イプシロンロケットとは、宇宙航空研究開発機構(JAXA)とIHIエアロスペースが開発した小型人工衛星打ち上げ用固体ロケットである。
概要
2006年に廃止されたM-Vロケットの後継機として2007年に開発研究が開始され、2010年には名称が「イプシロン」に決定し本格的な開発へと移行した。
2013年9月14日に試験型であるE-Xの初号機を打ち上げ、2016年12月20日と2018年1月18日に第2段を大型化した強化型イプシロンを打ち上げ、2018年度打ち上げ予定の4号機から性能向上および更なる低コスト化を図った実用型のE-Iに切り替えることが予定されている。
名称
イプシロンとはギリシア文字のεのことで、開発を担当する宇宙科学研究所(ISAS)とその前身である東京大学宇宙航空研究所が開発したロケット、カッパ(κ、K)、ラムダ(λ、L)、ミュー(μ、M)シリーズの後継機・新世代という意味が込められている。
ギリシア文字の順番ならばμの次はニュー(ν、N)なのだが、Nロケットと被るため飛ばされている。
であるが、
- 「いいロケッ ト」→「Eロケット」→「イプシロンロケット」
開発経緯
M-Vは低軌道に1850kgという世界トップクラスのペイロード打ち上げ能力を持つ固体燃料ロケットだが、打ち上げ費用75億円(ペイロード重量当たりではH-IIAの約5倍)、製造・準備期間3年(ペイロードに合わせたセミオーダーメイドが必須)と、原理的には安価で簡素なはずの固体ロケットの利点をまったく生かせていないという大きな欠点を持っていた。
また、M-Vの能力に合わせて設計された衛星はISASの予算規模と比較して非常に大きなものとなってしまい、その開発・製造コストはロケット本体の費用と合わさってISAS予算を圧迫し、衛星打ち上げ機会を非常に限られたものにしてしまっていた。
これらの問題の解決策として、規模の適正化を行いつつ、大型で高価な割には性能への寄与が大きくない第1段のコストをどのように下げるかが焦点となり、
- H-II→H-IIAのような規模・構成を維持した低コスト化改良
- 第1段自体を省略し、第2段~キックステージを使用した派生機の開発
- H-IIAのSRB-AとM-Vの第3段を改良して組み合わせた小型機の開発
といった構想が打ち出された。このうち議論の中心となったのはSRB-A流用案だったが、
- 3案中で打ち上げ能力が最も小さく(低軌道約900kg)、今度は小さくなりすぎる恐れがある
- 同様の発想でかつて開発したJ-Iロケットが、様々なトラブルから結果的にまったく省コスト化できず、試験機のみで廃止されている
といった理由から他の2案を推す声も多かった。
最終的には、SRB-A流用案をベースに、M-V5号機のキックステージを改良して追加することにより低軌道1200kgの性能を確保し、新技術とモバイル管制システムを採用してコストを引き下げ、E-I型で打ち上げ費用30億円を目指すこととなった。
特徴
衛星にやさしいロケット
PBSの追加
M-Vは「全段固体ロケット」としては極めて高い軌道投入精度を持っていたが、高度な制御が可能な液体段を持つロケットと比較するとその精度は決して高レベルではなく、より正確な軌道が求められる種類の科学観測衛星では衛星自体のスラスタを用いた修正が必要であり、負担となっていた。
イプシロンでは、PBS(Post Boost Stage)という軌道調整専用の小型液体燃料ロケットをオプションとして搭載することにより、衛星側の負担を軽減している。
E-Xでは信頼性の高いヒドラジン系エンジンを使用するが、E-Iでは整備時の安全性に優れコストを削減できるエタノール系に置き換える。
振動の軽減
固体燃料ロケットは液体燃料ロケットに比べて打ち上げ時の振動が激しい。M-Vはそれに加え、傾斜ランチャーなどの射点構造から、離床時の衝撃波が衛星に伝わってしまいやすい問題を抱えていたために、衛星の強度設計に厳しい制約が課されていた。
イプシロンでは射点構造の改善と衛星搭載部への防振ゴムの本格採用により、この問題を大幅に緩和している。
世界のどこからでもモバイル管制
イプシロンの目玉の一つが「モバイル管制」と称される高度なアビオニクスである。
搭載電子機器の信号接続を従来の一対一接続からLANに近いものへと置換えて軽量化を図り、さらに各搭載機器が自力で状況を監視、点検できるようにした。これにより打ち上げ前の点検作業が高度に自動化され、射場作業日数がM-Vの42日から最短7日に短縮された上、ネットワーク越しに最低ノートパソコン1台で(実際はセキュリティの関係で2台以上)管制することができるようになった。
製作期間の大幅な短縮
M-Vは受注から打ち上げまで3年もの期間を要し、ロケットとペイロードの組合せの変更も不可であり、これが打ち上げを自由に行えない一大原因となっていた。
イプシロンでは第1段に量産が前提のSRB-Aを使用することなどで製作期間が1年以内と大幅に短縮している。また、各段が完成し、燃料を積んだ状態で射場に搬入されるため打ち上げ準備期間もM-Vの一ヶ月半から一週間と短くなり、即応性と人件費削減による低コスト化につながっている。
射場
これまでのISASのロケットと同様、内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられる。
射場選定の経緯
検討初期段階では、イプシロンの第1段であるSRB-Aは火薬類取締法等の制約により、燃料を詰めた状態での陸上輸送が不可能だった。
ちなみにM-Vでは第1段を分割輸送することで、H-IIA用SRB-Aでは射場に燃料充填施設を併設することで法律問題を回避していた。
これが、老朽化している上に地形的制約から燃料充填施設を併設できない内之浦宇宙空間観測所の存続問題に発展し、一時は種子島宇宙センターへの統合も検討された。しかし、地元からの存続の声が大きく、また新射点を建設することへの予算面の不安、飛行経路の関係で種子島宇宙センターでは軌道投入能力が低下する問題の解決が難しいことなどから、法律をイプシロンに合わせて緩和するという形で問題が解決され、内之浦宇宙空間観測所からの打ち上げが決定された。
射点構造の変更
射点はそれまでM-Vで使用されていたものを改修して使用する。ただし、M-Vまで継続使用されてきたISAS伝統の傾斜ランチャー方式から、H-IIAなどと同様の垂直打ち上げ方式に変更されている。
傾斜ランチャー方式は離床したロケットを「海側に投げ出す」ため、誘導制御に早期に問題が発生しても比較的安全性が高い。しかし、M-Vにおいては、ロケットの重量がランチャーとロケット自身に負担をかける、発射の際の轟音が地面に反射してロケット本体に衝撃を与え、衛星の強度設計の制約が厳しい、等の問題があった。
イプシロンでは、Mシリーズ等の実績により誘導制御の信頼性が確立されたとして、垂直打ち上げ方式への変更を行った。これにより、ウォーターカーテンの設置、煙道の大型化など、ロケットに掛かる負担を大幅に減らす改善が可能となった。
主要諸元
- 全長:E-X24.4m 強化型26.0m
- 直径:2.6m
- 全備質量:E-X91.0 t 強化型95.4 t 強化型オプション装備95.7 t
- 打上能力:E-X1,200kg 強化型1,500kg(低軌道)
590kg(太陽同期軌道・強化型オプション込)
打ち上げ予定
- 2018年度 革新的衛星技術実証1号機 50kg級超小型衛星3基 キューブサット3基
- 2020年度 革新的衛星技術実証2号機 地球観測SAR衛星「LOTUSat-1」 ※ASNARO-2同型機 ベトナムへのODA供与
- 2020年度以降 地球観測SAR衛星「LOTUSat-2」 ※ASNARO-2同型機 ベトナムへのODA供与
それぞれ2年に1回で計画が予定されている「公募型小型計画」と「革新的衛星技術実証プログラム」を介して、年1、2機程度の打ち上げを実施したいとしている。
将来
電子技術の進歩で観測衛星の小型化が進んだため、現状イプシロンロケット程度でもISASの低軌道機需要は満たせるものの、はやぶさなどの惑星探査機を単独で打ち上げるのに適した、低軌道打上げ能力数トン程度の中型ロケットが存在しない。これはGXロケットの計画が破綻してしまったためである。
この問題を解決するため、イプシロンロケットの能力強化が検討されている。
惑星探査ミッション向けの当面の対応として、固体キックモーターを追加することで惑星間200kgの能力を確保することが検討されている。
また、将来構想としては、重量のある衛星の打ち上げにはM-Vの第2段を追加して4段式にすることが検討されている。
なお、SRB-Aから軽量化、ジンバル排除がなされるH3ロケットのSRB-3の運用開始以降は、イプシロンロケットの第1段もH3仕様になる模様。(シナジーイプシロンと呼ばれている。SRB-3はイプシロン仕様の可変ノズルと、H3仕様の固定ノズルに切り替えが可能な設計となっている)
衛星打ち上げ実績
機体番号 打ち上げ日時 型式 | 搭載衛星 |
試験機(TF1)2014/09/14 14:00 ※E-X型初飛行 4段構成 |
|
2号機(F2) 2016/12/20 20:00 ※強化型初飛行 3段構成 |
|
3号機(F3) 2018/01/18 06:06 ※強化型3段構成+PBS |
関連動画
試験機 (打ち上げ日時:2013年9月14日14時00分00秒)
2号機 (打ち上げ日時:2016年12月20日20時00分00秒)
3号機 (打ち上げ日時:2018年01月18日06時06分18秒)
開発関連
関連生放送
関連コミュニティ 関連チャンネル
関連リンク
関連項目
脚注
- *イプシロンロケット5号機による革新的衛星技術実証2号機の打上げ結果について 2021.11.9
- 4
- 0pt