西村龍次単語

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西村龍次(にしむら たつじ、1968年7月18日-)とは、広島県出身の元プロ野球選手投手)。

概要

社会人野球ヤマハから1989年ドラフト1位ヤクルトスワローズに入団。

武器となるのは150km/hをえる剛速球のストレートで、これを武器ルーキーイヤーから二桁勝利を挙げる。1990年-1993年の間に4年連続で二桁勝利を挙げている。

1992年1993年と2年連続で開幕投手を務め、ヤクルトスワローズ黄金期を築き上げる活躍を見せた。1991年シーズンは30試合に投げ、29試合先発中15投6完封記録(6完封リーグ最多)。しかし、投は多いものの、荒れ球で暴投も多かったため、防御率はさほど良くはなかった。

1995年の開幕前に吉井理人との交換トレードで近鉄に移籍する。しかし、近鉄時代では1996年以降ほとんど登板機会すらなく、1997年オフ戦力外通告を受ける。その後、福岡ダイエーホークスに移籍。

1998年ダイエーに入団すると、先発ローテーション入りし、見事に二桁勝利の10勝を挙げ、カムバック賞を受賞。1999年2000年開幕投手を務め、ダイエーV2に貢献している。2001年にも開幕投手を務めたが、この年のみ優勝できず、引退した。

前述のとおり、開幕投手を務めると5度中4度優勝していることから、『西村が開幕を投げるとチーム優勝する』というジンクスがあった。

現在KBC九州朝日放送野球解説者として活動。一時期、テレビ朝日解説者も兼任していたが、近年はKBC解説者の活動の方が多くなった。やや辛口コメントをすることで有名。

危険球退場が確立された試合の当事者

1994年5月11日の試合で読売ジャイアンツダン・グラッデンに内の球を投げた乱闘騒ぎが起こった。西村は2回表に村田真一の頭部に死球を与え、負傷退場させた。これがきっかけで、当時巨人投手だった木田優夫が打席に立った西村死球を与えた。その後、西村とグラッデンの乱闘騒ぎとなり、当時ヤクルト捕手中西志がグラッデンに殴られる。西村中西、グラッデンは退場処分。この試合をきっかけに現在セリーグでは頭部危険球一発退場となっている。ちなみに、西村とグラッデンは10日の出場停止、制裁10万円を共に課せられている。

通算投手成績

通算:11年 登板 先発 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 205 184 43 11 75 68 2 --- .524 1234.0 453 719 572 516 3.76

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最終更新:2024/03/29(金) 19:00

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