- プロ野球選手一覧 > 白石勝巳
白石勝巳(しらいし かつみ)とは、元プロ野球選手・監督のことである。故人。
概要
OB | |
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白石勝巳 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県広島市 |
生年月日 | 1918年4月15日 |
没年月日 | 2000年12月11日 |
身長 体重 |
167cm 68kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 遊撃手 |
プロ入り | 1936年 |
引退 | 1956年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
旧制広陵中学校に進学。1935年の春の甲子園大会に出場し、5番ファーストとして活躍チームを準優勝に導き優秀選手にも選ばれた。
早稲田大学や明治大学から誘いがあったが、「うちに来ればアメリカに行けるぞ」の一言で東京巨人軍入りを決め、学校を中退。現在と違いプロ野球が世間からの評価の低かったこともあり、学校からは猛反対され野球部からは追放されたが、旅立つ際には多くの仲間が見送りに来てくれたという。
1936年、巨人軍の第二次アメリカ遠征でショートとして起用され、水原茂らから内野守備の基礎を叩き込まれた。ただ、あまりにも過酷な日程や環境での遠征で選手と首脳陣が対立、水原ら主力選手が退団し、戦力が大幅に低下した。
藤本定義監督は危機感を感じ、茂林寺での緊急キャンプを決行。特に手薄になった内野を鍛えるために白石は連日の地獄の猛特訓のターゲットとなった。それでも不満を漏らさずひたすらノックを受け続け、時には打撃練習で頭に直接ボールを受けふらつく場面もあったが、すぐに立ち上がり練習を続行。この姿に感化され、練習量の少なかった投手陣も猛練習に取り組み、チームは生まれ変わった。
キャンプでの猛特訓でショートの定位置を掴み、同年秋には27試合に出場、守備では当時としては珍しい「逆シングル」での捕球を習得した。
1938年春には打率.302をマークし打撃面でも成長を見せた。
1944年に応召。中国の杭州に派兵されたが、現地部隊の隊長が巨人ファンであったことが幸いし、前線に配属されることはなかった。
1946年、パシフィックに入団し現役復帰。しかし、戦後の食糧難などもあり生活の安定を求めパシフィックを退団しノンプロの植良組に入社。
1948年、植良組の近くでキャンプを張っていた巨人の仲間たちから「戻ってこいよ」と誘われ、巨人に復帰。
1950年、故郷に新球団「広島カープ」が誕生したことを受け、広島へ選手兼助監督として移籍。また、縁起を担ぐために名前を「白石勝巳」に改名。この年、打撃面では打率.304、20本塁打、58打点とキャリアハイの成績を残し、ベストナインに選出されている。
親会社のない市民球団ということもあり幾度も資金難に直面、白石自ら金策に奔走することもあった。また、1952年には勝率3割未満のチームは解散という規定が設けられたなか、白石のファインプレーで勝利し球団消滅の危機を救う場面もあった(この年の広島の最終的な勝率は.316)。
1953年からは兼任監督としてプレー。1954年にはプロ野球史上初の1500試合出場を達成。
1956年、現役を引退し、監督専任となり、1960年には球団史上初の勝率5割(.504)を達成し退任。
その後、球団の重役を務めた後1963年に監督に復帰し1965年まで務めた。
広島退団後、解説者を経て1968年に読売ジャイアンツのコーチに就任。川上哲治監督の右腕としてV9に貢献し、川上とともに1974年に退団。
その後は解説者として活動。
晩年は野球界から離れ余生を過ごしていたが、2000年12月11日、心不全のため死亡。享年82歳。
人物・エピソード
三遊間の打球を当時としては珍しい「逆シングル」で捌く姿で観客を魅了したプロ野球創世記の名ショート。その姿から「逆シングルの白石」と呼ばれた。一方で通算646失策とNPB歴代でも断トツの失策数を記録しているが、これは普通の選手では取れない打球に追いついてしまったがために生じたものや、当時のグラウンドや道具が粗悪であったことに由来している[1]。
守備の人のイメージが先行するが、打撃が苦手だったわけではなく、打率3割と二桁本塁打をそれぞれ3度記録している。相手投手に1球でも多く投げさせようと、とにかくファールで粘る打撃が持ち味だった。
指導者としては自らを「地固めしかできないタイプ」と語り、その発言通り広島球団の土台を築いた。また、王貞治対策として王シフトを編み出す柔軟さや、決して選手層が厚いと言えないチーム状況ながら、指揮を執った11年間で最下位は一度のみで、新人捕手の衣笠祥雄を内野手に転向させるなど手腕も光った。
1953年の大洋戦では、白石の放った外野フライを観客がグラウンドと客席の仕切りとして使われていたロープを前に引っ張り、強引にホームランにした所謂「縄ホームラン」も公式記録として記録されている。
通算成績
打撃成績
通算:18年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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NPB | 1651 | 7224 | 6151 | 911 | 1574 | 84 | 571 | 210 | 85 | 10 | 936 | 43 | 688 | 39 | .256 | .358 |
監督成績
通算:11年 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | |
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NPB | 1359 | 581 | 736 | 42 | .441 | Bクラス11回 |
獲得タイトル
関連商品
関連リンク
関連項目
脚注
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