さんまのナンでもダービーとは、テレビ朝日系列にて1993年4月から1995年9月まで毎週火曜19:00~19:54に放送されたスポーツバラエティ番組である。
競馬の要領で、パネラー(解答者)がレース(競技)に勝ちそうな人にS$(サンマドル)を賭け、レースを行い、そのレースの勝者に賭けたパネラーには払い戻しが行われる。10万S$からスタートし、最終的に所持しているS$が最も多かったパネラーが優勝というシステムである。賭け方は通常レースは連勝複式、ボーナスレースは複勝式、最終レースは連勝単式のみ。レースで使用されるオッズは事前に街頭アンケートを行って決定しており、番組内での最高払い戻しは206倍。最終レースで全員外すと予想して全額ベットせずいくらか残すという駆け引きもあった。また最終レース終了時に100万S$以上持っていたパネラー(複数いる場合はトップのみ)には特別な賞品が贈呈されていた。
レース毎にグレードによる格付けが行われており、特番のメインレースはGⅠとして施行される。後述のがまんカップは競馬のクラシックレースになぞらえた中学生限定のクラシック競走シリーズも開催された。行われるレースの殆どは人間が競うユニークなものばかりで、そこから人気競技(企画)や名物選手が生まれた。レース中はアナウンサーによる実況が入るが、競技の内容によっては局アナではなく他局から実況アナウンサーを呼んできたこともある(競馬系レースに当時関西テレビの杉本清など)。
中でも人気を博したのが、放送当時、三冠馬になったナリタブライアンにあやかり名づけられたポニー「ナリタブラリアン」で、主戦騎手・森安輝正(当時JRA騎手)の調教により、ポニーから「競走馬」へと成長。ポニーや人間、自転車などの異種混合レースで活躍。後に、ポニーのみのレースも(いわゆるポニー競馬)開催。
最終的には、1995年の秋と年末で連覇を達成するまで成長。 また森安騎手自身、JRAプロフィールの趣味・特技の欄に「さんまのナンでもダービー(準レギュラー)」と書いており、思い入れは強かった。ナリタブラリアンの騎乗以外でもがまんカップなどのレースに出走しており高勝率をマークしている。
この他、当時若手騎手だった後藤浩輝・当時園田競馬場所属の地方ジョッキーだった小牧太、当時ヒシアマゾンに騎乗してブレイクしていた中舘英二、同じくヤマニンゼファーの騎乗でブレイクし若手ナンバーワンと称された田中勝春、果ては本場のダービージョッキーでもあるアラン・ムンロまでもがレースに参加したこともあった。
ポニー限定戦第一弾である明石家優駿さんまダービー(GⅠ)ではパネラーに武豊が出たり、解説に井崎脩五郎、アシスタントに鈴木淑子、「馬なり1ハロン劇場」で有名なよしだみほが1コマ漫画を寄稿する(コーナー名は「井崎探偵事務室」)など、他局とはいえ本物の競馬番組のオマージュもあり、ガチガチの競馬ファンもたまらないキャスト陣であった。これらのコーナーの後スタジオでの予想トークが行われるのだが、その際に用意される出馬表もネタまみれであり、このレース単独で番組が成立するのではと思われるレベルの趣向が凝らされていた。
パイロット版から高視聴率を出し続け非常に人気の高い番組だったが、とあるゲストが収録中にトラブルを起こし、その際のスタッフの対応からさんまとの間に確執が生まれ、本番組を打ち切るとともにテレビ朝日との険悪な関係が長年続くこととなってしまう。近年は多少和らいだのか、単発での企画や特別番組でのゲストで出演することもある。なお系列局である大阪の朝日放送との関係は悪化していない。
最終レース名物「抱きつきがまんカップ」も印象深く、いつか復活してほしいバラエティ番組である。しかし本番組は前述のポニー競馬を始め製作に非常にお金のかかる番組であり、スポンサーから多額の出資を必要とすることから実現は難しいものと考えられる。ただポニー競馬や人馬混合戦などのレースは地方競馬で単発企画として開催されることがある。
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