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    • 571ななしのよっしん

      2018/03/10(土) 11:43:26 ID: 9j596r2qH/

      龍波しゅういちこそがこの宇宙一のでございます

    • 572ななしのよっしん

      2018/03/31(土) 15:51:40 ID: vgnV/ikkx7

      人口が七十万に対して、神様八百万もいる県があるらしい
      鷹の爪団カレンダーネタにされていて面かった

    • 573削除しました

      削除しました ID: jxrZVeD6Vp

      削除しました

    • 574ななしのよっしん

      2018/04/06(金) 16:28:57 ID: UL65AIL1zP

      田舎に住んでると「神様なんてすぐ傍に居るのに何で態々社とか建ててる必要があるんだろう?」って思うわ。
      商売にもならないのに。

    • 575ななしのよっしん

      2018/04/12(木) 11:14:39 ID: W0kTtq/m/O

      >>574
      怒らせないために機嫌とってるんじゃないかな

    • 576ななしのよっしん

      2018/04/29(日) 22:42:08 ID: IJEEqCOYKH

      「2^77232917 -1 is Prime number.」(素数)

    • 577ななしのよっしん

      2018/05/27(日) 11:25:06 ID: ryFz4frSZs

      教でないなんかないよ。あったら、それは「精霊」です。
      神様というのはね、選べないんです。
      選んでしまったら、それは神様ではない。
      宗教観」も同じ。
      そんなものを持ってしまったら無神論者になってしまう

    • 578ななしのよっしん

      2018/05/27(日) 11:27:26 ID: ryFz4frSZs

      だから今はGodKamiを別物にしようという考えが多くなっている
      はず

    • 579ななしのよっしん

      2018/05/27(日) 15:20:43 ID: v294GSrojs

      多分外で言う唯一神之御中なんだろ
      そのあと外で言うところの天使である他の別天津にまかせて他所に行ったんだろ

    • 580ななしのよっしん

      2018/07/04(水) 19:38:45 ID: xO9RPztfgv

      何か良いことをしたから神様助けてくれるっていう発想が極めて属人的で理解不なんだよなぁ
      神様だからこそ人間を助けたりはしない、善悪そのものが人間に依拠した思想だしそんなので助けようとするなら他の動物とか植物とかとか差別してんじゃん、物質世界物理的な正しさの方が上だし全然説得いじゃん

      って8歳の時に思ったんだ、それがどうとかじゃなくてっ新な人間がそう考えたってことは昔の人も言うほど神様を信じてなかったんじゃないのって思う、もちろん祈ったり拝んだりはするけど文化形式常識的なものであってさ
      本当かどうか知らないけどやって損はないだろ的な?実はあやふやな事を押し付けてる自覚もあったのでは?

    • 581ななしのよっしん

      2018/07/10(火) 04:22:18 ID: 9j596r2qH/

      龍波しゅういちだんなマン、)こそがでございます

    • 582ななしのよっしん

      2018/07/12(木) 18:56:23 ID: AkmFHWCHxy

      >>580
      「良いこと」というのがが何に良いことなのかという話でしかない。
      (信仰の対としての)にとって良いこと、という話であればそれは(への)従、礼拝、崇拝、勤行等各教によって良いと教えられる行為 という図式になっている場合、
      それぞれ奉じる所の実在を前提としてそれが相応に報いてくれると各教団教祖導者が触れているのを後は各信徒がそれを信じるかどうかという話になるが、論これは物理法則レイヤーの問題ではない(この世で報われる事を期待する以上は物理法則の下で起きる諸現を介する他いが)
      良いことをしたら良いことが返って来るというのは善因善果悪因悪果といって仏教的・バラモン教的態度であると言える。これはという存在の仲介を特別必要としないカルマ則における収支の問題でしかない。ただこの場合でも良いことというのが何に良いことなのかという話になる。
      「何か良いことをしたから神様助けてくれるっていう発想」というのは単純に考えれば溺れている人を助ければ自分も溺れた時かに助けて貰える、という話になるだろう。
      それに類する一対の現が起きた時「の采配で」といえば恰もその存在によって為されたかのように聞こえるし、別にそれはカルマ収支によってと考えた所で差し支えない。

    • 583ななしのよっしん

      2018/07/12(木) 19:08:24 ID: AkmFHWCHxy

      要するに良いことをしたら々といってもそれは
      「ある宗教・思想等においてそれが(その奉じる所のにとって)良いとされる事(礼拝・信奉・修練・寄進等)」をしたら果たしてそれが自分にとって良い形で返って来るのか?という疑問と、
      カルマ則のす所である善因善果悪因悪果となっているように良いことには良いことが返って来る(上記の溺れる人を助けたケース等)ようになっているか?
      という二種の疑問があると言えるのだろう。前者は一教的・多教的テーマであり後者仏教テーマ(もしくは純カルマ収支問題)であると言える。


    • 584ななしのよっしん

      2018/07/12(木) 19:22:40 ID: AkmFHWCHxy

      つまり純カルマ収支則のみを追って考える立場からはへの信仰崇拝によって々というのは見掛け上のものでしかなくカルマ則の作用に拠るものというしかい。
      教徒達が「の采配」に「定量性」を見出しているかどうかは不明な所も多く、従と信仰によって報われるといった話ばかりでカルマ則の存在を示唆する教義は一教では立たない。

      論者からすればカルマ収支もも迷信という事にしかならず、専ら善因善果悪因悪果のカルマ収支によるという立場に立てばへの信仰や崇拝が報われているように見えるのは錯覚か、いは見掛け上のものという事になる。
      すると何が恰もの采配であるかのように「見せ掛けて」いるのか?単純にカルマ収支ならばこんな奇特な話はではないのか?といったケースが散見されるのは何故かという疑問に突き当たる。
      すると、一つの仮説として物理法則カルマ収支則の2つを保持しつつその許す範囲で「イタズラ」している存在がいるのではないか、という話が立てられる。
      このイタズラがやっているのか?

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