さかなクンとは、日本の男性タレント・イラストレーター・魚類研究家である。本名は宮澤正之(みやざわ まさゆき)。
敬称としては氏や役職ではなく、さん付け、すなわち「さかなクンさん」と呼ばれることが多い(ただし日本では著名人に敬称を付けないことも一般的なので、単にさかなクンと呼んでも必ずしも失礼なわけではない)。
さかなクンさんの概要
1975年8月6日生まれの東京都生まれ神奈川県育ち。現在は千葉県館山市に在住。父は「武闘派」として知られるプロ囲碁棋士の宮沢吾朗九段。
子供の頃から魚に興味を持ち、その後出演した『TVチャンピオン』の「全国魚通選手権」にて5連覇を果たし、その存在を知れ渡らせた。(初出場時は高校生)「子供のころから周りになんとなく呼ばれていた」という「さかなクン」を芸名とし、同番組への出場中にエントリーネームも本名から変更している。
その後は魚類専門のペットショップ・水族館など魚に関するアルバイトを転々としていたが、寿司屋のバイト中に店内に魚のイラストを描いて展示したところ話題となり、魚のイラストレーターとしての依頼が舞い込むようになった。その活動が芸能事務所の社長の目に留まり、タレント・研究家としてメディアに出演するようになる。
その活動が認められ、2006年に東京海洋大学の客員准教授に就任するが、これは「水産大学の先生になる」という子供のころの夢が叶った瞬間であった。イラストレーターとしては、2007、2008年度の水産白書イラスト版「図で見る日本の水産」は子供から大人まで好評を博している。
なお、芸名の浸透具合から各メディアでもめったに本名表記が出ることはなく、後述のクニマスに関する報道でも「さかなクン」の表記だけが掲載されていた(通常、このような場合は本名との併記が一般的。)。更に、国会の議事録ですら「さかなクン君」表記である。これも「さかなクンさん」扱いされる一因であると言えよう。
さかなクンさん役職 |
さかなクンさん略歴 |
さかなクンさんの功績
2010年、かつて秋田県田沢湖のみに生息し、現在は絶滅動物と思われていたクニマスの再発見、生存確認に大きく貢献した。
発端は京都大学の中坊徹次教授がさかなクンにクニマスのイラスト作成を依頼したことに始まる。(イラストと言ってもヒレの数から鱗の枚数まで正確さと精緻さが求められる形態学上のイラストである。)
しかし、絶滅したと考えられていたクニマスは液浸標本しか無く、ホルマリン漬けの性質上標本から本来の色は失われ、ヒレなどの形状も判別し難いものであった。そこで中坊教授は近縁種のヒメマスを参考にすることを提案。さかなクンは山梨県西湖から近縁種のヒメマスを取り寄せたところ、その中にヒメマスとは微妙に異なる魚が紛れ込んでいることに気付き、中坊教授に鑑定を依頼。
結果、その魚がクニマスであることが判明し、このクニマスの再発見、生存確認の事実は2010年12月15日に公表された。
同12月22日には、ハゼの分類学的研究の魚類学者でもある上皇陛下(当時の天皇陛下)が記者会見の中でさかなクンの名を挙げてクニマス再発見についてコメントしている。
クニマスについては,私には12歳の時の思い出があります。この年に,私は,大島正満博士の著書「少年科学物語」の中に,田沢湖のクニマスは酸性の水の流入により,やがて絶滅するであろうということが書かれてあるのを読みました。そしてそのことは私の心に深く残るものでした。それから65年,クニマス生存の朗報に接したわけです。このクニマス発見に大きく貢献され,近くクニマスについての論文を発表される京都大学中坊教授の業績に深く敬意を表するとともに,この度のクニマス発見に東京海洋大学客員准教授さかなクン始め多くの人々が関わり,協力したことをうれしく思います。
平成23年2月22日付けの日本魚類学会英文誌(電子版)に中坊徹次教授らとの連名でクニマスの発見の論文が発表された。さすがに本名名義ではあるが、さかなクンにとってはこれが初めての論文となる。
さかなクンさんの人物像
カラフルなハコフグの帽子をかぶり、普段から高いテンションで動き回るが、魚を目の前にするとテンションが更に高くなる。ハコフグの帽子は夏用・冬用・学帽・水中用・クロマキー合成用・ヘルメットなど多数のバリエーションがあり、状況に応じて使い分けている。
魚を食すことに関しても強い興味を示しており、その調理方法についても豊富な知識を有する。
さかなクンさんの有名な発言
以下はさかなクンさんが、東京海洋大客員助教授として新聞のコラムで語った言葉 [1]。
いじめられている君へ
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。 せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。 いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが 始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
この発言は多くの人に感動を与え、インターネットの掲示板に賞賛の書き込みが相次いだ。
さかなクンさんについての豆知識
- ドランクドラゴンの鈴木拓とは中学校と高校の同級生
- 中学校3年生の若さで学校で飼っているカブトガニの人工孵化に成功し、新聞に取り上げられる
- 『TVチャンピオン』の「全国魚通選手権」で準優勝、さらにその後5連勝という快挙を果たす
- 初恋の相手が魚
- アルバイトはしたことあるが、魚に関するアルバイトしかしなかった
- 中学生の頃、部活は『吹奏楽部』に入ったが、これは『吹奏楽』を『水槽学』と勘違いしたため
- 勘違いして、『吹奏学部』に入ったが、サクソフォーンとバスクラリネットの演奏が上達しまくった(のちにCMで東京スカパラダイスオーケストラとのセッションも実現)
- 浜崎あゆみの愛称である『あゆ』を知らず、ずっと『鮎』の事だと勘違いしていた。
- 妖怪にも興味があり、魚に興味がなかったら『妖怪クン』になっていただろうと語る
- 絶滅したと思われていたクニマスの再発見に貢献した(歴史的発見)
- 天皇陛下の前でも魚の帽子を取らなかった(後に陛下はさかなクンのクニマス再発見を、賞賛なされている)
- 彼が魚好きになった理由は、小学校2年生の頃に友人が自由帳に書いた『タコ』が可愛かったから
- 小学校2年生の頃に『タコ』が好きになり、母親にお願いして一ヶ月間毎日『タコ料理』を食べまくった
- 小学校2年生の頃から、図書館で『タコ』の図鑑を読みまくり、魚屋で『タコ』を見まくっていた(そこから魚が好きになる)
- NHKの広報局がツイッターで『先ほどさかなクンさんをさかなクンさんと呼ばず失礼しました』と謝罪(さんをつけろよデコ助野郎がネタとは知らなかった)
- 第201回国会の調査会で参考人として出席した際は、本来なら君付で呼ばれるところ、「さかなクン。もう参考人とかさかなクン君はおかしいので、さかなクンにさせていただきます。さかなクン。」と、異例にも君付無しであった。なお発言者によっては「さかなクンさん」「さかなクン参考人」という物もある他、議事録の上では「さかなクン君」となっているが、本名は記載されていない(もともと扇千景やアントニオ猪木ら芸名・ペンネームで活動する国会議員もいるので、必ずしも国会会議録に載せるのが本名である必要はない)。
- 上記の国会の調査会でもハコフグの帽子を着用して出席した。議院規則では国会内での帽子着用は禁じられているが、さかなクンサイドの「通常の服装で出席してもよいでしょうか」という要望に対し「さかなクンの帽子は品位、礼節に欠いたものにはならない」という見解のもと、異例の許可が出された。
- イギリスBBCの番組でさかなクンさんが登場したときは『世界で3本指に入る魚に詳しい人物』と紹介された
- イラストレーターでもあり、絵が異常に上手く、速筆。自分が知っている魚の絵は全て特徴を捉えてイラストにできる。TVチャンピオンで「さかなクンが描いた絵から魚の名前を当てる」問題が出された(自身は殿堂入りで出場資格がないため出題側に回った)こともある。
- 父・宮沢吾朗九段から碁の手ほどきを受けたが、「才能がなかった」「自分の手よりも対局者の手を褒めるような子だった」ので、それほど強くない
全盛期のさかなクンさん伝説
※これ以降は「全盛期のイチロー伝説」コピペ派生改変であり、ごく一部合ってますが9割創作です。 cf.
- 太刀魚を持って打席に立つと3打数5安打は当たり前、3打数8安打も
- 父親は囲碁棋士。さかなクンさん自身の棋力もプロ棋士レベル(魚や妖怪に興味を持たなかったら、父と同じ囲碁棋士の道を歩んでいただろう。しかし、極度に囲碁棋士に向かない性格だと父親が認めたため、囲碁棋士にはならなかったといわれている)
- 「左ヒラメに右カレイ」というヒラメとカレイの見分け方を発見したのはさかなクンさん(小4の夏休みの研究)
- さかな漢字258文字検定1級保持者(1級の合格者は2009年現在でさかなクンさん一人だけ)
- 魚を食べる事に関しても大好きで、ひそかにギネスの「人類で最も多くの魚類を食べた」記録保持者(3228種)
- ディスカバリーチャンネル、「深海の謎を追え」ではイギリスの潜水探査船チームからも名前が上がるほど
- フグの毒、テトロドトキシンに対して抗体が出来ているただ一人の人間としてWHO(世界保健機関)に記録されている
- さかなクンさんの初代本体(上の帽子)はサザビーズオークションに出品され、約340万円で落札された(落札金は全額寄付)
- 松方弘樹が巨大クロマグロを釣り上げたのは有名だが、それを落札したのはさかなクンさん
- 釣りバカ日誌には初代から特別監修としてさかなクンさんの名前(本名)が載っている
- 実は現存の約1割の魚の発見者がさかなクンさん。まさに現代版トリコ
- マクドナルドのフィッシュバーガーはさかなクンさん考案
- 一時期話題になったスカイフィッシュは昆虫が映り込んだものだと言われているが、さかなクンさんは実物を保持している
- SPEEDO社の水着は「バショウカジキの生態をモデルにしてはどうか」とアドバイスしたさなかクンさんの功績
- クロマグロ取引禁止案が否決になった要因が「(もし取引を禁止にするなら)反対した国には行かない」というさかなクンさんの声明
- 魚を使った戦闘術に長けており、ダツ(駄津)が一尾あればイラン・イラク戦争も終結させられる実力
- テレビの取材でパレスチナへ行った際に「ダゴンの生まれ変わり」として神の如く崇められた
- デビューCD『コイシテイルカ』はEXILEの一部ファンらがCD屋で破壊行為を行ったためオリコンランク外という結果に(その週の一位はEXILEのTHE MONSTER)
- 最近の主な仕事はシーシェパードの妨害阻止
- サザエさんから度々出演オファーが来ているが、「ボクはカツオ君やタラちゃんとは違って『単なる魚』なので」と出演を断っている
- 民間人で最も多く『しんかい6500』に搭乗した。海洋研究開発機構は極力しんかい6500が潜水する際にはさかなクンさんに声をかけている
- AKB48の総選挙では敢えて自分が最下位になる事で他の子たちが辛い思いをしないようにした
- 2010ワールドカップで有名になった占いタコのパウル君をドイツのシー・ライフ水族館に寄贈し、命名したのはさかなクンさん
関連動画
関連静画
関連リンク
関連項目
脚注
子記事
兄弟記事
- なし
- 26
- 0pt