札幌丘珠事件 単語

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サッポロオカダマジケン

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札幌丘珠事件とは、1878年1月11日~18日の間に、石狩札幌札幌村大字丘珠(現:札幌市東区丘珠町)で起こった獣害事件である。

概要

北海道の有名な三大熊事件の中で、もっとも古い時代に起きた出来事であり、かつて最大の惨劇と呼ばれていた。
しかし、被害の大きさで言えば三大の中ではもっとも被害少なく、第3位となっている。

忙しい人のためにこの事件を簡単に説明すると、冬眠中のヒグマ猟師で撃ったが、急所を外して返り討ちに合い、その後怒り狂ったヒグマ札幌市内を駆けずり回り、人々を襲った事件である。

被害者は死者3名と重傷者2名にのぼった。

事の始まり

今でこそ200万人の人口を誇る北海道の一大都市となっている札幌だが、この事件が起こった明治11年頃は、定住者が現れて20年しか経過しておらず、人口はなんと8000人にも満たなかった。
現地には原始的な自然が多く残っており、そこには大自然の中で野生動物達が永らく暮らしていた。

11日、猟師の蛭子勝太郎が、札幌郊外にある円山の山中へと、狩りにやってきていた。的は狩りだった。
すると彼は、1頭の冬眠しているヒグマを発見した。冬眠しているヒグマは当然防備であり、これは勝太郎にとって、千載一遇の好機であった。
今日はツイている、よし、一発で仕留めてやるぞ」とばかりに、彼は引き金を弾いた。

ところが、弾は急所を逸れた。の弾を撃ち込まれて眠り続けられるほど、ヒグマ鈍感ではない。
それどころか、冬眠状態から理矢理覚醒させられたヒグマ昂し、その勢いのまま勝太郎に逆襲、殺した。

冬眠中だったヒグマは、当然何も口にしていなかった。その空腹感はヒグマを苛立たせ、さらに勝太郎によって手負いにされたことで、ヒグマの怒りの炎は頂点にまで達した。
 激怒したまま、ヒグマはすぐに山を降り、やがて人間達の暮らしている札幌市内へと突入したのである。

ヒグマ追走劇の始まり

数日後の17日、ヒグマ札幌市内に襲来との報は札幌警察署に届いた。
札幌警察署・警察吏である長保は、駆除隊を結成してヒグマ討伐へと出向いた。

ヒグマとの最初の遭遇は、河向こうのでのことだった。発見した駆除隊は速追いかけるが、ヒグマはやはり素かった。その後ヒグマ白石と相次いで逃走し、駆除隊はヒグマに翻弄され続けた。

この時、最大の不運が訪れる。ヒグマを追い続けるうち、猛吹雪が吹き始めてしまったのである。
北海道吹雪はやはり凄まじく、しかもまだ開拓間もない土地である。吹雪深い森林に阻まれた駆除隊は、やむなくこの日の追撃を諦めることとなった。

しかし、大自然で生きてきたヒグマは、猛吹雪で怯むようなヤワな生き物ではなかったのである。

ヒグマに急襲された一家と事件の終焉

駆除隊に追い回された17日の深夜のこと。ヒグマは丘珠に到着すると、ある一見の小屋に狙いを定める。

そこは、炭焼を仕事としていた開拓民、倉吉達が住んでいた。事件当の倉吉、妻のリツ、雇われていた女性、そして生まれて間もない倉吉の息子、留吉の4人がっていた。

ヒグマは、そんな一家の小屋に押し入り、旦那の倉吉と飲み子の留吉を食らった。さらに妻のリツと雇女は、顔に重傷を負わされてしまった

翌日、ヒグマは殺現場の近くで発見されて、駆除隊によってついに射殺された。撃ち殺されたのはオスで、1.9mもの巨体を持つ大物だった。 

その後は、旧5000円札でも有名な農学者・新渡戸稲造によって解剖されたと言われている。当時の新渡戸は札幌学校に在籍していた学生だったのだ。
調べて見ると、案の定の内容物として、倉吉と留吉のものと見られる手足や、髪の毛が発見された。ヒグマから出てきたこれらはホルマリン漬けにされ、保管されることとなった。
ちなみに新渡戸の学友達はこっそりをつまみ食いしたそうだが、後に人体の一部が見つかったことで顔面となり、必死になって戻したとか……。 

この事件を起こしたヒグマ剥製にされ、当時の明治天皇しくそれを見学にやってきたと言われている。

事件を起こしたヒグマ剥製の内容物は、今でも北海道大学付属の植物園に保管されているという。

かつて事件が有名になった理由

第3位という被害規模や、イマイチ鮮明でない被害状況など、本事件の全体像を見ると、1位2位べれば小規模なものに収まっている。
にも関わらず有名になったのは、上述のように明治天皇が見学にきたからである。「明治天皇がご覧になった」ということが話題になったことで、この事件のあらましは有名になり、最大の惨劇として知られるようになった。

襲われたの状況は、恐らく想像するのも恐ろしくなるほどの地獄絵図であっただろうが、そういった当時の生々しい情報も他の事件にべるといかんせん欠けているきらいがある。

それがとなったのか、後に起こった三毛別羆事件である。三毛別羆事件はその惨劇が起こった後、り継ぐ者がいなかったため、話が表向きになる前に風化しかかっていた。しかし有志によって文献がまとめられ、この日本史上最大の獣害事件はより有名になった。逆に札幌丘珠事件は風化し、存在そのものが認識されなくなりつつある。

かしこの事件は、実に理不尽に不運が重なった事件であった。
最初に勝太郎を撃ち損じていなければ……大吹雪がなく、駆除隊が追跡を続行できていれば…。
2つの犠牲者となったが、実質崩壊することなどなかったのである。

一番理不尽なにあったのは、間違いないの人々であろう。

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