フリッツXとは、第二次世界大戦中にナチスドイツ軍が実用化した無線誘導空対艦爆弾である。現代で言うミサイルの先駆け的存在。正式名称はルールシュタール/クラマーX-1。
概要
1930年当時、海に浮かぶ軍艦に爆弾を命中させるのは大変難しく、ドイツ空軍では戦艦や大型タンカー相手でも命中率1%以下という惨憺たる結果が出ていた。もし爆弾を空中で操作できたなら…。そのような想いからフリッツXの開発がスタートした。
第二次世界大戦前夜の1938年、ベルリンにある国内最大の航空研究所で研究開始。マックス・クラマー博士主導で兵器の設計を行った。Xは秘匿名を表し、フリッツはドイツ兵の間で付けられた愛称だった。フリッツXには推進器が無く、4枚の安定翼を母機から無線で操作。落下方向をコントロールする仕組みだった。つまり落下中の爆弾を自由に操作できたのである。18発までなら無線が混信せず、また発せられるフレア・マーカーの色から爆撃手は自分が操作するフリッツXを確認する事が出来た。弾頭に320kgの炸薬を搭載しているため、直撃すれば戦艦さえも沈められる威力を秘めていた。訓練された爆撃手が操作すれば、半径15m以内なら命中率50%、30m以内なら90%の命中率を誇った。1942年初頭に試作機が完成し、ペーネミュンデで試験を実施。その後イタリアでの試験を経て、このトンデモ兵器は実用化された。
初の実戦投入は、1943年7月21日のシチリア島アウグスタ港攻撃であった。占領された港に入泊する連合軍船舶が標的とした。他にもメッシーナやシチリア近海でフリッツXによる攻撃が繰り返されたが、連合軍は無線誘導兵器だと気付かなかった。
戦艦ローマ撃沈
フリッツX最大の戦果と言えば、戦艦ローマの撃沈であろう。1943年9月9日、イタリアの降伏により残余の艦艇はマルタ島への回航が命じられた。その中には戦艦も含まれており、これをむざむざ連合軍に引き渡される訳にはいかなかった。ロクに戦いもせず、敵に降伏しようとする裏切り者のイタリア艦隊に激怒したヒトラー総統は見せしめのため秘密兵器フリッツXを携えた第100爆撃航空団ヴァイキングを派遣し、その爪牙を向けた。あわれその標的となったのは戦艦ローマ、リットリオ・ヴェネト、イタリア(旧名リットリオ)、軽巡4隻、駆逐艦8隻からなるイタリア艦隊であった。
ドルニエDo217型がフリッツXを投下、ローマの後部マスト付近に命中して速力が半減。続いて第二主砲と艦橋の間に2発目が命中し、航行不能に陥る。決死の消火活動が行われたが、竣工して間もない艦だったため乗組員の錬度が低く、火勢は強くなるばかり。被弾から約20分後、前部弾薬庫に引火して大爆発が発生。船体を真っ二つにして沈んでいった。カルロ・ベルガミニ提督を含む1393名が戦死した。イタリアも艦首にフリッツXを受けたが、こちらはダメージコントロールに成功。残った艦艇とともにマルタ島へ入港した。
その後
ローマ撃沈に満足したヒトラー総統はフリッツXの増産を命令。1386発が量産され、このうち108発が投下。サレルノへ上陸する連合軍への攻撃に使用され、同年9月11日に米巡洋艦サバンナに命中し大破。197名の乗員を失うとともに、約8ヶ月の修理を強いられた。同型艦のフィラデルフィアも狙ったが、こちらは至近弾で終わった。13日に英軽巡洋艦ウガンダに命中させ、16日には英戦艦ウォースパイトを大破させてノルマンディー上陸作戦まで戦闘不能にした。他にも数隻の駆逐艦を葬り去る戦果を挙げたが、制空権喪失により母機の被害が急増。弾頭を操作する都合上、低速で空域に留まらなければならず、そこを襲われるとひとたまりも無かった。
さらに1944年の初めからはアメリカ軍が電波妨害を行うようになったため、フリッツXの脅威は急速に衰えていった。それでも6月6日のノルマンディー上陸作戦迎撃に投入され、病院船ニューファンドランド、英駆逐艦ジェーナス、英軽巡洋艦スパルタンを撃沈したとされる(ジェーナスの撃沈は、対艦ミサイルHs293とも対艦魚雷ともいわれる)。そして1944年中にフリッツXによる攻撃は打ち切られた。
関連動画
関連項目
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