藤原岩市(ふじわら いわいち、1908年3月1日-1986年2月24日)は日本の兵庫出身の陸軍軍人、陸上自衛官。大東亜戦争におけるマレー作戦で心理戦や民族独立工作を担った特務機関「F機関」の責任者。
戦後は陸上自衛隊に入隊し、調査学校長、師団長などを務めた。ただし、陸自時代の藤原については、指揮官としての適性や旧陸軍中野学校式のやり方で自衛隊の情報活動を進めようとした点などについて批判的な評価がされることもある(松本重夫など)。
大東亜戦争におけるマレー作戦に際して設置された特務機関で、宣伝戦・心理戦、民心獲得工作などを担った。最もよく知られているのはインド国民軍(INA)の創設である。
F機関は作戦開始前から当時大英帝国の支配下にあったインドの独立派と接触し、作戦開始後は英連邦軍のインド人捕虜を懐柔して大英帝国からのインドの独立を目指すインド国民軍を創設させた。戦後、インド国民軍は英国によって裁判にかけられたが、これに反対する暴動が起こり、インド独立のきっかけの一つとなった。
その他、マレー、スマトラなどでもF機関は活動しており、「マレーのハリマオ」と呼ばれた谷豊を諜報員としてリクルートしたのもF機関である。
藤原はインパール作戦の推進に極めて積極的だった。作戦開始前、第15軍の多くの参謀たちが無謀な作戦に否定的だった中で、牟田口と藤原の両名は作戦の実施を強く主張した。藤原が牟田口とともに作戦失敗の責任を負うべき立場にあり、牟田口を批判する資格のない参謀だった。ところが作戦失敗後、藤原は、自分自身の責任には全く触れず、一方的に牟田口を追及している。
また、藤原は戦後、「第33師団(弓兵団)が積極的に前進しなかったため、インパールへの進出に失敗した」という偽説を流し、作戦の失敗を第一線で戦った弓兵団のせいにして、責任転嫁を図っている。
しかし、第33師団長・柳田元三中将は師団の前進を故意に抑止した事実はない。「インパール作戦蹉跌に対するいわれなき批難を、長い間苦々しく思っていた」という磯部卓男(元陸軍中尉。第33師団歩兵第215連隊(笹原連隊)の連隊旗手)は、戦後の自著「インパール作戦 その体験と研究」の中で、藤原が拡散させた嘘の実態を詳しく検証し、「『一犬虚に吠え、万犬之に和す』の感を禁じ得ない」と述懐している。
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23 ななしのよっしん
2012/07/10(火) 23:38:04 ID: MMPu4/JG6Q
http://w
長年絶版だった「F機関」の単行本が十数年ぶりに再販されました。
あとがきではインド国民軍の元指導者モハンシン大尉の手記が記載されているそうです
24 ななしのよっしん
2022/04/05(火) 21:42:48 ID: wkV4taGdTm
ピクシブ百科事典では、かつろうとかいうネトウヨユーザーによるヨイショ記事になっている件
25 ななしのよっしん
2024/03/26(火) 23:17:00 ID: i4zDNDPS/t
今更だが>>24の見てみた。
向こうはここのインパールに触れず、ここは向こうのインド国民軍創設に触れず。同レベル(のように低い)。片方のみ貶めるのもそれと一緒に他ならない。
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最終更新:2024/04/19(金) 09:00
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