韓国コーチ、のちに野球解説者を務め、2010年オフから東北楽天ゴールデンイーグルス二軍内野守備コーチに就任。2011年5月から一軍内野守備走塁コーチに異動。2012年からは二軍内野守備走塁コーチに戻る予定だったが、キャンプ直前に「一身上の都合」で退団した。

プロ生活20年で規定打席到達は4度と多くないが、二の打撃フォームもあって人気は高く、り強く勝負強い打撃、堅実な内野守備でチームに貢献し続けたいぶし銀の好選手であった。

ブログを持っているが、内容はベイスターズに対する批評が多い(情の裏返し?)。

2015年6月には、ギャンブルで自己破産していたことを週刊誌にスッパ抜かれた。

通算成績

通算:18年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1434 4768 4176 501 1102 71 401 76 190 24 341 37 586 91 .264 .323

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