ピット・バイラー(Pit Beirer)とは、ドイツ出身の元・バイクレーサーである。
KTMワークスのスポーティングディレクターを務めている。
「ピット・ベイラー」と表記する日本語記事も多く、表記揺れが起こっている。
略歴
1972年10月19日、ドイツ・バーデン=ヴュルテンベルク州ラードルフツェルで生まれた。
モトクロス(凹凸のある土の路面をジャンプしながら走る競技)のプロ選手で、ホンダやカワサキやヤマハやKTMのマシンに乗ってFIMモトクロス世界選手権2スト250ccクラスでトップレベルの活躍をしていた。
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ランキング マシン 1995年 5位 ホンダ 1996年 7位 ホンダ 1997年 3位 ホンダ 1998年 3位 ホンダ 1999年 2位 カワサキ 2000年 3位 カワサキ 2001年 5位 ヤマハ 2002年 3位 ホンダ
2003年シーズンはKTMのマシンに乗り換えて参戦継続した。
この年のFIMモトクロス世界選手権には「MXGPクラス」というものが新設され、それまでの2スト250ccマシンに加えて4スト450ccマシンも参戦可能となった。つまり、モトクロスの歴史が変わった1年だったのである。ピットもそのクラスに参戦した。
2003年6月8日(日)に、ブルガリアのセヴリエヴォで第5戦が行われた。気温24度・湿度80度と蒸し暑い中でのレースだった。このときピット・バイラーはトップ争いをしていたが激しく転倒してしまい、昏睡状態に陥って、病院に空輸された。肺に損傷があり、人工呼吸器を取り付けられた。7日後に昏睡状態から目が醒めたが、脊髄を痛めてしまったことにより、車椅子生活に入ることになった。
この記事が当時の様子を報じている。「生きていて幸運だった」とピットが語っている。
このあとリハビリをして、KTMに就職し、モータースポーツ部門で働くようになった。
2019年現在の肩書きはスポーティングディレクター(Sporting Director)という。この肩書きは、ワークスチーム内の人事の決定や、サテライトチームとの折衝をする立場の人に付けられるものである。
Moto3やMoto2におけるKTMワークスというとアジョ・モータースポーツで、Moto2や最大排気量クラスにおけるKTMサテライトというとTech3である。ピット・バイラーはそれらのチームへいつも顔を出している。
風貌
真っ白なシャツを着ていることが多い。それで爽やか笑顔になるので、いかにもといった感じのスポーツ好き熱血教師という風貌になる。画像1、画像2、画像3、画像4
車椅子生活をしているからか、あるいはもともと筋肉質だからなのか、腕がとても太い。丸太のような太さ。画像1、画像2、画像3、画像4、画像5
性格
ピット・バイラーはKTMワークスの代表者であり、ニュースサイトに出てきてコメントを発することが非常に多い。特に、KTM応援団と言っていいようなニュースサイトであるSPEEDWEEKにはしょっちゅう出てくる。
そうしたニュースサイトの記事から、ピットの性格を読み取ることができる。
ふがいない選手を叱る
ピットはこの記事の中頃で「忍耐力というのは私の長所ではありません! (patience is not one of my strong points!)」と語っている。
その言葉通り、ふがいない選手を叱咤することがしばしば見られる。
2018年のミゲール・オリヴェイラは予選が遅かった。これを見たピットが「チャンピオンシップを勝ちたいのなら予選を速く走るべきだ」と苦言を呈している。
2018年初頭のブラッドリー・スミスはカタールテストでもカタールGPでも速く走ることができず、ポル・エスパルガロに後れをとっていた。これを見たピットが「私はスミスについて時々イライラしている」とコメントしている。
2018年中盤のポル・エスパルガロは、予選においてロングランをせず、本気で走る周回の後にスロー走行の周回をしてタイヤを冷やすことが多かった。タイヤを冷やした後にまた本気走行をしようとして転倒してしまうことがあった。これを見たピットが「ポル・エスパルガロの集中する時間は短すぎると思う」と発言している。
ふがいない選手への不満を公言する・・・というのがピットのやりかたである。我慢して不満をグッと胸の中に溜め込む、ということをしない性格となってる。
気持ちが表情に出る
ピットはかなり直情的な人物で、思っていることがそのまま表情に出る。
2013年のMoto3クラスのチャンピオン争いは大接戦で、最終戦バレンシアGPには次のような状況になっていた。
ランキング | ポイント | 首位との差 | 所属チーム | |
1位 | ルイス・サロム | 300 | アジョ・モータースポーツ | |
2位 | マーヴェリック・ヴィニャーレス | 298 | -2 | チーム・カルヴォ |
3位 | アレックス・リンス | 295 | -5 | Team Monlau |
この3人ともKTMのマシンを使っていてKTM陣営としては大喜びだったのだが、特にKTMとの関係が深くて実質的にKTMワークスだったのがルイス・サロムの所属するアジョ・モータースポーツだった。このため、KTMのステファン・ピエラCEOとピット・バイラーは、揃ってアジョ・モータースポーツのピットに詰めかけていた。
ところがなんと、決勝レースの15周目に、4コーナーでルイス・サロムは転倒してしまう。先頭からの差が少ない3番手走行中の出来事だった。
そのときのピットの表情はこんな感じ。となりのステファン・ピエラCEOに比べると、表情が大きく変化して、悲しげな顔になっていることがよく分かる。
ピット・バイラーは決してポーカーフェイスになることができない人で、ある種の質問を受けるとしっかり反応する。嫌な質問を受けるとすぐ溜息をついたり顔をしかめたりするので、ジャーナリストにとって取材するのが楽しい人であろう。
2013年10月にジジ・ダッリーニャという凄腕技術者が加入してから、ドゥカティワークスの成績が右肩上がりになっている。それを受けて、SPEEDWEEKのギュンター・ウィジンガー編集長がピット・バイラーに「KTMワークスにもジジ・ダッリーニャのような人物を迎え入れるべきではありませんか?」と言ったら、ピットは溜息をついて「ジジ・ダッリーニャがどういう仕事をしたのか正確には分かりませんね。我々にはマイク・ライトナーやカート・トリーブといった優れた人材がいます」と答えている。
その他の雑記
Beirerはドイツ語圏だとバイラーと読む。eiをアイと読むのがドイツ風。Heinz(ハインツ)、Eisler(アイスラー)など。
奥さんはイローナ(Ilona)といい、このページに出ている。
娘さんはラウラ(Laura)という。
関連リンク
関連項目
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