Y十M 〜柳生忍法帖〜とは、山田風太郎原作、せがわまさき作画による漫画作品である。週刊ヤングマガジンに掲載。既刊11巻、完結。
寛永十九年、春、七人の男(会津七本槍)に率いられ巨大な犬に引かれ数珠繋ぎになって歩いている坊主の集団があった。実はこの集団は会津の領主、加藤式部少輔明成に謀反を起こした「会津騒動」の首謀者、堀主水綱房の一党であった。だがこの集団は江戸の会津藩加藤屋敷に向かわずに鎌倉の東慶寺へ行くという。
松ヶ丘東慶寺は開山以来男子禁制の尼寺であり縁切り寺でもある。堀主水一党を連れてきた一人の男はこの縁切り寺へと逃げ込んだ堀一族ゆかりの女たちに最期の別れをさせてやるという。
しかしその真意は堀の女たちを惨殺することであった。かくして堀一族の女たちは無残に殺され残りは七人となった。残った女たちは藩内でも一度に噂に上った美女ばかりであった。
しかしそこに五三の桐(豊臣家の家紋)を戴いた女乗物がやってきた。そこに乗っていたのは東慶寺後見人、天樹院(千姫)であった。天樹院は東慶寺の男子禁制の寺法に神君家康公のお墨付きまでとりつけたほどの人物であった。
加藤家の家臣は堀一族の誅戮については公儀の許しを受けていると言うが、堀の男についてだけのことであり、天樹院は命をかけて残った堀の女七人を守るという。このまま堀の男まで解き放つと言い出しかねない天樹院に恐れをなした会津七本槍は手をひくこととなった。
十日後、万松山東海寺住職、沢庵宗彭に連れられてやってきたのは江戸柳生家嫡男、柳生十兵衛三厳であった。
江戸の加藤屋敷に連れていかれた堀一門は、切腹や打首ではなく、はりつけや火あぶりですらなく、なるべく長く苦しみぬくよう刃を潰して切れにくくした刀で手足の指を切り落とされ、加藤明成はそれを肴に酒杯を傾け、笑いながら三日に渡って見物したという。しかも七本槍の東慶寺での残虐な振る舞いに褒めの言葉まで与えたという。
天樹院が沢庵と十兵衛を呼びつけたのはなんと堀の女たち自身に仇討ちをさせるため、助力を乞うためであった。
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最終更新:2024/04/25(木) 20:00
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