あさかぜとは国鉄・JR東日本・JR東海・JR西日本・JR九州で運行していた列車名である。
概要
沿革
新幹線開業まで全国に存在していたブルートレインの始祖と言えるのが、このあさかぜである。
あさかぜ設定時の当時の国鉄特急は、東京~大阪間の昼行特急つばめ・はとと京都~博多間の昼行特急かもめしか設定されていなかった。1956年に、戦前の特急富士以来となる東京と九州を直接結ぶ、夜行特急として設定された。尚、同ダイヤ改正で東海道本線全線電化が完成したので、客車特急つばめ・はとは機関車の付け替えを要さなくなり全区間で電気機関車牽引となったのでスピードアップがなされている。
東京駅と博多駅を17時間30分程度で結び、両端の駅での利便性を優先した事から関西は深夜帯の停車となり、関西からは多少の反発はあったようである。しかし関西からの利用客がほとんど見込めなくともあさかぜは大盛況であり、あさかぜ設定から8ヶ月後には続行便で特急さちかぜが同区間に設定されている。
あさかぜは盛況であったが、あさかぜの人気を更に高めたのが20系客車の投入である。国鉄初の冷房車全車装備・個室寝台の充実による居住性の向上等から「走るホテル」とまで言われ、その青い車体から後に「ブルートレイン」とも呼ばれるようになる。さちかぜや20系客車投入時に余剰となった客車を利用して設定されたはやぶさは依然10系客車での運行であった為、この頃からあさかぜは九州特急のエースとして育てられるようになる。余談だがこの9日後には東北初の特急はつかりが設定されており、1ヶ月後には東海道本線に日本初の電車特急こだまが設定されている。
1964年に運行区間の半分程度である東京駅と新大阪駅の間に東海道新幹線が開業するものの、九州へと向かう為には新大阪駅での乗り換えを要するのであさかぜやさくら(さちかぜから改称)等の寝台特急への人気は依然高かった。それどころか同時期にあさかぜには14両中6両がA寝台が集められ、「殿様あさかぜ」とまで称されるようになった。ブルートレインと呼ばれるようになったのはこの頃からで、東北方面にはくつるが設定されそれまでの「九州特急=20系客車」という通称では不都合が生じるようになったからである。
山陽新幹線が開業するまでに急行安芸等の格上げであさかぜは3往復に増発されている。新幹線が開業していない事もあり関西と九州を結んでいた夜行特急あかつき・明星や東北のゆうづるは最大7往復が設定されていたが、東海道区間には早くから新幹線が開業していた事から東京駅と九州を結ぶ夜行特急で複数運転されていたのはあさかぜのみである。
東海道新幹線開業時には影響が無かったあさかぜも、全区間が新幹線と競合する1975年の山陽新幹線博多開業で1往復減の2往復となる。そして博多駅発着・下関駅発着各1往復のまま1987年4月の国鉄民営化を迎えることとなる。
博多駅発着の本家あさかぜはJR東日本の受け持ちとなったが、利用者減や車両の老朽化の影響で1994年12月に臨時化されている。同ダイヤ改正では他の夜行特急みずほ・つるぎ・ゆうづるも臨時化または廃止になっており、夜行特急にとっては大鉈が振るわれたダイヤ改正であった。
1970年に急行安芸の格上げで設定された下関駅発着のあさかぜはJR西日本の受け持ちとなっており21世紀に入っても運行されていたが、同じく利用者減や車両の老朽化で2005年3月に廃止されている。同ダイヤ改正で長崎駅発着のさくらも廃止されており、半年後には京都駅と南宮崎駅を結んでいた彗星も廃止になっている事から、2005年には夜行特急が3往復減とまたもや夜行特急に大鉈が振るわれたダイヤ改正であった。
09年3/14ダイヤ改正には東京駅と九州を結ぶ最後のブルートレイン富士・はやぶさも廃止されたので、あさかぜから始まった東海道本線・山陽本線のブルートレインは全廃されてしまった。まあ東海道本線山科~大阪間には日本海というブルートレインが運行されているが。
廃止直前の運行形態
停車駅
岡山駅以東
駅名 | 東 京 駅 |
横 浜 駅 |
熱 海 駅 |
静 岡 駅 |
浜 松 駅 |
名 古 屋 駅 |
米 原 駅 |
大 阪 駅 |
姫 路 駅 |
岡 山 駅 |
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下りあさかぜ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ▲ | ▲ | ● | |
上りあさかぜ | ● | ● | ● | ● | ▲ | ▲ | ● | ● | ● |
岡山駅以西
駅名 | 岡 山 駅 |
倉 敷 駅 |
新 倉 敷 駅 |
福 山 駅 |
尾 道 駅 |
三 原 駅 |
西 条 駅 |
広 島 駅 |
宮 島 口 駅 |
岩 国 駅 |
柳 井 駅 |
光 駅 |
徳 山 駅 |
防 府 駅 |
新 山 口 駅 |
宇 部 駅 |
下 関 駅 |
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下りあさかぜ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ||
上りあさかぜ | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● | ● |
列車名の由来
九州ブルトレの変遷
東海道新幹線開業まで
1956年11月 博多駅発着のあさかぜが設定される。
停車駅は東京 - 横浜 - 熱海 - 静岡 - 名古屋 - 京都 - 大阪 - 神戸 - 姫路 - 岡山 - 福山 - 広島 - 徳山 - 小郡 - 下関 - 門司 - 博多
1958年10月 鹿児島駅発着のはやぶさが設定される。さちかぜの名称は平和に変更される。
東海道新幹線開業前の九州ブルトレはあさかぜ博多、はやぶさ西鹿児島、さくら長崎、みずほ熊本・大分。
東海道新幹線開業後
1964年10月 大分駅発着みずほを富士に分離しみずほは熊本駅発着になる。
1965年10月 さくらは長崎駅・佐世保駅発着となる。富士は日豊本線経由西鹿児島駅発着となる。
1968年10月 博多駅発着あさかぜを増発しあさかぜは2往復となる。はやぶさは西鹿児島駅・長崎駅発着となる。
1970年10月 下関駅発着あさかぜを増発しあさかぜは3往復となる。
山陽新幹線博多開業前の九州ブルトレはあさかぜ博多2往復・あさかぜ下関、はやぶさ西鹿児島・長崎、さくら長崎・佐世保、みずほ熊本、富士西鹿児島。
山陽新幹線開業後
1975年3月 博多駅発着あさかぜ1往復を廃止しあさかぜは2往復に減便。長崎駅発着はやぶさをみずほに分離しはやぶさは西鹿児島駅発着のみとなりみずほは熊本駅・長崎駅発着となる。
国鉄時代末期の九州ブルトレはあさかぜ博多・あさかぜ下関、はやぶさ西鹿児島、さくら長崎・佐世保、みずほ熊本・長崎、富士宮崎。
国鉄民営化後
1994年12月 博多駅発着あさかぜを廃止しあさかぜは1往復に減便。みずほは廃止。
1997年11月 はやぶさは熊本駅発着となる。富士は大分駅発着となる。
1999年12月 さくらの佐世保駅発着を廃止し、はやぶさとさくらが鳥栖駅まで併結するようになる。
2005年3月 あさかぜ・さくら廃止。はやぶさは富士と門司駅まで併結するようになる。
関連動画
関連商品
関連項目
- 鉄道列車名一覧
- 東海道本線・山陽本線・鹿児島本線
- 20系客車・14系客車・24系客車
- 日本国有鉄道・JR西日本・JR九州
- あかつき(列車) - 関西ブルトレの始祖
- はくつる(列車) - 東北ブルトレの始祖
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