キスカ島とは、アメリカ合衆国アラスカ州アリューシャン列島に位置する島である。
概要
アリューシャン列島西部のラット諸島に所在するアメリカ領の島。1741年、冒険家のヴィトゥス・ベーリングによって発見された事で人類史に初めて登場した。当時ロシア帝国が領有していたが、特にこれといって開拓する事は無かった。1867年、ロシア帝国はアラスカの領有権をアメリカに売却。これによってキスカ島はアメリカの領土となったが、アメリカもまた開発に力を入れる事は無かった。
現在は無人島であり、島内には日本軍が置いていった施設や兵器が残されている。自然環境と歴史遺産保護のためアメリカ政府は立ち入り規制を敷いており、入島する事は出来ない。
大東亜戦争とキスカ島
キスカ島を語る上で欠かせないのが、奇跡の作戦と呼ばれるキスカ島撤退作戦であろう。
1942年6月、日本海軍はミッドウェー島攻略作戦に乗り出した。これと並行する形でアリューシャン列島にも進攻し、アッツ島とキスカ島を占領。予定では恒久的占領ではなく、すぐに撤退するはずだったが、ミッドウェー海戦の敗北により急遽方針転換。アッツ島とキスカ島の持久維持が決まった。無人島とはいえ、れっきとしたアメリカ領土を占領された事は連合軍に大きな衝撃を与えた。キスカ島の方がアラスカ本土に近かったため、優先して軍備が増強された。水上機母艦千代田により甲標的が輸送され、甲標的基地が作られた。島内には円滑に運ぶためのトロッコとレールが残されている。1942年7月、キスカ湾に停泊していた駆逐艦霞、霰、不知火が米潜水艦グロウラーに襲撃されて大損害を受けている。
1943年5月、アッツ島にアメリカ軍が襲来。守備隊が玉砕し、キスカ島の将兵は退路を断たれる形となってしまう。この危急に日本海軍は潜水艦を派遣し、傷病兵の収容には成功したが、伊7潜が撃沈された事で潜水艦での救助を断念。そしてアメリカ艦隊はキスカ島を包囲し、毎日のように砲撃を開始した。キスカ島の将兵を救うべく、水上艦艇による収容部隊を編成。その指揮官には叩き上げの木村昌福少将が就いた。圧倒的数の敵が包囲するキスカ島から、上手く味方の将兵を収容できるのか。成功の鍵は、アリューシャン列島特有の濃霧が握っていた。
7月28日、収容部隊はキスカ湾に突入。敵の妨害を受けることなく全将兵を収容し、翌29日に幌筵へと帰投した。絶望的な戦力差だったにも関わらず1隻の沈没艦も1名の戦死者も出さずに退却を成功させた事から奇跡の作戦と呼ばれる。一方、日本軍が撤退した事を知らないアメリカ軍は8月15日に上陸。その日は濃霧が出ていた事もあり、壮絶な同士討ちを行った。100名近い死傷者を出したところでキスカ島を奪還。再びアメリカの手に戻った。
関連項目
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