箱根駅伝 単語

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箱根駅伝はこねえきでん)とは、関東地方で行われる大学対抗の駅伝大会である。関東学生陸上競技連盟が催し、読売新聞社が共催。

正式名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」である。

概要

出雲駅伝全日本大学駅伝と共に、男子大学駅伝の大きな大会であり、その中でも高い認知度と注度を持つ。出雲全日本は日本学生陸上競技連合催する大会であるのに対し、箱根下部組織の関東学連が催するローカル大会である点に違いがある。

1月の2日、3日に行われる大会ということもあって、ルート沿線の神奈川県内を中心とした関東正月の名物として定着しており、後述の通り1987年日本テレビによる中継が始まってからは関東以外にもその知名度が広まり、サッポロビールをはじめ多数の企業スポンサーを集めることに成功、また日テレにとっても高い数字叩き出す年末年始の看板コンテンツとなった。

現在ルールでは、往路は東京都大手町の読売新聞本社前を午前8時スタートし、鶴見戸塚平塚小田原の各中継所で襷をつなぎ箱根ゴールする。復路はから、大手町のゴールす。
なお、往路の鶴見戸塚中継所と復路のスタートは10分、その他の中継所では先頭から20分経過すると繰り上げスタートとなり、特に復路の戸塚鶴見中継所では繰り上げスタートに関わるドラマが展開される事が多い(繰り上げスタートの場合は運営側が用意した繰り上げ襷となるが、往路の小田原中継所と復路の鶴見中継所のみ各大学デザインの予備襷が使用される)。

第1回は、1920年2月14日に開催された。優勝校は東京高等師範学校(後の東京教育大学筑波大学)である。

出場条件

出場条件は以下のようになっている。

  • 関東学生陸上競技連盟に所属している大学[1][2][3]
  • 前回大会で総合順位が10位以内の大学は次回大会に出場できる[4]
  • シード権を獲得できなかった者は「予選会」に出場して、10位以内に入らなければならない。なおシード権が導入されたのは1957年開催の第33回大会からで、それまでは必ず予選会を突破する必要があった。1970年開催の第46回大会までは5校まで[5]1971年開催の第47回大会以降は9校まで出場できる[6]。現行のルールになって以降では記念大会として、2009年開催の第85回大会と2014年開催の第90回大会は予選会上位13校まで、1994年開催の第70回大会と2019年開催の第95回大会は11校までが出場できる。
  • 上記のほか、予選会を通過できなかった大学の中から個人成績が優秀な選手を1校から1人[7]選出した関東学生連合チームオープン参加する。第79回~第89回[8]関東学連選抜という名称で、区間の個人記録認、第83回~第89回からまではチーム自体も正式参加となっていたが、現在の名称となった第91回以降は全なオープン参加となっているため、個人記録参考記録扱い[9]となったほか、連合チームでの参加も箱根駅伝を走った回数が第93回までは過去1回までの選手、第94回では一度も走ったことがい選手に限定されてしまっている。
  • 1964年開催の第40回大会以降10回ごと、2009年開催の第85回大会以降は5回ごと、記念大会として出場校が拡大されている。過去には関東以外の大学優勝経験校が招待されていた時期もあったが、近年では第95回大会で関東インカレ成績が追加されたほかは基本的に予選会の拡が行われている。なお、第80回大会は出場校はそのままで関東学連選抜の代わりに日本学連選抜がオープン参加した。第100回大会は関東学連選抜が編成されず、出場23と従来の記念大会までしか拡されないことが決まっている。

地方大学の出場について補足

長い箱根歴史でも関東以外の大学が参加したのはわずかに5回。第9回・12回・13回に招待出場した関西大学、第40回大会に招待されオープン参加(個人記録認定)となった立命館大学福岡大学、そして第80回に編成された日本学連選抜(初出場大学は徳山大学京都産業大学岡山大学北海道教育大学広島経済大学の5校。内実際に出走したのは広経大以外の4校)である。

本来第80回大会の記念大会を見る限り、当初は記念大会のみ地方大学にも学連選抜として門を開く方針であったようだが、よりにもよって5位争いをした上で6位相当(オープン参加のため順位し)に入ってしまったせいか関東学連内で凄まじい反発があり、「関東以外の大学が走るとかけしからん!」ということで全にシャットアウトされてしまったという経緯があり、この動きに地方の学連も同乗したという経緯もあるようだ要出典

実際に関西などでは一時期箱根の裏側の大会として関西学生駅伝を大々的にびわ湖駅伝と喧伝して05-12年まで東海や中四国九州から招待校を招くなど大々的に開催したが、12年を最後に招待を止したように大失敗。地方校の活性化に結び付くどころか、較的マシだった関西大学まで先細りが先行する事態に。なお2010年以降に地方大学やる気をなくした一因として伝統校でありながらケニア人留学生傭兵軍団出雲駅伝全日本大学駅伝荒らした挙句、肝心の箱根で惨敗した日大もあるかもしれない。

実際地方大学の長距離を取り巻く環境は非常に厳しく、2010年以降からは特に顕著。有な長距離選手が地方大学に行くのは『駅伝を避けて個人で厳しい練習を積みたいが、大学だけは卒業したい』というぐらいなのだが、現実的には個人でして練習を積んでモチベーションを維持するのは非常に厳しく、実業団でもニューイヤー駅伝があるように有選手ほど駅伝は避けられず、駅伝経験なしで社会人で成功した選手は少ない。かの川内優輝も箱根駅伝で学連選抜の6区で先に名前を売っているし、「箱根で潰されたくない」と関東からのスカウトを全て蹴り、長距離日本記録四冠を保持した高岡寿成も高校時代は地元の名門・南においてレギュラーとして3年連続で全高校駅伝に出場し、カネボウ入社後はトラックロードだけでなく、駅伝でもで長く活躍した。

そして関東大学では新校の台頭だけでなく、2020年以降に筑波大学立教大学といった過去箱根伝統校も復活したように箱根駅伝が長距離を走る学生にとって高いモチベーションになるケースが大半であることが皮にも明されてしまい、第89回大会を最後に関東学連選抜すら止されたころとは状況が異なってきた。第91~99回まで参加していた関東学生連合すら第100回では止されるじゃねーかとか言ってはいけない。

そして2022年のうちに、第100回の記念大会(2024年)には箱根予選会において関東以外の大学にも門戸を開くことが決まったが、すでに高校生の有選手へのスカウトが終わっているタイミングであり、地方大学関係者からは「あまりにも育成への時間が足りなすぎる」とのが上がり、青学の原監督も「1回限りでの門戸開放は茶番」と切り捨てている。そして実際に100回予選では地方勢は散々たる成績に終わっており、三大駅伝に出場しておらず箱根予選会一本に調整可だった地方の古ともいえる京都産業大学の27位が最高で、他の大学の成績はタイムも順位も悲惨な結果に終わっている[10]。が、永きにわたって閉鎖的な方針だった日本学連の下部組織同士でも先細っていくぐらいなら、ビッグイベントである箱根駅伝による刺を取り入れたいという変化があったということかもしれない。しかし結局第101回で出場資格は従来の関東だけに戻り、元の木弥になってしまった。

コース 217.1km

復路は大磯で湘南海岸に出ず国道134号沿いのルートを取り、馬場先門から和田倉門(行幸通りとの交差点)を通らず日本橋を経由するルートをとっているため往路より僅かに長い。

往路(1月2日)107.5km

復路(1月3日)109.6km

金栗四三杯

第80回大会より設けられた賞。各大会で最も優秀な記録を残した選手が受賞の対となる。
なお第83・98回は二人同時受賞となっている。

受賞者 所属チーム 区間 備考
第80回 鐘ケ江幸治 日本学連選抜 5区 区間賞。見たの順位で9人抜き。なお出身は筑波大学
第81回 今井正人 順天堂大学 5区 区間新。驚異の11人抜き。
第82回 今井正人 順天堂大学 5区 区間賞。5区逆転で往路優勝に貢献。
第83回 佐藤 東海大学 1区 区間新。13年ぶりに区間記録更新。後続を4分ちぎる。
今井正人 順天堂大学 5区 区間新。昨年同様に5区逆転往路優勝
第84回 中央学院大学 9区 区間新。復路2位・総合3位に貢献。
第85回 柏原竜二 東洋大学 5区 区間新。5分弱の差をひっくり返して往路逆転優勝
第86回 柏原竜二 東洋大学 5区 区間新。4分半の差をひっくり返して往路逆転優勝
第87回 澤明伸 東海大学 2区 区間賞。2区では日本人初の2年生66分台。
第88回 柏原竜二 東洋大学 5区 区間新。4年連続区間賞で有終の美を飾る。
第89回 服部 日本体育大学 5区 区間賞。30年ぶりの優勝に貢献。
第90回 大津 東洋大学 10区 区間賞。独走ながら区間新に迫り優勝を添える。
第91回 神野大地 青山学院大学 5区 区間賞。柏原タイムを上回る走りで初優勝に貢献。
第92回 久保田 青山学院大学 1区 区間賞。1度もトップを譲らない優勝の立役者
第93回 秋山清仁 日本体育大学 6区 区間新。2年連続区間新をマーク。復路3位・総合7位に貢献。
第94回 奎介 青山学院大学 7区 区間新。6年ぶりに区間記録更新。総合優勝を決定付けた。
第95回 小松 東海大学 8区 区間新。22年ぶりの区間記録更新東海大初の総合優勝に貢献。
第96回 相澤 東洋大学 2区 区間新。11年ぶりの区間記録更新
第97回 イエゴンヴィンセント・キベット 東京大学 2区 区間新。外国人学生初の受賞。
第98回 吉居大和 中央大学 1区 区間新。15年ぶりに区間記録更新し、10年ぶりのシード権獲得に貢献。
中村 青山学院大学 9区 区間新。14年ぶりに区間記録更新し、大会新記録での優勝に貢献。
第99回 イエゴンヴィンセント・キベット 東京大学 4区 区間新。外国人学生2度の受賞。
100 山本 城西大学 5区 区間新。自身の区間記録を50近く更新し、参考記録ながら81回の今井タイムにも3まで迫る。

テレビ中継

テレビ中継が開始されたのは意外と遅く、1979年(第55回)からである。
当初はテレビ東京テレビ中継を放送。しかし、往路・復路共にダイジェスト版での録画放送(ゴール手前5kmのみ生中継)で、両日共に放送時間が1時間という非常に規模の小さい不全な放送であった。
スタジオダイジェスト映像を見ながらアナウンサー解説者が進行していくというスタイルであり、時にはCMが明けたのにもかかわらずアナウンサー解説者の上においてあった飲み物入りのコップをおもむろに片付けてから番組を再開するなど、現在の緊感のある中継からは想像もつかない雑な扱いをされていた。

しかし、こんな中継でも1月2日・3日のという、特にぼしい番組が放送されていない時間帯で放送されていたこともあって、最高13.4という好視聴率を獲得。そこで、箱根駅伝開始当初から協していた報知新聞社やその会社の読売新聞社と同じ系列である日本テレビが本格的に中継番組を製作することとなった。

1987年(第63回)から放送が日本テレビに移り、この際に日本テレビ系列ネットでの生中継が始まる。しかし日本テレビでも当初は全中継ではなく、1988年(第64回)まで途中で別番組が挿入されるという不全な放送であった。1989年(第65回)からようやく全区間全生中継となり、現在に至っている。関東ではコンスタントに視聴率25以上を稼ぐが、前述したように関東大学しか出られないということもあってか、関西地区での視聴率は15ほどとなっていた時期もあったが、近年は関西でも視聴率は上昇傾向。

地方によっては放送日程や放送体制にがあるというところもあったが、2006年以降は宮崎県(復路のみほぼ全中継)・大分県(ただし福岡県熊本県TVが映るため視聴可)・沖縄県を除いて全において前番組も含めてフルネット放送になった。また2017年より宮崎県においても往路がフル放送になったほか、スカパー日テレジータスでも「箱根駅伝G+完全版」として後日にノーカットで放送されるようになっている。

近年は日テレの方針もあってネット配信も行っており、TVer日本テレビ 箱根駅伝exitページ地上波と同時配信されている。日本テレビ公式サイトページからは運営管理に搭載されたGPSの位置も掲載されており、選手が現在だいたいどの位置にいるのか確認しながら視聴することも可

ちなみにラジオではNHKラジオ第1文化放送ラジオ日本がそれぞれ独自に中継を行っている。

駅伝大会中継の増加

日本テレビが本格的に箱根駅伝の中継を始めて成功を収め、お正月キラーコンテンツにまで成長させたことは競合他局にも刺を与えた。

テレビ朝日メ~テレとの共同制作全日本大学駅伝対校選手権大会(通称:全日本大学駅伝)を1988年より全生中継の大番組に格上げ。TBS群馬テレビの特別協を得て全日本実業団対抗駅伝競走大会(通称:ニューイヤー駅伝)を1988年より元日の開催に変更させて全生中継を開始。フジテレビ島根県出雲市が誘致した出雲全日本大学選抜駅伝競走(通称:出雲駅伝)を1989年の第1回より全生中継を行っている。
全日本大学駅伝出雲駅伝ニューイヤー駅伝のいずれの大会も現在スタイルになったのが1988年1989年であり、1987年日本テレビでの生中継を始めた箱根駅伝の成功に乗っかる形で自社の駅伝中継コンテンツを作ったのがうかがえる。

第83回大会までのテレビ中継のエンディング曲「I must Go!」

2007年の第83回大会までのテレビ中継で使用されていたエンディング曲「I must Go!」は、お正月気分を吹き飛ばす鬱曲として有名である。

この曲を歌っているのはトミーヤングTommie Young)という人であり、この曲はもともと1978年映画「A Woman Called Moses」の挿入歌として作られたものである。

鬱曲などと言われながらも、この曲が不採用となった2008年以降、「この曲を聴かないと正月が終わった気がしない」「日テレ空気読めよ」「箱根駅伝と言えばこの曲サッポロビールの変なCMだろ」などと、不採用となったことを惜しむも多く、今も箱根駅伝のイメージと強く結びついた楽曲であるといえる。

第85回大会のエンディングをこの曲に変更!

ちなみに、日本テレビでの箱根駅伝中継がスタートした1987年からこの曲はエンディング曲に採用されているが、この年にはもうすでにレコード盤となっており、箱根駅伝以外での日本でのこの曲の知名度は、ほとんどゼロである。

そんな、この楽曲を採用した経緯に関しては、関係者が降臨しているこのブログ「箱根駅伝とトミー・ヤング」exitがちょっと参考になる。

運営管理車

運営管理とは、各大学監督が乗するで、そこから示を送る事も出来る。

2003年までは三菱自動車提供していたが、リコール隠しなどので撤退。
2004年から本田技研工業提供した。その際、燃料電池走行試験実施の為、大会本部車両としてFCXとその後継のFCXクラリティを投入し、勾配走破性や低温始動性などの性を確認した。その後2011年からはトヨタ自動車提供2011年プリウスプラグインハイブリッド2012年プリウスα)。トヨタホンダハイブリッドカーPR合戦にまで発展している。

関連動画

関連項目

脚注

  1. *ただし、招待出場として関西大学立命館大学福岡大学が出場したことがある。
  2. *また第100回では参加資格日本学生陸上競技連盟に所属する大学に拡された。第101回以降も続けるかは審議していく予定とのこと。
  3. *日本国籍を取得していない選手についてはエントリー2人、出場は1人までとなっている。この規定は2005年予選会から適用されている。2011年からは全日本大学駅伝でも同様の規定が取られているほか、出雲駅伝も規定こそないが大学ごとに自制している状況にある。
  4. *ただし、第83回~第89回の間は10位以内に関東学連選抜が入った場合、翌年の大会のシード権が一つ減っていた。
  5. *1959年開催の第35回大会では予選会での計算ミスにより5位と6位が入れ替わってしまったため特例で6校に拡大。
  6. *第84回大会で関東学連選抜が10位以内に入ったため、第85回予選会は10校だった。第85回大会でも関東学連選抜が10位以内に入ったが、それに加え不祥事によるシード権の剥奪もあったため、第86回予選会は11校だった。
  7. *第81回~第89回は1校から2人まで
  8. *ただし第80回のみ、日本学連選抜だった。
  9. *第93回には10区のアンカーを務めた照井明人選手(東京大学)が、区間1位を上回るタイムで走破している。
  10. *ただし京都産業大学は第99回予選会であれば15位前後になってもおかしくないタイム較的健闘しており、記念大会の増関東勢も本気で出場を狙っていたこともあって全体のタイムが速かったことも順位の低さにしてしまったと思われる。
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