こいのぼり(鯉のぼり、鯉幟)とは、日本に古くから伝わる風習である。
或いは、それを基にした日本の楽曲である。同名の曲が多数存在するが、弘田龍太郎が作曲したもの(「甍の波と雲の波」の方)と、近藤宮子が作詞したもの(「やねよりたかいこいのぼり」の方)が特に有名。
概要
男子が健やかに育つ事を祈願して、家庭の軒先に鯉の絵柄が描かれた幟を立てる風習。
桃の節句(旧暦の3月3日)と並ぶ、日本に古くから存在する伝統行事の1つ。
古くは端午の節句(旧暦の5月5日)と呼ばれ、桃の節句(ひな祭り)が女子の祭りとされたのに対比して端午の節句は男子の祭りとされた。
元々中国でも5月5日になると野原で薬草(菖蒲、よもぎなど)を摘む風習があったのが、やがて日本にも渡来し、江戸時代になると武士の家庭では先祖伝来の鎧・兜を座敷に飾るようになる。その同時期、商人の家もまた社会的に低く見られているという風聞を覆すべく、武士の家の鎧・兜に劣らない程の武具の模造品を飾るようになった事から、武者人形を飾る日として定着していくようになる。
そして1948年に、「こどもの日」として5月5日は国民の祝日となった。
鯉の絵がモチーフになっているのは、中国・漢の時代に「黄河の急流にある滝を昇り切った鯉が、龍と成った」という伝説にちなんでいる。江戸時代には、その故事にちなんで吹き流しに鯉を象った絵が描かれるようになり、これが現在のこいのぼりの原型となる。
こいのぼりもまた、元は真鯉(黒色)のみでしかなかったのが、時代が経過すると緋鯉(赤色)とセットで揚げるようになった。そして昭和から現代にかけては、真鯉と緋鯉に子鯉(青色)と五色の吹き流しがセットになっているのが一般的なこいのぼりの姿とされている。この吹き流しについては、子どもの厄除けの役割を果たしており、竿の先端側に付けるカラカラ回る矢車も同様の役回りを持っているのである。
近年では集団住宅の増加などにより、めっきりと見かけなくなった。また、民家の庭先に立てたこいのぼりが電柱や送電線に引っ掛かってしまうといった事故が発生しているのも、その一因と見られる。
或いは日本各地で、地方の伝統行事としてこいのぼりにゆかりのある行事を見受けられる事だろう。
楽曲
弘田龍太郎版
「甍(いらか)の波と雲の波」から始まる方。文部省唱歌。初出は1913年。作詞者は不詳。
作曲者の弘田龍太郎は、当時21歳で、東京音楽学校のピアノ科に在校中の学生だった。弘田は他にも「雀の学校」や「春よ来い」といった有名な童謡・唱歌をいくつも手掛けており、故郷の高知県安芸市にはこの曲を含めた弘田の童謡・唱歌の歌碑が全部で10個もある。
1番しか知らない人が多いと思われるが、歌詞は3番まである。
近藤宮子版
「やねよりたかいこいのぼり」から始まる方。初出は1931年。近藤宮子は作詞者で、作曲者は不詳。
元々は長い間作詞者・作曲者とも不詳だったが、著作権が切れる頃に別人が作詞者として登録され、それに近藤が名乗り出て抗議し裁判となり、近藤が作詞者として認められたという経緯がある。
2007年には日本の歌百選に選ばれている。なお、歌詞は本来1番しか存在しないが、地域によっては独自の2番以降が作られたりしている模様。
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