SOGO
そごうとは、7&i傘下の百貨店(デパート)である。
現在の社名は、株式会社そごう・西武であり、創業地は大阪だったが、現在は大阪の店舗を閉鎖したため、東京都千代田区に本社機能を備えている(なお、東京都内にもそごうの店舗はない)
なお、この記事では、ひらがな表記である「そごう」をそのまま表記するとわかりづらいため、太字にして表記する。
隆盛から没落
かつてそごうといえば、高島屋・大丸に肩を並べたほどの関西百貨店界の雄で、売り上げでこれらを凌いでいた時期も短くなかった程の大百貨店であった。江戸時代の呉服店がルーツの老舗で、その歴史は200年近くに及ぶ。なお、漢字ではかつての国鉄総裁の十河…ではなく、十合と書いた。また、あの8の字のようなマークは絹屋の象徴として、織り機につけるちきり(糸巻きの一種)を図案化したものである。また、ダリアの花をイメージに採用していた。
初代大阪本店はモダニズム建築の傑作と呼ばれ、荘厳且つ華やかなデザインで人気を呼んだ。この大阪本店と大丸の本店が隣り合って鎮座していた頃の心斎橋は、西の銀座とマスコミは名付け、その名の通り銀座に匹敵するほどの隆盛を見せた花の繁華街であり、そごうはその一角を担う、人々の憧れのデパートだった。
とはいえ、当地大阪でのブランドイメージといえば圧倒的に大丸>>>そごうぐらいの開きがあり、包みが孔雀(大丸)かちきり(そごう)かでその得意先の値打ちが計り知れるほどの落差があった。この二流イメージに嫌気が差したことが、後の水島会長による拡大路線の遠因にもなっているわけである。
その一方で、神戸市では圧倒的な存在感を示し、神戸で百貨店といえば「そごう」というぐらいであり、初めて平仮名の店舗名にしたのも神戸店である。この神戸支店の成功を受け、大阪本店を改装(要は破綻後閉店し、取り壊された村野藤吾の名建築はこのときに誕生したもの)。
大阪店・神戸店が軌道に乗り、1957年に東京に進出した有楽町店によって、そごうのネームバリューは、日本百貨店界において非常に大きなものとなった。特に有名な「有楽町で逢いましょう」はそごう東京店のキャッチコピーであり、テーマソングもヒットした。また、讀賣グループと提携したことで、古くより読売ジャイアンツ優勝セールを行っていた(関西の店舗でも行っていた)。
その後、千葉、北九州(黒崎)、広島、横浜と軌道に乗せていき、水島の手腕は他の百貨店業界も一目置くようになっていた。だが、それと並行して、徐々にバブル崩壊の足音も聞こえており、不採算店も増えていたことから「そごうのやり方はいずれ行き詰まるだろう」という声も囁かれるようになった。
しかし、国内・海外問わず「拡大路線」を推し進めるバブリーな姿勢を、平成不況の時代に突入し百貨店業界の縮小が決定的になっても是正することが出来ず、またそごう20、そごう30、更にはそごう40も計画していたなど、地域に根付かないまま箱物ばかり増やしていったために、次第にその負債は雪だるま式に膨れ上がっていった。出身地だからという理由だけで、完全に近鉄帝国の牙城である奈良市にバブルの化身のような巨大支店を作ったり、「世界最大の売り場面積」をウリとした支店を2度も作ったことからも、言い方は悪いが高度成長期の気分が抜けていなかったことがわかる。
結局、その負債に耐え切れず2000年に事実上倒産。以降、各地でそごうの閉店が相次いだ。
以下はその後の顛末である(この他に船橋、木更津、茂原がある)
- 有楽町そごう(そごう東京店) → ビックカメラ
- 奈良そごう(奈良県 奈良市) → イトーヨーカドー → ミ・ナーラ
- 柚木そごう(東京都 八王子市) → イトーヨーカドー
- 加古川そごう → ヤマトヤシキ
- 多摩そごう → 三越・大塚家具 → ココリア多摩センター
- 豊田そごう → 松坂屋と地元資本による専門店ビル → 専門店ビルと三越
- 札幌そごう → ビックカメラ
- 錦糸町そごう → アルカキット錦糸町
- 長野そごう → 地元放送局ビル
- 福山そごう → 福山ロッツ → リム・ふくやま → イチ セトウチ
- コトデンそごう → 高松天満屋 → 瓦町FLAG
- 黒崎そごう(黒字を計上していたにも拘わらず、老朽化が原因で閉店) → 井筒屋黒崎店(小倉への一極集中と更に福岡へのストロー現象によって、2019年に規模縮小。2020年、規模縮小のあおりで入居先の商業ビルが自己破産した事により閉店) → 空店舗(管理者不在)
- 小倉そごう → 小倉玉屋 → 小倉伊勢丹 → 井筒屋コレット → アイム → セントシティ
- そごう大阪本店 → 大丸心斎橋店北館
- そごう柏店 → タワーマンション建設予定地
- そごう八王子店 → セレオ八王子
- そごう神戸店 → 神戸阪急
- そごう呉店 → 空店舗(複合ビル建設予定地)
この中で、松山のいよてつそごうだけは、すぐにそごうから脱却し、伊予鉄百貨店としたあと高島屋に屋号変更したことで難を免れた(元々から、黒字採算の店舗だったのもある)。
そして、復活のシンボルとして、起死回生を賭け傑作近代建築と名高かったビルを取り壊し、鳴り物入りで開店させた大阪本店は4年足らずで閉店。皮肉にも、競合他社であり、かねてより本店増床を画策していた大丸に買い取られ、大丸心斎橋店北館となっている。
なお、そごうの象徴として最上階の回転レストランがあるが、2016年9月にそごう柏店が閉店したことで全て廃止された。現在、運営会社はそごう西武、そしてセブン&アイグループの一員となった関係もあって、そごうの本社機能は東京に移されている。
ちなみに、こうして「拡大路線」で失敗したのは、そごうだけではない。
この路線でそごうより派手に破綻した流通業と言えば、ダイエーとマイカルがある。両社は共にイオンに吸収され、屋号が消滅しつつある。
結局、経済崩壊後の日本においては、拡大路線は自殺行為となっている。
ダイエーやマイカルを吸収したイオンも近年まで「拡大路線」を推し進めてきたが、「収益重視」へ方針転換した(というより拡大しつくした)。しかし、イオンの利益は不動産による差益であり、流通小売業というよりは不動産業に近い(いわば、昔の西武グループがやっていた方法だが、アメリカみたいに無数の廃墟ショッピングセンターを増やす元でもある)。
なお、そごうはTDLのアトラクション「イッツ・ア・スモール・ワールド」のスポンサーであり、これを模したからくり時計が東京店などに設置され人気を博していたが、現在はその姿を消している。
そごう激動のあゆみ
1830年 | 十合伊兵衛が大阪で古着屋「大和屋」を創業。 |
1877年 | 大和屋が心斎橋に移転。同時に「十合(そごう)呉服店」に店名を改める。これが後の大阪店となる。 |
1935年 | 御堂筋開通、大阪本店 開店 花の心斎橋を象徴する百貨店として、御堂筋が大阪の新たなメインストリートとなるきっかけを作る(それまでの大阪のメインストリートは堺筋だった)。 |
1949年 | 大証一部上場 |
1957年 | 東京店(有楽町そごう) 開店 国鉄有楽町駅前に華々しく開店し、CMソング『有楽町で逢いましょう』が大ヒット。 有楽町を一大繁華街へと成長させる。 |
1961年 | 東証一部上場 |
1967年 | 千葉そごう 開店 株式会社千葉そごうを設立する。 本来の「株式会社そごう」が経営するのは、これまでに開店した大阪店・神戸店・東京店のみで、これ以降の支店は、基本的に開店の度に経営会社を設立して運営させた。これは、地元の出資を受けやすくすることで地方進出を容易にするためで、結果としてこの試みは成功し、そごうは以後、凄まじい速度で店舗を増やして行く。 |
1985年 9月30日 |
横浜そごう 開店 「世界最大級の売場面積」(当時) 横浜三越(現:ヨドバシカメラ)や横浜高島屋にはなかった、「シースルーエレベーター」や「からくり時計」があり、毎時0分近くになると、ここぞとばかりに正面入口に人が集まっていた。 |
1989年 10月2日 |
奈良そごう 開店 創業者ゆかりの奈良県に出店。金ピカの夢殿レプリカ、豪華なエレベーター、屋上回転レストラン、川が流れ星が流れる食堂街、美術館と、バブル時代のそごうの粋を集めた、という感じの店舗。豪華社長室があったという噂すらある。 よりによって駅から遠い平城宮跡辺りに建設し、長屋王邸宅跡をデストロイして建設したためか地下フロアが存在しない。閉店時には「長屋王の呪い」とまで言われてしまった。 |
1993年 4月27日 |
千葉そごう(新店) 開店 「世界最大級の売場面積」(当時) |
2000年 7月12日 |
民事再生法 手続申請 事実上の倒産 |
2000年 12月25日 |
そごう大阪店 閉店(2003年4月解体) |
奈良そごう閉店 後継が決まらず、見事な廃墟っぷりを長らく奈良~大阪を結ぶ幹線道路脇に晒すが、後にイトーヨーカドーに。ドアの取っ手が鹿。しかし、そのイトーヨーカドーも2017年9月に閉店。 土地と建物はやまきに売却され、2018年4月に観光型ショッピングセンター「ミ・ナーラ」が開業した。 |
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2001年 | 有楽町そごう 閉店 撤退した後をそっくりビックカメラが埋め、新たな有楽町の顔に。 |
2003年 1月30日 |
民事再生手続終結 |
2003年 6月1日 |
ミレニアムリテイリング傘下に |
2005年 9月7日 |
そごう心斎橋本店 開店(そごう大阪店の跡地に新築) |
2006年 6月1日 |
ミレニアムリテイリングが7&i傘下となる(買収防衛策) |
2008年 4月15日 |
各店で、からくり時計の"からくり機能廃止" 以降、時計のみ または 撤去 「おにんぎょうたちは、おとなのおやくそくでおうちにかえることになりました」 |
2009年 8月31日 |
そごう心斎橋本店 閉店 撤退した後は、大丸心斎橋店北館に。 心斎橋本店閉店後は横浜店が実質的にそごうの総本店的役割を果たしている。 |
2012年 1月31日(火) |
そごう八王子店 (東京都八王子市)閉店。 撤退後はJRの商業施設であるセレオ八王子北館となる。 かつて同市中心街には西武、伊勢丹、大丸、丸井とあったが、その中型店舗を駆逐するほど大きな店舗であった。だが、赤字体質が抜けない上、近隣の立川の台頭もあり、歴史に幕を閉じた。こうして、八王子はその人口規模にもかかわらず、京王の小型店舗を除いて百貨店が全滅してしまった。 |
2013年 1月31日(木) |
そごう呉店 (広島県呉市)閉店。 元々、不採算店閉店のおり、待ったなしというほど売上は低かったが、広島そごうの資本を受けていたために、延命されていたようなものである。撤退直後にイズミが復活に名乗りを挙げたが、その後有耶無耶になっている。 |
2016年 9月30日(金) |
そごう柏店 (千葉県柏市)閉店。 そごうの中では、最後まで回転レストランが営業していたが、4月25日に郊外に「セブンパーク アリオ柏」がオープンしたこともあって事実上そちらに統合する形で閉店した。 跡地には新たな商業施設を誘致することを予定しているが、具体的なプランは未定。 |
2017年 5月11日(木) |
そごう神戸店 (兵庫県神戸市)売却。 セブンアンドアイグループの首都圏強化策と、H20リテイリンググループの関西強化の思惑が一致して売却が実現し、その対象となる店舗の一つ(なお両社は提携関係にあり、相互補完する形である)。決して赤字だったわけではなく、かつては直営店一番の主力店舗であった。なお、場所は阪神三宮駅の駅ビルであり、阪神ターミナル駅の上に阪急百貨店というシュールな姿となる(今は同じグループだから問題ないけど、もし競合他社同士ならどうなっていたことか…)。 |
2020年 8月31日(月) |
そごう西神店(兵庫県神戸市)、徳島店(徳島県徳島市)閉店。 |
2021年 2月28日(日) |
そごう川口店(埼玉県川口市)閉店。 |
現在
運営会社の名前こそ「そごう・西武」となってはいるが、実質的には西武百貨店に吸収された形である。
現在では、品揃えから売り場のデザインまで殆どが西武百貨店のカラーに染まっており、従来のイメージは良くも悪くも消え去ってしまっている。
なお、横浜店・千葉店・大宮店・神戸店・広島店の5店がそごう西武における基幹店という位置付けになっているが、このうち神戸店は西武(西武百貨店)高槻店と共に2017年10月に阪急百貨店および阪神百貨店を統括するH2Oリテイリングに譲渡され、2019年より阪急百貨店となる。また、徳島そごうはかつて、四国においてセブン&アイグループ唯一の商業施設としても知られていた。
(なお、セブン&アイはその後2013年にサンクスの四国エリアフランチャイズだった企業とフランチャイズ契約を結び、セブンイレブンを四国に大量出店している)
現存する店舗
横浜店
基幹店舗の一つで、事実上の本店。かつては日本最大の巨大百貨店であったが、現在は6.8万平方メートルのままと上位10位にも入っていない(ただし、単一店舗としてならランクイン)。横浜みなとみらい21の横浜駅東口エリアにあり、西口の高島屋と鎬を削る(年商は髙島屋が上回っているが、髙島屋は港南台店との合算なので、実際は伯仲している)。そごう店舗で唯一年商1106億と大台を突破しており、そごう・西武としても西武池袋本店の次に売上が高い。
千葉店
2018年現在、千葉市に唯一残る百貨店で基幹店舗の一つ。千葉駅のターミナルビルに直結している。1967年にオープンし、水島そごう拡大戦略の拠点だったが、その煽りで千葉市内から次々と小規模な百貨店が淘汰され、三越を最後にかつての中央通りから百貨店が消えてしまった。
1993年の移転当初から少し縮小したものの、店舗面積は9.0万平方メートルと関東の百貨店で最大であり、年商691億円。千葉駅のターミナルから直結しているなどアクセス面に優れる一方で、別館(オーロラモールジュンヌ)に13階層1600台の駐車場も備えており、名実ともに千葉市のランドマークである。
大宮店
あちこちで髙島屋の後塵を拝している中で、唯一髙島屋に圧勝している店舗。基幹店舗の一つ。それまで裏口に過ぎなかった大宮駅西口開発の拠点となった(だが、さいたま市の地域一番店は浦和駅の伊勢丹)。
広島店
基町バスターミナルにある西日本唯一の基幹店舗。元子会社店舗では千葉の次に古い。基町のバスセンターにあり、利用者が多く、実は地域一番店である(福屋の方がそういわれるが、福屋は本店と駅前エールエールとの合計値)。なお、場所は紙屋町エリアにあり、八丁堀エリアの福屋、三越とは少し離れている。
近年閉店した店舗
川口店
川口市の顔として迎え入れられたが、一時閉店も噂されていた。だが、後にララガーデン川口とつながり動線ができたことで、閉店を免れた。しかし、沿線住民のカラーもあり、そこまで売上は高くなく、やはり2021年2月に閉店。お疲れ様。
神戸店(H2O系列)
阪神三宮駅ターミナルにある。そごう直営店で一番の売上を誇り、店舗面積は4.8万平方メートルと当時としても群を抜いていた。そして、震災前までは最盛期で年商1500億以上を叩き出した地域一番店であり、そごうの主力店舗であったが、震災によって売場面積が4.2万平方メートルに減少し、また動線が悪くなったことが災い、そこに消費者のそごう離れが加担して、完全に大丸と差が開いてしまった。運営もそごう・西武から切り離され、大阪店の閉店、セブン&アイ会長による首都圏強化発言により関西でのそごうへの不信感、顧客離れが進み、年商183億にまで落ち込んでいる。2019年には阪急百貨店となったが、沿線の阪急他店舗とどうやって共存するか課題となっている。
西神(せいしん)店
高級ニュータウンとして開発された西神ニュータウン拠点にある郊外型店舗。当初は神戸店とともにH2Oリテイリングへの売却予定となっていたが、賃金引き下げにより黒字化が見込めるとして一転して存続した。また、元神戸そごう顧客への外商部隊拠点にもなる予定だったが…そごう神戸店の有様を見ているとどうなることか…、2020年8月31日に閉店。跡地は商業ビル「エキソアレ西神中央」に変わった。
徳島店
県内唯一の百貨店で、開店当時は四国最大の百貨店だった。また、市内の商業中心地をそれまでの新町から駅前に塗り替えることになる。開業からずっと、2018年まで黒字経営を続けていたなど隠れた実力者だったが、高速バス利用に伴う神戸・大阪へのストロー現象と郊外化により売上は目減りしており、セブンアンドアイの首都圏強化策の犠牲者となり、加えて近郊のイオン出店などもあり、黒字化はもう無理だと、わずか2年で債務超過に陥らせ、2020年8月31日に撤退した。なお、跡地には高松三越の小型店舗が2022年4月に進出した。
なお、30年前から全国で唯一百貨店が1つしかない県である上、当時四国最大規模の店舗でオープンしたこともあり、それまで「丸新」「つぼみや」と数千平方メートル程度の地元百貨店しかなかった市民にとって、遂に待ち望んでいた都市型百貨店オープンであった(なお、「大丸」など他社にも出店要請したが、こんな片田舎に出店の余裕はないと跳ね返されていた背景もある)。そんな経歴もあるためか、全国的なそごう不信が起きたときも「せっかく徳島に来てくれた「そごう」さんをなくしたらアカン」って市民運動が起きたほどで、さほど売上に影響がなかったという。
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