64
31 ななしのよっしん
2016/05/01(日) 14:11:39 ID: tynYrEa0M+
騎兵から直接機甲兵に進化したものではない、ってのがちょっと気になったんだけど、
各国で騎兵科が従来の騎兵の代替手段として開発してない?
32 ななしのよっしん
2016/05/02(月) 09:03:09 ID: heBS/w9Clt
33 ななしのよっしん
2016/05/02(月) 09:57:30 ID: BEMV0wEMPT
任務はそのままに馬の代替として自走車化する場合は確かに騎兵の直系の子孫といえる
AMC(AMR)とかの戦術区分で戦車を開発したフランスがそうだな
記事の最後で触れている"戦車"がどこまで広い範囲を指すのかが分かり難いかな
個人的には、機甲科の誕生には軍隊の近代化にあたり既存の雑多な兵科を吸収した側面があり
その中には当然騎兵(より正確には馬を用いた任務)も含まれたと思うよ
34 ななしのよっしん
2016/07/06(水) 00:28:26 ID: 66KPpeaY0h
>>21
走りながら馬を乗り換える技術は20世紀にも普通にやってる
日本の士官学校に留学したモンゴル人が「日本人は馬の扱いは下手だなぁ」と思ってたとか
35 ななしのよっしん
2016/07/21(木) 09:51:30 ID: ldN1O7aDFm
36 ななしのよっしん
2017/01/13(金) 21:56:05 ID: lCrmaTVEw2
>>26
どれが決定的な要因かは分からんけど、日本では平野で戦列組んでぶつかり合うような戦い方自体馴染みが薄いよな。あっても大陸からの影響色濃い上古か(蝦夷征討という国家事業もあったし)、延々と血みどろの戦争してた戦国時代くらいか。
狩猟や遊牧で鍛えられた遊牧民との接触が無いってのも研究・開発の真剣さに影響してる気がする。
斥候・伝令と指揮の為走り回るとかこまごまとした使い方じゃなく、迂回する機動力と人馬一体の衝撃力を期待した使い方って日本にあったのかね。
よく引き合いに出される長篠の失敗にしても、勿論勝頼の大局的な不利・焦りもあっただろうが、当時の鉄砲の弱点を突こうとしてファインプレーを狙った結果、正面から行っちゃって大失敗って感じで(勝頼だけでなく老臣たちにしても)組織的な騎兵運用のノウハウが少しでもあったらあんなことしないよなぁという印象がどうも・・。
37 ななしのよっしん
2017/05/13(土) 21:12:01 ID: 4uVttz8J9p
今、武豊が番組で流鏑馬風的当てやってたが、使ってる馬が競馬に合わせたのか体高が人の頭よりデカイ馬で、やっぱあれでは見ててもデカすぎるように感じたわ
西洋の馬上槍試合(ジョスト)の検索画像見ても、現代の再現でも昔の絵画でも1.騎乗者の足が馬の腹に届くくらい。2.馬の背は立ってる人の肩くらい(どうでもいいが何かエ□ゲっぽい画像も引っ掛かる)
日本の武士が使った馬でも、体高4尺○寸の馬を○寸(○キと読む)の馬と表現したそうだが、4尺8寸(約145cm)で八寸(ヤキ)の大馬と呼び、5尺(約152cm)以上は寸(キ)に余ると言ってデカすぎて使いにくい扱いだったらしい
状況に即応して乗り降りしたり、馬上で戦ったり、騎乗したまま坂道でも悪路でも越えるには、時代にもよるがそのくらいが妥当だったんじゃないかと思う
38 ななしのよっしん
2017/05/13(土) 22:34:41 ID: 4uVttz8J9p
馬は人に比べ個体としてはデカいし速いが、筋肉で動くのは変わりなく、体格あたりの出力はそこまで劇的に違わないし、武器は騎乗者が持つ
つまり装甲の厚さや使用可能な兵器自体は(経済的問題を考えなければ)歩兵と大差ない
一方、内燃機関の出力は人には運搬不可能な重量の装甲や火力の機動を可能にした。初期戦車の意義は移動する要塞で、攻城塔のようにも思える。塹壕という戦闘形態も歩兵以上の速力を必要とせず、突破後の機動戦ではまだ騎馬が当てにされていた
その後の発展で戦車も馬以上の速力になり、騎兵戦車や電撃戦など機動力を活かした運用も発達して騎兵の役割も吸収できるようになったのだと思う
ただ近代以降の騎兵は火力も装甲も歩兵に勝る物ではないが、封建時代の騎乗兵は経済力や日頃の鍛練の違いから、同時代の徒歩兵に比べ装甲火力に優れた、現代戦車に近い存在だったかもしれない
39 ななしのよっしん
2017/11/27(月) 18:17:04 ID: 4uVttz8J9p
YouTubeから モンゴル騎兵
なかなか動きが軽快でカッコいい
https://
https://
40 ななしのよっしん
2017/12/02(土) 20:12:37 ID: 4uVttz8J9p
すまん。貼りたかった動画こっちだった
内容自体は上二つとほぼ一緒なんだが
war horse battle charge
https://
41 ななしのよっしん
2018/03/31(土) 22:19:46 ID: 4uVttz8J9p
『騎馬武者、サムライの戦闘騎乗』
https://
武者の足として自由自在に動かしてる感じが格好いい
参考サイト 日本甲冑騎馬研究会
http://w
42 ななしのよっしん
2018/09/13(木) 08:27:42 ID: OjjRIXHLT6
>>28>>29
日本在来馬は体高135センチくらいで、同時代の他国の馬と比べてもそう小さいものではないよ
甲冑着て在来馬乗ってる写真とか探してみて、なかなか様になってるから
三年前のレスに返答するのも非常識かと思ったけど今見て勘違いする人もいるかもしれんから書き込んだ
43 ななしのよっしん
2020/01/19(日) 00:13:57 ID: nxsAY1IEgI
https://
ところでこの動画を見てくれ、これをどう思う。
44
2020/08/09(日) 15:39:33 ID: oyTceI1VZM
ポーランド戦では結構活躍してたらしいが馬は死ぬからなあ。
部品取り替えれば復活する機械に取って代わられるのも仕方がない。
45 ななしのよっしん
2020/08/30(日) 22:02:48 ID: 4uVttz8J9p
いや、機械も壊れるし、壊れ方次第では直しようがないからそれは直接関係ないでしょ…
些細な故障でも馬と違って草食って眠るだけで復活する事はないし
46 ななしのよっしん
2020/11/02(月) 15:46:16 ID: pmnLO15nca
そもそも数を揃えるのに馬は育てる必要あるから時間かかるのよ。
しかも育成や行軍に使う際の餌も大量に用意しないといけないから、それの輸送などにも相当なお金もかかる。
戦車や装甲車は短時間で大量生産できるけど、馬は短時間では大量生産できないから取って代わられた。
47 ななしのよっしん
2020/12/27(日) 18:58:19 ID: hAFWzxifA5
慶長の役で明軍騎兵に苦労したって話を聞いて日本の槍衾運用はやっぱり豊富な人的資源にのっとった特殊な運用なんだと思った
だから序盤鴨緑江を超えて女真に苦戦したんだなぁと。山岳地帯多めの半島と違って本領を発揮した騎馬起動を初めて見るとビビっただろうな。
鉄砲の大量運用で切り抜けたんだけどそこら辺、歩兵戦力じゃ大陸のそれとは質が違ったんだろうな
48 ななしのよっしん
2021/01/01(金) 10:14:05 ID: DhYDPODayM
日本の槍衾運用は多くて2、3列程度の層が薄いものでそこまで攻撃的なもんじゃない。それに日本の騎兵は少数運用兼臨時編成だし
大陸の方陣のような大規模かつ多方向を考慮したもんじゃないから騎兵の突撃に耐えられないのは当然
あと明から見て日本の槍術は稚拙立ったという話がある
49 ななしのよっしん
2021/01/21(木) 08:55:28 ID: PgyD6KNuoG
>>46
仮に大量生産可能だったところで、そもそも馬に装甲付けて砲乗せて動けと言っても無理だろうしな・・・
50 ななしのよっしん
2021/02/17(水) 06:32:06 ID: denFcCvMvS
イギリスの暴動に騎馬警察が対処したのを、
俯瞰から撮影した動画をtwitterで見かけて、最高にエモかった
フィクションみたいな全速力の突撃でなく、
駈歩くらいの速度でも数騎が突っ込んだだけで暴徒の群れが真っ二つに割れ、
その騎兵が作った隙間に歩兵である一般警官が素早く浸透・分断してた
51 ななしのよっしん
2021/03/15(月) 05:26:29 ID: WfeXQ6kaYz
>>47
日本の地形じゃ騎兵を育てにくいだろうしね。スペインみたいに鉄砲隊保護&対騎兵用のテルシオ陣形があれば大陸部の騎兵にも対抗できるだろうけど。
52 ななしのよっしん
2021/04/18(日) 03:35:47 ID: qM3kfwn6z2
日本って山による高低差もあるけど
土地が肥沃だから森や藪ばかりで大規模な騎兵運用に向かない
だから当然ノウハウも作られない
53 ななしのよっしん
2021/08/14(土) 21:16:57 ID: nxsAY1IEgI
>>52
昨今の資料によると武田や北条では装備別に編成がされていたようで、小隊~中隊規模での運用はされていたらしい。
54 ななしのよっしん
2021/09/05(日) 11:41:52 ID: Gh9mJmMHzU
大口径狙撃銃、対戦車ロケット弾、迫撃砲、偵察に徹した騎兵だったら第一次大戦以降でもそれなりに使えそうな気がする。
あと両大戦でも、運搬での馬匹は相当重要だった。だからこそ地獄絵図だが…
55 ななしのよっしん
2021/09/22(水) 16:22:15 ID: tpMwYiHEsu
>>53
特別な事例で中隊サイズまでとなると、多くて150騎のまとまりだから、やはり大規模運用は行われていないというべきだろう
中世後期のヨーロッパも(日本ほどではないが)比較的起伏があって森もあったが、本格的な会戦だと1000騎ぐらいは騎兵を集中させていたからね
また、百年戦争期のイングランドが下馬騎兵として重装騎兵を用いていた(一方、ロングボウ兵は乗馬歩兵で、戦場外では馬で移動した)ことを考えると、武田あたりも、150騎の独立部隊が戦闘に巻き込まれた際には、かなりの程度が下馬してたりしてたんじゃない?
56 53
2021/10/09(土) 23:18:18 ID: nxsAY1IEgI
>>55
一応補足すると規模については岩付衆の編成で馬上衆500余騎で奉行5人と書いてあったので小隊~中隊と書きました。
尚、岩付衆は全体で1600人弱です。
また、騎乗戦闘については信長公記に記述が残っています。
57 ななしのよっしん
2021/12/11(土) 18:44:11 ID: 5isp1odXRk
>>54
シャテーナル(ザンブーラキ)というのが中近東で既にあった
ラクダが主だが馬でも運用されてる
どっちもそこまで流行らなかったからやはり使いにくかったっぽい
58 ななしのよっしん
2022/06/13(月) 14:43:16 ID: tpMwYiHEsu
>>56
もちろん騎乗戦闘、とりわけ騎兵戦を一切行わないわけはないと思うし、確かに幾つかの備はより大規模な騎兵を含んでいたと思う。
ただ、備自体は歩騎混成であることの方が多く、混成の中の騎兵戦力は比較的小さいことが多く、軍・行軍・会戦場における騎兵は集中しているよりも分散していることの方が多かったんじゃないかと理解している
何と比べているのかといえば、それは西洋の古代・中世の会戦様式であり、1万人ぐらいの軍である場合、一翼に(歩兵でいうところの)大隊規模(500騎以上、スコードロン換算では3個以上)の集中が見られたり、その規模の騎兵戦が観察され、一方、本邦では(良く言われているように)それは珍しかったのではないだろうか、ということだ。
もちろん、江戸時代になって(軍馬の育成を怠り)馬の体格が縮小したんじゃないかという話も耳にしているし、俺が日本の戦に詳しいわけでもない。
そこで、戦国時代は思ったよりも騎兵戦(騎兵対騎兵)や騎兵突進(騎兵対歩兵)が多かったんじゃないかというあなたの意見の本質は、(純粋な騎兵戦の生起率や騎兵突進の部隊規模の点で)完全には納得しないけど、確かに拝聴したい。
59 ななしのよっしん
2022/06/13(月) 15:08:09 ID: tpMwYiHEsu
考えてみれば、岩付衆だとか戦国時代の軍制には全く詳しくないけど、遊撃的な騎兵戦は、国土全般を見ればしにくいだけであって、ところによっては普通にありえるんだろうなあ
昔、鉢形城址に観光に行った時、資料館で、俺の住んでるところで、確か1560年の小田原城の戦いの数年後あたりで、上杉と北条が小競り合いをしましたみたいな記述を読んだ覚えがある。
その時は「住んでるところの記述、たったこれだけ?w」と思ったもんだけど、考えてみれば、その小競り合いは騎兵戦だったのかもしれないなあ
読んだ当時は歩騎混成の小勢同士が集落を巡ってなんかしたと思ってた。中山道のさる宿なのだが、その周辺には、戦国時代当時、雑木林が広がっていたと思っていたからだ。
(何しろ、子供の頃、旧中山道からあまり遠くないところに小さな雑木林がまだあり、その中に親が宅地を買ったので)
でも、実は案外開けてたのかもしれんね。詳しいことはわからんけど
60 ななしのよっしん
2022/11/08(火) 02:48:33 ID: YX0QRObToR
馬を育てにくい土地
戦闘の参加人数が少なく戦術より個の力が重要
日本の騎兵事情はこのせめぎ合いが熱い
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