○話切りとは、シリーズ作品視聴におけるドロップアウトのことである。ニコニコでは主にアニメ作品で使われる。
概要
「○話切り」とはシリーズ作品において、「第○話」を視聴した時点で視聴をやめることである。「○」には視聴をやめた話数の数字が入る。
連続アニメ・連続ドラマなど放送・掲載時機が限定される作品が主な対象で、オンデマンド配信の作品や劇場版作品にはあまり用いられない。
背景
ある調査によると、年間のアニメ本数は1994年から2014年の20年間で、45本/年から91本/年と倍増したという。
特定地域でしかテレビ放送していない番組も増加しているものの、BS11やスカパー!、AT-Xなどの放送媒体やネット配信といったサービスに対応したものが増えたことで、視聴者は様々なテレビ放送をリアルタイム(あるいは季節越えしない数周遅れ程度)で見ることができるようになった。
しかし、見ることができる作品数の増加は、視聴時間により日常生活が圧迫されることを意味する。リアルタイムにこだわらなければディスク再生機器の倍速再生機能で素早く中身だけ見るという手段はあるが、録画をする場合でも同時に録画できない場合や、録画容量の限界により全番組を録画できないといった問題も生まれてくる。
何より自分に合わなかった作品を見続けて後悔する要因となる。これらを回避するため、一定の話数まで見て早い段階で視聴や録画を続けるかを判断する必要が、視聴者側にも生じてくることとなった。
3話切り
当ニコニコ大百科に第3話という記事があるほどに、3話までは作品の方向性は変わりうるというのが経験則としてあるようだ。世間的にも2014年ごろまでは第3話まで見て視聴するかどうか決める手法が普及していたようである。
確かに放送時間という尺の関係上、第1話で世界観の紹介・導入、第2話で主要登場人物が揃って、第3話からようやくストーリーが通常運転で進行するという構成にならざるを得ない作品は少なくない。あるいは、視聴者を引きつけるために第1話に特に力を入れた場合でも、第3話頃までには息切れして本来の作品レベルに回帰する傾向がある。
もちろん異論は認めるが、多くの人が経験則として上記のように感じた結果が、3話切りの普及という結果を産んだのではないかと推察される。
1話切り
しかし2016年ごろからは、皆忙しくなってきたのか、それともさらに本数が増えたからか、第1話で切る視聴スタイルが増え
てきたとのこと。
ゼロ話切り
なお、本放送前に資料や事前情報で判断し視聴そのものを見送ることをゼロ話切りという。本数が増えてきた以上、このような方法で仕分けがなされることは仕方がないことと言える。
最終話切り
12話が最終話の作品なら「12話切りしたぜ」と言ったりすること。最終話まで視て視聴をやめた、つまりは完走したということである。視聴をやめた時に使う表現で完走をアピールするという、いわゆる一つのツンデレである。
最終話の途中であまりの超展開に耐えられなくなって視聴をやめたという場合もないとはいえないが、そのような解釈が成立するかどうかは最終話の出来ばえという文脈に依存する。
問題点
良作を見逃して後悔
こういった視聴スタイルの問題点は、土台を積み重ねてどんどん面白くなっていく大器晩成型の作品に対応できないことである。○話切りで見送った作品が後に好評であると知ってしまった時、視聴を再開するかしないかでジレンマを抱くことになる。
良い評判が耳に入る頃には放送期間も半ばを過ぎていることも多く、視聴再開しても話についていけない可能性が高い。また、○話切りした時点での決定を覆すことには心理的抵抗が働く。そうやって視聴再開をためらううちにさらに敷居が高くなり、ずるずると忘却の彼方に追いやられる事となる。
後半に息切れする作品の増加
悪貨は良貨を駆逐する。作品数が増えて過当競争になると、必然的に早い段階で視聴をやめる視聴者が増えてくる。そのような環境下では大器晩成型の作品は生き残ることは出来ない。大器晩成型でない作品でも、かなり早い段階で視聴者の心をつかむ必要が出てくる。
結果として、作品の前半にリソースを割きすぎて、後半に息切れしてしまったり作画崩壊したり、製作時間が足りなくなって回想シーンや総集編でごまかす羽目になったりする。
さらにその傾向が加速すると、1話切り対策に力を入れすぎて第2話(あるいは第3話、第4話)から急にクオリティが落ちてしまったりする。もっとひどい場合は、放送開始前の予告動画や予告動画に使うオープニング映像に過剰に力を注いで、結果として予告詐欺・オープニング詐欺と言われる作品になってしまうこともある。
批判と受け取られる
「○話切り」したということは、その作品がつまらないと思ったという間接的な批判であるため、「○話切り」を自慢する者は視聴者様認定されるらしい。
熱心なファンを筆頭に、作品に対するどのような批判も受け入れられない層というのはどの作品にも多少は存在するので、それらにどこまで配慮するかは個々人の良識に委ねられている。
関連項目
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