アレックス・リンスとは、スペイン・カタルーニャ州バルセロナ出身のオートバイレーサーである。
1995年12月8日生まれ。
2012年よりMotoGPのmoto3クラスへ参戦を始めた。
わずかキャリア2戦目にしてヘレスサーキットで予選最速タイム、ポールポジションを獲得した。
2013年にmoto3クラスランキング2位。
2014年にmoto3クラスランキング3位。
2015年にmoto2クラスへ移動、ランキング2位。
2016年もmoto2クラスでランキング3位。
2017年からスズキワークスで最大排気量クラスに参戦している。
ゼッケン、ヘルメット、本名
ゼッケンは42番を使っている。42insと表示するのが好みのデザイン。4がA、2がRに見える気がする。
レースを始めた6歳のころは14番を使っていて、これはこれで好みの番号だった。
9歳の頃に気分転換で24番に変更した。
13歳の頃、24番を使うライダーが他にいる選手権に参加するとき、42番に変更した。
14歳の頃はゼッケン24番に戻したが、42番を使っていた時の方が幸運が続いた気がしたので、
15歳の頃に42番に戻し、そのまま現在まで続いている。
moto3クラス時代はよく見てみるとゼッケン4.2になっている。これは所属するチームの
スポンサーが「Estrella Galicia 0.0」だったから。
moto2クラス時代はゼッケン40番だったが、これは所属するポンス・レーシングのスポンサーが
Los40というラジオ局で、ゼッケン40番を強制してくるスポンサーだったからである。
ヘルメットは2011年から2013年までSHOEI、2014年から2016年までイタリアのSuomy、
2017年からはイタリアのX-lite(イタリアのNolanの傘下ブランド)と契約してきた。
ライダースーツは星のマークでおなじみのアルパインスターズと契約している。
好みの色はオレンジ色で、あらゆるファングッズにオレンジ色が塗られる。
本名はAlejandro(スペイン読みだと多分アレハンドロになるだろう)。
the 42 bakery
ヘルメットの正面に「the 42 bakery」と書いてある。意味は「42番のパン屋さん」。
ヘルメットの頭頂部にはスズキのSマークがついたパンが描かれている。
ヘルメットの側面部分はこうなっている。もう少し拡大した画像はこちらで、
スズキワークスのスタッフがパンを作り、それをアレックスが食べるという内容の絵だと分かる。
描いたのは藤原らんか。
なぜパン屋さんという題材になったかの詳細は不明。
the 42 bakeryのInstagramアカウントがある。
リンスファンクラブがパンを用意している画像もある。画像1、画像2
ちなみに2018年日本GPのヘルメットデザインは「the 42 SUSHI BAR」となった。
頭頂部は寿司になり、側面部ではスズキワークスのスタッフが寿司を握っている。
ライディングスタイル
綺麗で上手、器用な技巧派ライダーである。
ブレーキをガツーンと掛けたりアクセルをドーンと開けたりして攻めまくる、というスタイルではない。
攻めすぎずに綺麗に走って上手くまとめて好成績を残す、というスタイルである。
2016年のインタビューで「ホルヘ・ロレンソの乗り方を参考にしている」
「スムーズに乗るようにしている」と語っている。ヤマハ時代のロレンソは技巧派筆頭格なので、
アレックス・リンスも技巧派とみてよい。
G+の解説でおなじみの青木拓磨さんがデビュー当時から「ライディングが綺麗だ」と絶賛していた。
2013年のサンマリノGPのときなど「上手ですね~」「うまい!」とべた褒めしている。
元二輪レーサーという人種は子どもの頃から極めつけの負けず嫌いであり、それゆえ、
なかなか現役ライダーを褒めない。青木拓磨さんもその例に漏れず、なかなかライダーを褒めない。
そんな彼が珍しいことに絶賛しているのであった。
青木拓磨さんが熱心に褒めていたのはマーヴェリック・ヴィニャーレスとアレックス・リンスの2人だけで
この2人の行く末がどうなるか注目される。
パッシングで誰かに迷惑を掛けることも少なく、クリーンなライダーだと言える。
「わずかキャリア2戦目でヘレスサーキットにて予選最速、ポールポジション獲得」というのは
彼にとって生涯の勲章になるだろう。
ヘレスサーキットはMotoGP御用達のテストコースで、MotoGPライダーの全員が若い頃から
走り込んでいるサーキットであり、みんな速く走ることができる。
ヘレスサーキットで抜きん出た走りをするとMotoGP関係者全員が注目するほどである。
そのヘレスサーキットでキャリア2戦目初ポール、これは伝説的な偉業と言っても良い。
すこし怪我が多いのが難点といえば難点だろうか。毎年のようにどこかを骨折している。
2017年は第3戦練習走行で転倒骨折し、5戦を欠場、ルーキーイヤーの大事な学習期間を失ってしまった。
アレックスのSNSにはMotoGP御用達外科医のハヴィエル・ミール先生がしょっちゅう出てくる。
ミール先生も「またか」と思っていることだろう。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
コーナーリング最中に、外側の足を外に向ける
コーナーリング最中に外側の足をグッと踏み込まず、軽い踏み込みにして、爪先が外に向くことがある。
この画像を見ても、あまり強く踏み込んでいないことが分かる。
靴がぴょこんと外に飛び出ているようで、見ていて面白い。画像1、画像2、画像3
これはリアタイヤを適度に滑らせるために行っているらしい。
2014年のmoto2クラスでチャンピオンを獲得したティト・ラバトが、外側の足を外していた。
この動画はツインリンクもてぎの1コーナーの画像である。
右に曲がっていくとき、左足を完全にステップから外している。
この走りにマーヴェリック・ヴィニャーレスやアレックス・リンスが影響を受けたようである。
成績の良いサーキット、巡り合わせが悪いサーキット
2014年のインタビューでインディアナポリス・モータースピードウェイが好き、
ブルノサーキットとバレンシアサーキットが嫌い、とコメントしている。
とはいえ、ブルノやバレンシアの成績はそれほど悪くなく、むしろ良い。
サーキットオブジアメリカズという高難易度コースで2勝を挙げていて、技量の高さを窺わせる。
どのサーキットもしっかり好成績を上げている印象がある。
最近のInstagramの質問コーナーでフィリップアイランドサーキットが好きと答えていた。
あまり巡り合わせがよくないのはツインリンクもてぎである。
2013年は最終コーナーでハイサイド転倒、ランキング1位に上がるはずがランキング3位に落ちる。
2016年は3コーナーで転倒、戦前は1ポイント差のランク2位だったが戦後は21ポイント差に広がる。
このどちらもシーズン最終盤で、チャンピオン争いに深い影響を与えてしまった。
レース前は神経質になる
レース決勝が開催される日曜日はとても不安になり、神経質になってしまう、
自分をコントロールするのが大変だとインタビューで答えている。
その発言の通り、レース前の表情も神経質な感じである。
シト・ポンス、リンスにお小言を言う
2016年シーズンのアレックス・リンスは好調でヨハン・ザルコとチャンピオン争いをしていた。
このときリンスはポンスレーシングに所属していて、監督はシト・ポンスだった。
そのシト・ポンス監督が2016年7月、ドイツGPのとき、マニュエル・ペチーノ(名物記者)に
マーヴェリック・ヴィニャーレスとアレックス・リンスを比較するとしたら、と訊かれこう答えている。
「どちらも良いライダーですよ・・・良いライダーなんですが」
「(言いにくそうに重苦しい雰囲気で)ただね、アレックスは集中できていないんです。」
「マーヴェリックはサーキットに来た時点で集中できていて、すんなり速く走ることができる。
一方アレックスは集中力を高めて、それから速く走る。マーヴェリックよりもワンテンポ遅いんです」
「(堰を切ったように怒濤の勢いで)だから私はアレックスに言ったんです。
サングラスだのTwitterだの、そういう下らないことを全て忘れて、ザルコのことにだけ集中しろと。
朝起きたらザルコのことを思い出せ、トレーニングするときもザルコのことを思い出せ、
鏡を見たらザルコの幻影が見えるぐらいになれと言ったんです。そうやってチャンピオンというのは
勝ち取るものなんです。寝ても覚めてもライバルのことを考える、これが大事なんです。
最大排気量クラスに移ったら簡単にはチャンピオンを獲れないかもしれません。しかし今は
手の届くところまでチャンピオンの座に近づいているんです。全ては彼次第なんです」
シト・ポンスは1988年と1989年に250ccクラスチャンピオンを獲得している国民的英雄である。
その彼が言うのだから間違いのないことだろう。
ただ、先述のようにアレックス・リンスはかなり神経質でナーバスになるという性格である。
レース決勝が近づけば近づくほど不安な精神状態になるという心配性の性格なのだ。
自分の性格を3つの言葉で示してくださいと言われたとき、不安(uneasy)、神経質(nervous)とまず答えて、その後迷ってから、善良(good)と答えている。
サングラスやTwitterのことを考えさせてリラックスさせてやるべきだという考え方もあるだろう。
エミリオ・アルサモラと決別、犬猿の仲になる
エミリオ・アルサモラにはMotoGPデビュー以前から世話になっていた。
2014年までマネージャーを務めてもらっている。
しかしながら2014年シーズンを最後にエミリオ・アルサモラと決別し、新たなマネージャーを雇った。
現在、アレックス・リンスとエミリオ・アルサモラは口も利かない間柄になっている。
これはなぜかというと、2014年シーズンの終盤に、アルサモラからさんざん
「アレックス・マルケスのサポートをしろ!」と言われたからであった。
アルサモラはマルク・マルケス&アレックス・マルケス兄弟のマネージャーでもあり、
アレックス・リンスよりもアレックス・マルケスへの愛情を優先するタイプであった。
このことにリンスは大変な不快感を覚えたらしく、エミリオ・アルサモラと決別したのである。
エミリオ・アルサモラはEstrella Galicia0.0と関係が深いので、リンスはそのチームからも離れ、
シト・ポンス監督のいるポンスレーシングに移った。
アレックス・リンスは将来レプソルホンダに移籍することはないだろう、と言われるのもこのためで、
エミリオ・アルサモラがマルク・マルケスのマネージャーとして自由に出入りするレプソルホンダは
アレックス・リンスにとってまさに敵地であり、近寄りたくもない場所なのである。
好きなスポーツ、トレーニング
学生時代は数学が苦手で体育が得意だった、と答えている。
スポーツはどれもこれも好きで、冬場はクロスカントリースキーやインラインスケートを楽しむ。
自転車トレーニングも大好き。ジェットスキー、水泳、サーフィン、カヌー、ラケットボール、
サッカー、バスケ、テニス・・・何でもこなすスポーツ万能青年。
モトクロス、ダートトラック、スーパーモタード
モトクロス(凹凸のある土の路面をジャンプしながら走る競技)、
ダートトラック(平坦な土の路面を走る競技)、
スーパーモタード(舗装路面8割・土の路面2割のコースを走る競技)の全てを積極的に行っている。
カタルーニャサーキットすぐ隣のこの場所にあるロコス・ランチで練習をすることが多い。
モトクロスもダートトラックも練習できる。画像1、画像2、画像3
彼の自宅があるアンドラ公国からだいぶ離れたこの場所にあるアルカラスサーキットへやってきて、
スーパーモタードやダートトラックの練習をすることもある。画像1、画像2、画像3、画像4
彼の自宅があるアンドラ公国から相当に離れたこの場所にあるモーターランド・アラゴンに来て
そこで練習することもある。画像1、画像2、画像3
トライアル
トライアル(岩などの障害物をよじ登る競技。こんな感じの競技)にも挑戦している。
トライアルは、MotoGPの走行とは違ってかなり筋力を要求される。全く別の種類の競技と言える。
だから、トライアルに挑戦するMotoGPライダーは少ないのだが、アレックスは積極的である。
インタビューではトニー・ボウが好きだと答えている
いくつかトライアルの練習の画像が上がっている。画像1、画像2
自転車
自転車トレーニングの画像も山のように上がっている。
GIANTの自転車が好きで、ずっと使っている。同社は台湾の企業。画像1、画像2、画像3
ジム、体力測定
ジムにも積極的に通っている。
行きつけのジムは、自宅から近いこの場所にあるアニョスパーク・リゾートホテルのジム。
このホテルにはジム、プール、テニスコートなど何でも揃っている。画像1、画像2
体力測定も定期的に行っている。
バルセロナ近郊にありホンダ系ライダーがやってくることで有名なCARサン・クガで測定したり、
アンドラ公国のこの場所にある20%+センターで測定したりする。
CARサン・クガも20%+センターも本格的な機械を使って測定している。画像1、画像2
この画像で唐突にホルヘ・ロレンソが「この画像は人を欺くものだ。本物はあまり強くない」
とコメントしていて面白い。
友人
アレックスは社交的なナイスガイで、交友関係が広く、多くの人がSNSに出てくる。
一緒にトレーニングする同年代のライダーは、アルベルト・アレナス、ガブリエル・ロドリゴ、
ファビオ・クアッタハッホなど。画像1、画像2、画像3
2014年頃までジャック・ミラーと親しかった。画像1、画像2
2014年のmoto3クラスでジャック・ミラーとタイトルを争うアレックス・マルケスを助けろと指示され、
そういうレースをする。そのため一時はジャックから口をきいてもらえなくなったらしい。
2018年には既に関係が修復している。
なんとあのトニー・ボウと一緒にトレーニングする画像がある。画像1、画像2、画像3
トニー・ボウはトライアル世界選手権を12連覇している超人。
ホルヘ・ロレンソとの画像も上がっている。画像1、画像2、画像3
アレイシ・エスパルガロやポル・エスパルガロとの画像も上がっている。画像1、画像2
ヴァレンティーノ・ロッシのトレーニングコースに呼ばれたことがある。画像1、画像2
エドゥ・ヴィロドレ(Edu Villodre)という人もしばしば出てくる。画像1、画像2、画像3
この人は2017年からレプソルホンダでダニ・ペドロサの手伝いをしていた。この画像の一番右にいる。
家族・マネージャー
父親。
ほとんど毎戦サーキットにやってきて息子を応援する。
TwitterやInstagramのアカウントを持っている。いくつか画像があるのでリンクを貼っておきたい。
画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6、画像7
2013年moto3クラス最終戦は上位3人のライダーがポイント差5以内にひしめく中で行われた。
この大一番にも当然やってきていて、特集ビデオの中で5回も登場している。
画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
こちらの動画は2013年開幕戦カタールGPに駆けつけたときのもの。
隣にいるのはマルケス兄弟の父親のフリア・マルケスさん。どちらも落ち着きゼロ。
息子が3位以内に入ると、パルクフェルメにやってくる。画像1、画像2、画像3、画像4
ファンクラブの動画でインタビューに応じている。
もともと水道工事の会社に勤めていた。アレックスが小さいときに退職して、会社を興したという。
母親。
スペインは夫婦別姓の国なので結婚した後も旧姓を名乗り続ける。
アレックス・リンスの正式な名前は両親の姓を受け継いだ「アレックス・リンス・ナヴァーロ」となる。
略称はヴィキー(Viky)。ファンクラブ動画のインタビューで、その名前が出ている。
日本において母の日は5月第2日曜日だが、スペインの母の日は5月第1日曜日である。
5月第1日曜日というとスペインGPが開催されるのが近年の恒例となっている。
ヴィクトリアさんも2016年スペインGPにやってきていた。
妹。
TwitterやInstagramのアカウントがある。誕生日は1月11日。
2018年10月のツィートで「まだ未成年なんです」と喋っている。スペインの成人年齢は18歳なので、
2001年1月11日生まれか、2002年1月11日生まれか、その辺なのだろう。
アレックスのSNSに出てくる。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
親父のSNSに出てくる。画像1、画像2、画像3(ホルヘ・ロレンソと映っている)、
画像4(昔レースをしたことがあるらしい)
ファンクラブ会長。
ファンクラブ動画のインタビューで登場する。
「ラファエルの姉かまたは妹、アレックスにとって伯母さんもしくは叔母さん」であると思われる。
スペインは結婚しても旧姓を名乗り続けるので、生涯リンス姓のまま。
Twitterアカウントがある。
マネージャー。
契約交渉の代理人で、アレックスに何か商談を持ちかけたいならディエゴに話しを通す必要がある。
アレックスのSNSにしばしば登場する。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
アルメリア大学卒。大学では経営学を学んだ。
この場所にあるアルメリアサーキットの経営を2000年から2008年まで務めた。
2010年からmoto2の名門ポンスレーシングの経営の一角を担当する。
2015年にアレックスがポンスレーシングに入団したので、そのとき知り合う。
それ以来、アレックスのマネージャーを務めている。
2017年からはポンスレーシングから離れ、アレックスのマネージャーに専念することになった。
TwitterとInstagramのアカウントがある。
ゆかりの土地、住所
アラゴン州ヴァルデアルゴルファ
アラゴン州テルエルのヴァルデアルゴルファに親戚が多い。アレックスの父方の祖父母が住んでいる。
2018年アラゴンGPのとき、G+で宮城光さんが
「アラゴン州にはアレックスのお爺ちゃんが経営する『42oil』というガソリンスタンドがある」
という情報を視聴者に提供していた。そのガソリンスタンドはヴァルデアルゴルファ南郊のここにある。
画像欄を開いてみると、『42oil』の看板がアレックスのロゴと同じ。
この街は人口わずか700人であるが、お祭りの時は民族衣装を着る人も出て昔ながらの風景になる。
アレックスがそのお祭りに参加している動画がある。スペインらしく、爆竹・花火が出てくる。
後半でアレックスも民族衣装を着ている。Twitterにもその画像がある。画像1、画像2
この民族衣装はアラゴン州のもので「バトゥーロ」という。
モーターランド・アラゴンにとても近く、直線距離で18kmしか離れていない。
アレックスがモーターランド・アラゴンでスーパーモタードのトレーニングをする事が多いのはこのため。
サーキットでトレーニングしたついでに親戚・友人に会いに行くのだろう。
画像1、画像2、画像3
バルセロナ
アレックスはカタルーニャ州バルセロナで生まれ育った。
通っていた高校はモンラウ高校という。バルセロナ北東のこの場所に校舎がある。
モンラウというと「モンラウ・コンペティション・スクール」が有名だが、それはこの場所にある。
アレックスはモンラウ・コンペティション・スクールが支援するTeam Monlauでmoto3を走っていた。
高校1年生の時の動画がある。途中で母親と妹がちょっと出てくる。
アンドラ公国
2017年初頭に家族そろってアンドラ公国へ引っ越した。
2017年3月の自宅訪問動画で「ここには最近引っ越してきた」と語っている。
アンドラ公国の首都アンドラ・ラ・ベリャではなく、そこから北に離れたラ・マサナ教区に住んでいる。
この画像は、自転車トレーニングでコル・ドルディーノ山まで登ってきたもの。
だいたいこのあたりがコル・ドルディーノ山の頂点となっている。
西のオルディーノ(ラ・マサナのすぐ隣)と東のカニーリョを結ぶ山道は、彼にとって定番の道。
この記事では、高低差700mの山道であることが紹介されている。
スポンサー
経済的に繁栄していてモータースポーツが盛んなカタルーニャ州バルセロナ出身で、
moto3時代からスター街道をひた走ってきたので、スポンサーが多い。
1952年にバルセロナで創業したブレーキ製造企業。アレックスのヘルメットの口に名前がある。
バルセロナ郊外のマタロに本社がある不動産企業。アレックスのヘルメットの頬に名前がある。
バルセロナ郊外のマタロに本社がある建設企業。アレックスのヘルメットに名前がある。
スペイン・ガリシア州のビール企業。社名は「ガリシアの星」という意味で、ラベルに六芒星がある。
Estrella Galicia0.0はノンアルコールビールの銘柄名。
メーカーやチームの垣根を越えてMotoGPライダーの多くに支援をしている。
アレックスもビールサーバーを操っている。画像1、画像2、画像3
スペインの首都マドリッドに本社があるサングラスメーカー。格好いい動画を作ってもらっている。
アレックスのイメージカラーはオレンジ色なので、オレンジ色のサングラスが出てくる。
アレックスのSNSにしばしば登場する高価そうな回復器具。画像1、画像2
付けるだけで筋肉を刺激して筋トレ効果をもたらす。画像1、画像2
フランスの自動車メーカー。イベントに呼ばれている。画像1、画像2
レーシングチーム 42Motorsport
なんとアレックスは2015年から2017年まで自分の名前が付いたレーシングチームを持っていた。
Twitter、Instagram、Facebookのアカウントがある。
MotoGPの下位カテゴリーであるCEV(スペイン6ヶ所、ポルトガル1ヶ所、フランス1ヶ所で行われる
若手育成用の選手権)に出場していた。
アレックスもたまにピットを訪れ、ライダーにアドバイスを送っていた。画像1、画像2、画像3
実質的なチームオーナーは父親のラファエルさんだったらしい。
発表会の動画に、スーツ姿のラファエルさんの姿が見える。動画1、動画2
しかしまぁ・・・わざわざレーシングチームを作ろうと考えるあたり、リンス家の財力の高さというのを
感じることができる。
その他の雑記
ヨーグルトが好きで毎朝食べる。ピザも好きな食べもの。
1人暮らしであり、料理もする。ただし面倒なときは近くに住む両親のところに駆け込むらしい。
子どもの頃好きだったアニメは忍者ハットリ君と答えている。
これとこれが藤原らんか絵。結構似ている。
片言の日本語を駆使するアレックス。
近年のスペインは中華料理や日本料理の店が多くなってきている。
アレックスも平気で箸を使い食事している。画像1、画像2、画像3
バルセロナ出身者らしく、FCバルセロナのファンである。画像1、画像2
子供時代の写真がある。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5、画像6、画像7
3歳の時に4輪バギーを与えられ、6歳の時に小さなバイクを与えられた。
3歳の時に与えられた4輪バギーは、スズキのものである。
たまにサインボードにNLYFと貼られる。「Never Lose Your Faith(信念を捨てるな)」の意味。
愛犬家で、2匹の犬を飼っている。ブルドッグのpacoと、レトリバーのolivia(雌犬)。
pacoは2018年12月に飼い始めたらしい。
oliviaは家の中で飼っている。画像1、画像2、画像3
アイスバケツチャレンジに挑むアレックス。動画1
ドッキリでメカニックをおどかすアレックス。動画1
2016年12月28日には「来年はゼッケン28にする」と書いている。
12月28日は聖イノセンテスの日と言い、スペイン語圏のエイプリルフールで、
いかにも起こりそうなことをさりげなく書く技術を皆が磨く日となっている。
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関連リンク
- the 42 bakery公式Instagram(2017年11月以降のファンクラブアカウントとなっている)
関連項目
- スズキワークス
- Team Monlau(moto3時代に所属)
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