トキめき新潟国体とは、 2009年開催予定の第64回国民体育大会のことである。
前回の新潟国体と天皇杯(男女総合優勝)
前回の(1964年、1巡目。第19回国体)新潟国体において、新潟県は、金と権力に物を言わせた画期的な方法で地方都市にも、天皇杯という名誉をもたらすことが出来るということを、世界に知らしめた。
それがある意味国体の意義を歪めた、ともいえるが、国民体育大会が都道府県対抗のスポーツ大会という形式をとる以上、いつか、どこかの都道府県でこういった手法が取り入れられたはずである。
これは、後に「新潟方式」とも言われ、これ以降の国体開催県の、標準的な手法として定着した。
新潟県は、先駆者であったのだ。
余談であるが、もともと国体は関西圏で開催される予定だった。
それが、2回目の開催地として石川県が立候補したことから、日本各地を巡るようになる。
新潟も第5回開催地として名乗りを上げたが、その当時には国体の開催県となるべき条件(借金が無いこと、もしくは少ないこと等も条件に入っていた)を満たせず、誘致には失敗した。
また、当時の盛り上がりは、今回の比ではなく、新潟県は大いに盛り上がった。
「国体へ県民一致の力こぶ」というスローガン通り、新潟県の総力を結集したイベントであったのだ。
トキめき新潟国体と天皇杯
トッキッキや各市町村、県庁の担当者が、総力を挙げてPR活動に励んだ「トキめき新潟国体」、「トキめき新潟大会」。
蓋を開けてみれば、認識度はそれほど低くは無かったが、多少関心が薄かったことは否めない。
「知っているけど、興味が無い」
これは、仕方ないと思われる。
昔と違って、価値観も変貌したし、娯楽も増えたのだから。
しかし、オリンピック級選手が来るような競技では、一目見たさに観覧者が殺到するようだ。
さて、ここで今回の新潟国体と天皇杯について考えてみる。
先行するトキめき新潟国体冬季大会スキー競技会において、新潟県勢は18年ぶりの総合優勝という成績を残してくれた。スケート、アイスホッケーがおこなわれた、みちのく八戸国体での成績を総合した、冬季大会全体で見ても、堂々の4位である。
この冬季大会と本大会での総合得点で、天皇杯は決まる。
そして、ここに水泳競技会での成績を加えると、順位は男女総合成績6位。
現在の新潟県知事、一部の新潟県のスポーツ指導層の中には、トキめき新潟国体での天皇杯奪還に否定的、消極的な意見もあるようだが、今このご時世だからこそ、新潟には総合優勝という希望が必要だと思われる。
が、たった1年間。
地元国体での天皇杯のためだけに、国内から強引に選手を引っ張ってくるという状況は、良いことではあるまい。彼らの多くは、地元国体が終わったあと、また別の県に移籍していくのだから。
長期的に、地元の選手を育成していく環境は必要であろう。
また、県外から招聘された選手を出場させるため、確実に予選を通過させる方法として、たった一人で予選を行うといった、出来レースも存在する。(もちろん1位になるわけだ)
では、新潟県は今回の国体での天皇杯に興味が無いのか?
現在の新潟県教育委員長は、どうやら本気で天皇杯奪還を目指しているらしい。
もし、新潟県が天皇杯を奪還して、半世紀前の快挙を再現できることがあれば、「開催県の天皇杯至上主義」は、より強いものになるであろうし、もしも天皇杯が取れなければ、多少は天皇杯に対する関心は薄くなるのかもしれない。
どんな小さな都道府県でも、開催県になった途端に天皇杯をとるという、奇妙な事象は2002年まで続いた。
2002年、高知国体において、高知県は天皇杯至上主義を捨てた。
しかし、その後の国体では、2008年の大分国体まで、開催県が天皇杯をとってきた。
様々な弊害があると分かっていながら、天皇杯至上主義は消えることが無かったのだ。
この流れを変えることが出来るかどうか?
新潟方式とも揶揄される手法による、「天皇杯至上主義」
今回のトキめき新潟国体は、都道府県対抗のスポーツ大会「国民体育大会」における、天皇杯という意味を再確認する、絶好の機会とも言える。
・・・・・・・・・・2009年10月5日午前11時。新潟県による天皇杯の奪還が確定。
その後、皇后杯の奪還も確定する事となる。
ゆめ半島千葉国体では、新潟県勢は、総合成績で15位以内には入るかもしれない。
しかし、その後はおそらく、40位以内程度で落ち着くのではないだろうか?
他県で行われる国体は、なかなか注目されないものであるから、県民の多くは、こんな成績でも気にならないのだ。
3巡目の、新潟国体は開催されるのか?
国体は、大きな変革期に入っている。
もともと国体は、開催県が日本体育協会などに「開催を認めてもらう」形式となっている。
これは、おそらく2回目の石川県の前例があるからだろう。
慣例として「そろそろ前回から半世紀経過したから、うちでも開催するか?」といった認識で、国体の開催県は決定されているように思う。
また、天皇至上主義同様「他県がやっているのに、うちが開催しないのはおかしい」という、役人の事なかれ主義という考えもあるのだろう。
しかし、国体には莫大な費用がかかる。
たとえば、競技場の「規格」についても、厳しい体育協会のチェックがはいり、改修を余儀なくされたケースが多いらしい。
一部のジャーナリストの中では、「体育協会と業界との癒着」もささやかれている。
これに対し、開催県に対して国からの援助はほとんど無いらしい。
これは、国体が、開催県が開催を認めてもらう形式であることも起因するのかもしれない。
つまり「こっちは面倒見ないけど、やりたければ勝手にどうぞ」っと言うことである。
しかし昨今、各自治体の「知事」が国からの負担金に大して「NO」をいう声をあげている。
今のところ、2017年までは夏季大会、秋季大会開催地が決まっているようだが、その先は不透明だろう。
とくに、冬季大会の開催地の選定は、年々難しくなっているようだ。
2011年の冬季大会は、開催地の決定が遅れに遅れ、開催まで1年を切った、2010年の2,3月にようやく決定した。
とにかく、莫大な費用をかけてまで、認識度の低い「国体」を開催すること、それをPRする事に、「NO」という自治体が出てくるはずだ。既に冬季大会では、その現象が始まっている。
加えて、都道府県対抗の競技会として、「国体」への関心が薄い選手や団体も一部では存在するようだ。
選手個人の成績より、総合的には、開催県の成績が注目されてしまうのが「国体」である。
これにより、必ずしも、国内最高峰の選手達があつまる大会とは、言えない面もある。
JOCが日本体育協会から分離して、体育協会のメインイベントは、目立たない国体だけとなってしまった。ある意味、国体の存亡が、体育協会の存亡に直結している。
それだけに、体育協会も国体を改革しようとしているのだが、際立った成果は出ていないように感じる。
もう少し広域圏(道州制の区割りでもいいと思うが)での開催、総合優勝というものの廃止、などなど、いろいろなアイデアがあると思う。
50年に一度、全国の、どこかの都道府県に対し(道路整備や競技場改修などを含めると)1000臆近い負担を強いる仕組みは、廃止するべきだろう。
また、地元の国体の代表として、他県の人間を招聘する仕組みも、透明さをかく。
長々と冗長な文章が続いたが、結局。
国体が、何時まで続くか?、半世紀後、再び新潟で開催されるかどうかは、現時点では不明である。
ただ、最後になったが。
地元の選手が、全国の選手を相手に、全力で戦う姿は、とても誇らしいし、頼もしい。
そんな選手たちを、地元の競技施設で応援できるスポーツ大会が、今のところ国体しかないのも事実。
今は歪んだスポーツ大会となっている国体だが、様々な改革を行って、すばらしいスポーツ大会になってほしいっと思う。
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