ブルノサーキット単語

ブルノサーキット
1.2万文字の記事
  • 1
  • 0pt
掲示板へ

ブルノサーキットexitとは、チェコ東部・南モラヴィアブルノの近郊にあるサーキットである。マサリクサーキットと呼ばれることもある。

MotoGPチェコGPが開催される。
 

略歴

1930年~1937年の公道レース

ブルノ市街地exitの西には山があり、(とうげみち)がいくつも存在している。

1930年ごろからそうしたを利用して1周29kmのコースを作り上げて公道レースを行っていた。この画像exitGoogleマップexitコースを大まかに確認できる。

1930年の当初からチェコスロバキア政府レース運営に関わっており、コースに対して「マサリクサーキット」と名付けていた。マサリクというのは1920年のチェコスロバキア時から1935年までチェコスロバキア大統領を務めたトマーシュ・マサリクexitのことである。

1930年から1937年まで数々の自動車レースを行ったが、1938年以降はレースを行わなくなった。このころは政治動期にあり、のんびりとレースをしているような状況ではなかった。1938年チェコスロバキアドイツ宣戦布告されそうになっていたし、1939年チェコ地方ドイツに併合され、スロバキア地方スロバキア共和国になってドイツの保護になっていた。
 

1949年~1986年の公道レース

第二次世界大戦が終わるころには、チェコ地方スロバキア共和国ソ連の支配下に置かれていた。1945年チェコスロバキアという国家復活して、1949年になると再びブルノ近郊の自動車レースを行うようになった。このときのコースは17.8kmである(画像exit)。

1950年になるとチェコスロバキアGPというオートバイレースブルノ近郊ので行われるようになった。1950年から1964年までの15年のうち、1953年を除く14年でチェコスロバキアGPが開催され、チェコスロバキアにおけるオートバイレースの中心地となっていた。

1965年からチェコスロバキアGPがMotoGPの一環に組み込まれた。それに合わせて、コースも13.9kmに短縮された(画像exit)。MotoGPの一環としてのチェコスロバキアGPは1965年から1982年まで18年連続で行われる定番の開催となった。

1982年をもって、チェコスロバキアGPがMotoGPカレンダーから外れた。1975年コース形状を変えて1周10.9kmに縮めていたが(画像exit)、それでも1周が長すぎるし、公道レースなので危険である。時代の趨勢に逆らうことができず、1983年から1986年チェコスロバキアGPは、MotoGPではなくてヨーロッパ選手権の一環として開催されることになった。
 

1987年に常設サーキットが開場、MotoGPの常連となる

1980年代には、グスターフ・フサーク大統領exitが中心となり、チェコスロバキア政府が資を投じてF1を誘致できるような大サーキットを建設した。1987年6月に開業し、同年8月21日8月23日にはMotoGPチェコスロバキアGPを開催している。

MotoGPチェコスロバキアGPは1987年から1991年まで5年連続で開催した。ただし、1992年は開催をとりやめている。ちなみに1992年政治の動きがあった年で、1993年1月1日にはチェコスロバキアチェコスロバキアに分離するビロード離婚exitが行われた。

MotoGPチェコGPは、1993年から2020年まで28年連続で開催された。

2021年MotoGP暫定日程」が2020年11月6日に発表されたが、その中にはブルノサーキットの名前が存在しなかった(記事exit)。
 

共産圏時代の国境警備

1948年2月から1989年11月までチェコは共産圏の一員だった。このため警備が厳しかった。多くのGP関係者は南のオーストリアウィーンから入するが、入するのに一苦労した。オーストリア資本主義圏でチェコは共産圏なので、どこのフェンスが2重3重に建てられ、物々しい雰囲気であったという。

1989年11月共産党政権が終焉したが、政府の体質自体はすぐに変わらなかった。1990年代の初頭はオーストリアチェコ間の警備が依然として厳しかった。上田昇さんもここexitで当時のことを少しっている。

1995年1月オーストリアEUに加盟し、2004年5月チェコEUに加盟した。このため現在は一切の入がなく、鉄道でもでも自由に入できる。

オーストリアウィーンからブルノサーキットへ自動車で行く場合、ミクロフexitという町を通過する事になる。この町を航空写真exitで見てみると、にして田園の区画の様子がガラっと変化していて面い。チェコ側が広い田園オーストリア側が小刻みに分割された田園になっている。
 

舗装の頻度が低い

ブルノサーキットは舗装の頻度が低い。2008年に路面を全面的に舗装したが、それから2020年に至るまで再舗装が行われていない。MotoGPを誘致するのに四苦八苦している財政難のサーキットなので、路面の舗装にお金を払えない。

2019年2020年には路面の凹凸が顕著になっており、多くのMotoGPライダーたちから「再舗装すべきだ。非常に路面の状態が悪い」と批判されていた(記事1exit記事2exit)。
 

所有者

過去には、チェコ自動車クラブexitがブルノサーキットの大だった時代があった。

2019年12月31日の時点で、カレルアブラハムという人物が率いるA.B.R. HOLDINGexitという不動産企業[1]が、ブルノサーキット運営企業の95を所有している。残りの5ブルノが所有している。

カレルアブラハムという人物は、MotoGPライダーカレル・アブラハムexitの実である(海外では子が同じファーストネームを共有することがしくない)。

カレルアブラハム)は、AB Racingexitというレーシングチームを作り、そのチームカレルアブラハム(子)を乗せてMotoGPを走らせていた。ABというのはアブラハムAbraham)の最初の2文字である。このチームcardion(カルディオン)exitという医療機器メーカースポンサーとして「cardion AB」という名前を名乗っていた時期が長い。

2007年から2011年までのチェコGPの正式名称は「cardion AB Grand Prix Czech Republic」というもので、cardionとAB Racingが大会のスポンサーとなっていた。

カレルアブラハム)の貌は、この記事exitに映っている。
  

立地

ブルノサーキットはこの場所exitにある。
 

ブルノ

ブルノチェコ東部のモラヴィア地方exitにあり、古くからこの地方の中心地だった。人口37万でチェコ第2の都市である。

ブルノの南は平野が広がり、オーストリア首都ウィーンにつながっている(Google地形図exit地形図exit)。また、ブルノから北東にも平野が並んでおり、ポーランド首都ルシャワにつながっている。つまり、交通の便が良く、人を集めやすい場所である。

交通の便が良い場所は歴史的な大戦争が行われる、というのが古今東西歴史の常である。ブルノ近郊でもアウステルリッツの戦い(三会戦)[2]という戦争が行われている。

サーキットで負傷者が出たら、ドクターヘリに乗せて、サーキットから東に9km離れたこの場所exitにあるブルノ総合病院に運び込む。
 

木が生い茂る山の中にある

ブルノサーキットはブルノ地から西に10km離れた山の中のこの場所exitにある。周囲は森林になっているexit

森林の中のサーキットっ盛りの8月MotoGPを開催するのだが、セミは全く聞こえてこない。ヨーロッパの大部分は日本べて寒いので、セミが生息していない(ヨーロッパの人にセミを聞かせるとビックリする)。

Googleアースexitで調べると、ブルノ地の標高が200mで、ブルノサーキットの標高は410mであると分かる。Google地形図exitで見ても、サーキットが山の中にあることが分かる。

山地は空気の上昇気流が起こりやすくてが発生しやすく、が急変しやすい。こちらexitこちらexitこちらexitが現地の天気予報なので、レースの際には確認しておきたい。
 

緯度と気候

サーキットは北緯49度12分のところにあり、樺太この村exitと同じぐらいの緯度である。

ブルノ8月均最高気温25.4度であり、これは東京6月とほぼ同じとなっていて(資料1exit資料2exit)、冷な気の土地柄である。になるとしっかりが降り、サーキット化粧する(画像1exit画像2exit画像3exit)。
 

観客大入り(MotoGP)

チェコMotoGP人気が高く、ブルノサーキットで行われるMotoGPには決勝日だけで13万人が入る。これはMotoGP開催サーキットの中でも最大の観客動員数となっている。2016年2017年にはが降ったが、それでも8万人以上を集客している。

大勢の観客たちが山の斜面の地べたにそのまま座っていて(画像exit)、素応援風景になっている。

ところどころで観客たちの前にテレビ中継を映す巨大なモニターがクレーンでり下げられている。3~4コーナー右側exit6~7コーナー左側exit9コーナー右側exit11コーナー左側exitでクレーンがモニターっている。

ブルノサーキットの航空写真exitを見ても、サーキットには細いが少ししか通っていない。そこに13万人の観客が押し寄せるのだから、レース開催前後の交通事情はお察しの通りとなる。こんな具合exitの大渋滞となり、下山するのにたっぷり時間が掛かる。

で行っても渋滞にはまるだけなので歩いていく人も多い。サーキット地の距離は10kmで、人の徒歩は時速4km程度なので、2時間半歩くことになる。
 

サーキット内の施設など

ショートカットが存在しない

コース全長は5,403mであり、2018年2019年MotoGPが開催された19ヶ所のサーキットの中で上から4番の大サーキットである。

大きいサーキットショートカットを作って短い距離で周回できるように工夫することが多い。鈴鹿サーキットにもツインリンクもてぎにもショートカットがあり、短い距離の周回でレースを行うことがある。

しかしながらブルノサーキットにはショートカットが一切い。
 

ゴルフ場

ブルノサーキットの中にはゴルフ用のグリーンがある。

2016年以前にGoogleマップ航空写真を見てみると、9ヶ所のグリーンを確認することができた。また、ブルノサーキットの中のゴルフ場を紹介するwebサイトもあり、「9ホールゴルフ場」として紹介している(記事exit)。本格的なゴルフ場というと18ホールであり、9ホールゴルフ場というと手軽に楽しむタイプゴルフ場として扱われるが、それでも全て回りきるのに2時間半程度かかるので、遊ぶには十分の大きさである。

Googleマップexitにはゴルフ場として登録されている。ゴルフを楽しむ客向けのホテルサーキット内のこの場所exitにある。

ブルノサーキットでテストを行った後にゴルフを楽しんでいくライダーもいるらしい。

2016年8月21日(日)にMotoGPの決勝が行われ、その翌日は最大排気量クラステストが行われた。そのとき、テストっ最中でうるさいはずなのに気でゴルフを楽しんでいる人たちがいた(画像exit)。

2010年チェコGP決勝の後に、快勝したホルヘ・ロレンソコース内のグリーンに入りこみ、ゴルフを行うパフォーマンスを行っている(画像exit)。
 

ミニコース

2017年8月MotoGP開催のころにはゴルフコースのいくつかを潰している状況が明らかになった。重機が地面を削っていて色い山肌が露わになっていた。

2016年以前に10コーナーの外側から映した空撮画像を見ると、サーキットの内部も緑色になっている(動画1exit動画2exit)。2017年8月に10コーナーの外側から映した空撮画像を見ると、サーキットの内側に色い山肌があることが明らかである(動画exit)。

2018年8月になると、サーキット内側にアスファルトが敷かれ、ミニコースになっていることが判明した(動画1exit動画2exit)。2021年現在Googleマップミニコースの様子をとらえるようになっている(画像exit)。

ブルノサーキットをゴルフ場として紹介するこの記事exit2014年2月に最終更新されたものである。その記事の中の画像と見べると、1番ホールと8番ホールと9番ホールと5番ホールが工事によって消えたことが分かる。
 

2ヶ所のトンネル

10コーナーこの場所exit地下道がある。10コーナーで転倒してコース外側のグラベルに投げ出された場合、この地下道を通ってピットに戻ることになる。

4コーナーから5コーナーへ向かう坂の下のこの場所exit地下道があり、転倒してコース外側に投げ出された
ライダースクーターに乗ってこの地下道を通りピットに戻っていく。

ちなみに、4コーナーから5コーナーへ向かう坂の下の地下道は、サーキットに物資を送り届けるトラックが必ず通る場所であり、サーキットの玄関と言った感じの場所である。ストリートビューexitを見てみると、「ブルノサーキットへようこそ」という歓迎の言葉が書かれている。地下道の先をずっと進むとこの場所exitに辿り着き、サーキットの正門が出現する(ストリートビューexit)。
 

コース紹介(MotoGP)

概要

コース全長は5,403mであり、2018年2019年MotoGPが開催された19ヶ所のサーキットの中で上から4番の大サーキットである。コーナー数は14ヶ所で、2018年2019年MotoGPが開催された19ヶ所のサーキットの中で上から9番である。

山の中のサーキットなのでアップダウンが大きく、73mの高低差がある。ビル24階分の高低差となる。

Googleアースこの画面exitを開き、調べたいところにカーソルを合わせると、右下に標高が表示される。10コーナーを立ち上がったところが標高372mぐらいでサーキット底辺であり、最終14コーナーあたりが標高438mぐらいで、3コーナー入口あたりが標高445mぐらいでサーキットの頂点である。

上り勾配と下り勾配が交互に配置されているのではなく、下り勾配が延々と続き、そして上り勾配が延々と続き、そうして1周が終わる。

前半部分は下りが多くてフロントタイヤに荷重がかかり、それでいてハンドリングも要される。後半部分は上りが多くてリアタイヤに荷重をかけて加速追求する必要がある。

右に左に切り返すS字が多く、さらには大きく回り込んだコーナーもあり、テクニカルコースである。

しかしながら上り坂の勾配が強なので、ある程度のエンジンパワーも要される。

このように、マシンセッティングで要される事項が多く、セッティングの難しいサーキットである。

ブルノサーキットにおけるセッティングのコツを密かに掴んだライダーが何度も好成績を収めることがあり、「ブルノマイスターブルノの最高級職人)」と呼ばれる。マックス・ビアッジ坂田和人exitがその典であった。チェコGPの日本語版Wikipediaexitを見てみると同じ名前が繰り返し出てくる。

近年は1990年代べてコンピュータはるか進化しており、それに伴いデータ収集・分析の技術も大幅に進歩していて、全てのチームセッティングの腕が向上している。そのため、1990年代べてブルノマイスター」が現れにくくなっている。

コーナーカント(左右の傾き)は総じて薄めで、フラットコーナーが多い。

こちらexitMotoGP公式サイトの使用ギア明示動画である。一番低いギアは2速で、1速を使わない。

なパッシングポイントメインストレートエンドの1コーナーexit3コーナーexit4コーナーexit5コーナーexit10コーナーexit11コーナーexit13コーナーexit14コーナーexitとなっている。
 

コース幅が広い

コース幅15mで、かなり広いコース幅であり、この広さがずっと続く。他のヨーロッパサーキットメインストレートだけ幅が広くてコーナーになると幅が狭くなる、という事が多いが、ブルノサーキットは決して幅が狭くならない。

それゆえライン選択肢が幅広く、色んなラインを使うことができて、パッシングしやすい。最軽量のMoto3クラスになると3台が横に並ぶ3-WIDE(スリーワイド、4台が横に並ぶ4-WIDEフォーワイド、そういったシーンが盛んに見られる。

サーキットの舗装というのは普通の舗装とは品質が違っていて、高価なものとなっている。ゆえにサーキットを設計する際は、できるだけコース幅を狭くして、舗装のコストを下げたくなる。ところがブルノサーキットは太っにも広いコース幅で設計してある。

このサーキット1980年代半ばに当時のチェコスロバキア政府グスターフ・フサーク大統領exit音頭を取り、MotoGPF1を誘致する為に建設されたものである。政府の一部門が乏しい予算の中からをひねり出してサーキットを建設した、のではなかった。政府の全部門にがある大統領が強大な権を使いをドカッと出して建設したのである。それゆえにコストを考えずケチケチしない設計になったという経緯がある。
 

1987年から2015年まで最大排気量クラスの決勝はドライレースばかりだった

サーキットは山間部にあり、上昇気流が起きやすく、が起こりやすく、が降りやすい。

山間部で上昇気流が起こりやすくが降りやすい場所であるのだが、ブルノサーキットでの最大排気量クラスの決勝はなぜか晴ればかりだった。1987年から1991年までの最大排気量クラスの決勝は全て晴れ1993年から2015年までの最大排気量クラスの決勝は全て晴れ

ブルノ8月均降量は55.7mmで(資料exit)、極端にが少ないというわけではない。

なぜ、最大排気量クラスの決勝が毎年晴れていたのかは、よく分からない。
 

1コーナー

1コーナーは巨大なUの字コーナーで、坦である。

イン側にピットロードがあるので(画像exit)、これが印となる。たとえばこのシーンexitでは、イン側にちらっとピットロードが見えるので、1コーナーだと分かる。

1コーナーイン側には各チームの資材運搬用のトラックがいくつも駐している(画像exit)。また、1コーナーイン側にはレース関係者がちらほらいて(画像exit)、人の気配が多い「人里」という雰囲気が広がっている。1コーナーと10コーナーは巨大なUの字コーナーという点で共通しているが、人の多さという点では大きく異なっている。

1コーナーと10コーナーを見分けるための較表は、次の通りとなっている。

1コーナー 10コーナー
形状 巨大なUの字exit 巨大なUの字exit
イン側のピットロード あるexit ないexit
勾配 下り坂
イン側の様子 トラックが多く、レース関係者の立ち見が多く、人の気配が多い トラックが存在せず、レース関係者の立ち見が少なく、森林があるだけで、人里離れた雰囲気である

 

2コーナー~5コーナー

1コーナー立ち上がりと2コーナーはS字になっておりマシンを軽快に切り返さなければならない。縁石をゴリゴリッと踏んで(画像exit)、左に切り返しつつアクセルを開けて加速するライダーが多い。

縁石には段差が付いている(画像exit)。段差のある縁石を踏むと加速しにくいが、このラインを通った方が速いとの判断だろう。

段差のある縁石を踏まないラインを選ぶライダーもいる(画像1exit画像2exit)。

2016年の最大排気量クラス決勝はが降って路面が濡れていた。このため、濡れた縁石を踏んで滑ってしまうことを避けるため、全てのライダーが縁石を踏まない走行ラインを通っていた(画像exit)。

2コーナーを立ち上がってから上り勾配の直線を走った後、勾配が坦になり、そのまま3コーナーに入る。この画像exitを見ると「3コーナーの進入は下り勾配」と錯覚してしまうが、Googleアースexitで3コーナーカーソルを合わせて標高を確認すると3コーナーの進入が坦であることを確認できる。

2コーナーを立ち上がって先行者の背後に付けてスリップストリームの恩恵を受けて加速し、3コーナーブレーキングを頑ってインに飛び込んで抜くことが多く見られる(画像1exit画像2exit)。

3コーナーブレーキングを頑ってインに飛び込んで抜くが、続く切り返しの4コーナーで抜き返される、というシーンも多い(画像exit)。

3コーナーでは抜きに掛からず背後に付けてスリップストリームの恩恵を受けてコーナリングし、4コーナーで右に切り返しつつインに飛び込んで抜くことも多く見られる(画像exit)。

Moto3クラスでは3台が横に並ぶ3-WIDEで3コーナーに進入し、3-WIDEのまま4コーナーに向かって右に切り返す、 というしくない。
  

下りの直線~5コーナー

3~4コーナー坦で、4コーナーを立ち上がってからは急な下りのストレートになる。5コーナーから4コーナーを見ると(画像1exit画像2exit)、下り勾配のしさが実感できる。この部分だけで20mの高低差があり、7階建てビルと同じぐらいの高低差が付いている

この下り坂は、ツインリンクもてぎダウンヒルストレート高低差24m、8階建てビルと同じぐらいexit)を連想させる。

その下りのストレートの終わりに待ち構える5コーナーもパッシングポイントとなっている。

5~6コーナーは複合コーナーで、内側に山があり、その山をぐるっと回っていく。5コーナーカメラからは「山の向こうへライダーが消えていく」といったような画像になる(画像exit)。

Googleアースを開いて路面にカーソルを合わせて標高を見てみるとよく分かるのだが、4コーナーの立ち上がりから10コーナーの立ち上がりまで、ひたすら下っている。坦な部分が存在せず、下り勾配がずっと続いている。
 

6コーナー~9コーナー

7コーナーから8コーナーまでの短い直線の前は大勢の観客がぎっしり入りこみ(画像exit)、大歓が沸き起こる。スタジアム区間とも呼ばれる。

ただ、少し残念なことに、この7コーナー~8コーナーの区間はあまりパッシングが起こらない。7コーナーあたりは路面のカント(傾斜)も少ないフラットコーナータイヤの接地感が薄く、先行ライダーインに入りこむのが非常に難しいコーナーになっている。このサーキットのことを熟知しているG+解説者坂田和人さんが「7コーナーはこのサーキットインに入ってパッシングするのが一番難しいコーナー」とっている。

7コーナーから8コーナーまでは直線が短く、スピードを乗せて8コーナーインに飛び込むことが難しい。

次の長い下り勾配の直線の加速を重視するためにも、8~9コーナーでパッシングを仕掛けず、綺麗なラインを保つことが多い。
 

下り勾配の直線~10コーナー

9コーナーを立ち上がると下り勾配がずっと続く長い直線になり、スピードを乗せることができる。エンジンパワーが劣るマシンライダーにとってはここの直線がタイムの稼ぎどころになる。

10コーナーは巨大なUの字コーナーで、進入も脱出もずっと下り勾配である。


10コーナーイン側には、木が生えていて人っ子一人いない(画像exit)。レース関係者もここのイン側にはあまり入りこまず、寂しい雰囲気である。1コーナーは人の多い都会、10コーナーは人里離れた田舎という雰囲気である。

ブルノサーキットは、5コーナーから10コーナーまでの6ヶ所のコーナーが「下りながらのコーナー」となっている。そして、この10コーナーは、ブルノサーキットの中の「下りながらのコーナー」の中で最も巨大なコーナーであり、それゆえマシンセッティングの基準になっている。10コーナーを曲がれるような体になれば、他の「下りながらのコーナー」はどうにかクリアできてしまう、とのこと。

10コーナーの脱出は下り勾配なので、勢いが付きやすい。アクセルめに開けてしまうと勢い余ってラインワイドになり外に膨らんでしまう。マシンが方向転換するのを慢強く待ってから、アクセルを開けていく必要がある。
 

10コーナー立ち上がりからの強烈な上り坂

10コーナーは、進入するときだけではなく脱出するときも下り勾配であるが、10コーナーと11コーナーの中間地点でついに上り勾配が始まる(画像exit)。

ここから先の上り勾配区間はとにかく急で、自転車で走ってみるとやたらときつい、スクーターで走ってみるとアクセルを開けても全然加速しない、などの体験談が報告されている。

10コーナーと11コーナーの中間地点が最底辺で、最終14コーナー付近との標高差は65mである。21階建てビルと同じ高さを駆け上がっていく。

エンジンパワーリアタイヤへの荷重が重要になる。各ライダーは、お尻をできるだけ後ろに移動してリアタイヤにできる限り体重を乗せるという懸命の努をする。


10コーナーを立ち上がって先行者の背後に付けてスリップストリームの恩恵を受けて加速し、11コーナーインに飛び込んで抜くことが多く見られる(画像exit)。

12コーナーでパッシングするシーンは滅多に見られない。「11コーナーは抜きにかからず背後に付けスリップストリームの恩恵を受けて加速し、続く12コーナーで右に切り返しつつインに入って抜く」というのは非常に難しい。

12コーナーは強な上り勾配の中の切り返しで、フロント荷重が抜けやすく転倒しやすい。ここでパッシングを挑むのは非常に難しく、ラインを外して失速するリスクが高い。慎重に走行ラインをなぞっていく丁寧な走りが要される。

上り勾配の中での切り返しなのフロントの荷重が抜けやすく転倒しやすい、という特徴はツインリンクもてぎの8コーナーセパン・インターナショナルサーキットの6コーナーにも当てはまる。これらのコーナーにおいてもパッシングは滅多に見られず、むしろコースオフが多い。

12コーナーの外から各ライダーの様子を見ると(画像exit)、上り勾配のしさが分かる。
 

13コーナー~最終14コーナー

12コーナーを立ち上がったところは強な上り勾配だが、13コーナーの前は上り勾配が多少緩やかになる(画像exit)。上り勾配が緩やかになったあたりから各ライダーブレーキングを始める。

12コーナー立ち上がりからの直線は急な上り勾配で13コーナーは緩やかな上り勾配で最終14コーナー坦になっている進めば進むほど勾配が緩やかになっていく。

13~14コーナーはS字で、最後の勝負所となる。

エンジンパワーに余裕があるマシンなら、13コーナーへの直線で加速して、13コーナーブレーキングを頑ってインコース左側)に飛び込んで抜くことになる(画像exit)。

エンジンパワーがやや劣るマシンなら、13コーナーへの直線は背後に付けることに専念し、13コーナーも引き続き背後に付け、右に切り返しての14コーナーインコース右側)に入って抜く画像exit)。


「3~4コーナー」と「13~14コーナーはどちらも似たような形のS字になっているのだが、見分け方がある。コース右側にピットロードが伸びているのが13~14コーナー印になっている。たとえばこのシーンexitでは、ちらっとピットロードが見えるので、「3~4コーナー」ではなくて「13~14コーナーだと分かる。
 

リンスガッツポーズ事件

2014年Moto3クラス決勝で、トップを快走するアレックス・リンスが、ラスト1周となった間に立ち上がり、ガッツポーズしながら失速した。

周回数を1周間違えた例として必ず挙げられるレースである。


 

鹿衝突事件

1999年125ccクラスの前半は日本人ライダー東雅雄exitが絶好調で、9戦5勝で他を圧倒していた。

意気揚々と10戦のブルノサーキットに乗り込んできたが、思わぬハプニングが起こってしまう。土曜日練習走行で、3コーナーへ向かう東の前に、いきなり鹿が飛び出してきた。よけきれずに鹿と衝突してしまい(動画exit)、鹿は即死、東も全身を打撲してしまう。この負傷で大きく調子を落とした東は、チャンピオンを逃してしまった。
 

コース学習用動画

関連リンク

関連項目

脚注

  1. *このA.B.R. HOLDINGという企業構成は、カレルアブラハム7.93で、リヒテンシュタインに籍を置いていてカレルアブラハムが1人で運営するIFL Invest Aktiengesellschaftexitという投資企業88.55である。要するにカレルアブラハムがほとんど保有する企業である
  2. *パリを発ってストラスブールexitバイエルン州ウルムexitオーストリアのウィーンexitを経てブルノ市街地の東exitに布したナポレオンフランス軍と、そこからさらに東exitに布したロシア皇帝軍が対峙し、太陽が昇る9時頃、濃霧に紛れてナポレオン軍がプラッツェの丘exitを駆け上がり中央突破を果たした。このアウステルリッツの戦いで大勝したナポレオンヨーロッパ覇権を手にした

【スポンサーリンク】

  • 1
  • 0pt
記事編集 編集履歴を閲覧

ニコニ広告で宣伝された記事

大谷翔平 (単) 記事と一緒に動画もおすすめ!
提供: 蒼夜の狙撃手
もっと見る

この記事の掲示板に最近描かれたお絵カキコ

お絵カキコがありません

この記事の掲示板に最近投稿されたピコカキコ

ピコカキコがありません

ブルノサーキット

まだ掲示板に書き込みがありません…以下のようなことを書き込んでもらえると嬉しいでーす!

  • 記事を編集した人の応援(応援されると喜びます)
  • 記事に追加して欲しい動画・商品・記述についての情報提供(具体的だと嬉しいです)
  • ブルノサーキットについての雑談(ダラダラとゆるい感じで)

書き込みを行うには、ニコニコのアカウントが必要です!


スマホで作られた新規記事

こちらの記事に加筆・修正してみませんか?

画面遷移確認のための記事 健康優良児 あらそう

ニコニコニューストピックス