『そして誰もいなくなった』とは、1939年11月に発表されたアガサ・クリスティの長編ミステリ小説である。初期の原題は「Ten Little Niggers」、米国版は「And Then There Were None」。現在では後者が正式な題名となっている。
ストーリー
イギリス・デヴォン州の離島、インディアン島(兵隊島)の館に、年齢も職業も異なる男女8人が招待された。しかし招待状の差出人であるU.N.オーエン夫妻は姿を現さず、出迎えたのは召使の夫婦が2人。やがて招待状が虚偽のものであることが判明し、この島にいる全員が、実はオーエン夫妻と直接面識を持っていないことが解る。
不穏な雰囲気のまま晩餐会が始まる。そして、召使があらかじめ指示されてセットしたレコードから、彼ら10人の過去の罪を告発する声が流れた。それは事故や言いがかりのようなものではあったが、公式には裁かれなかった「殺人」の罪だとされた。
マザーグースの『10人のインディアン(兵隊)』の歌詞に従って、彼らは次々に殺されていく。死人が出るたび、広間に10体飾られてあった人形が減っていく。疑心暗鬼になっていく生存者たち。
果たしてU.N.オーエンの正体とは?
登場人物
- オーエン夫妻
- 島の持ち主。夫はユリック・ノーマン・オーエン(Ulick Norman Owen)、妻はユナ・ナンシー・オーエン(Una Nancy Owen)を名乗る。
- 8人の招待客に招待状を送り、2人の召使を雇ったが、彼らとは全員面識がない。最初の日の夕食後、レコードに記録した音声で10人の「罪」を告発する。
- どちらの名前も略すとU. N. Owenとなり、「Unknown(正体不明)」にかけられている。この事件の犯人であり、その正体と目的は終盤で判明する。
- アンソニー・ジェームズ・マーストン
- 遊び人で、生意気な青年。
- 告発された罪は、危険運転で2人の子供を死亡させながらも事故を主張し、罪を認めなかったこと。罪悪感も持たず、自分は罰せられるいわれはないと開き直る。
- 第一の犠牲者。毒を盛られた酒で「喉をつまらせて」死亡。
- エセル・ロジャース
- オーエン夫妻に雇われた召使。料理人でトマスの妻。気が弱い。
- 告発された罪は、以前仕えていた女主人の財産を手に入れるために心不全の発作をわざと見過ごし、死に至らしめたこと。
- 第二の犠牲者。致死量の睡眠薬を盛られて「寝過ごして」死亡。
- ジョン・ゴードン・マッカーサー
- 退役した老将軍。第一次世界大戦の英雄でもある。
- 告発された罪は、妻の愛人だった部下を危険な戦地に追いやって戦死させたこと。
- 第三の犠牲者。「旅先のデヴォンに残り」、散歩した先で撲殺死体として発見。
- トマス・ロジャース
- オーエン夫妻に雇われた召使。エセルの夫。オーエン夫妻とは面識のないまま、最初に与えられた指示通りに客を迎えて世話をした。
- 告発された罪は、妻と同じ。トマスが主犯で、エセルは消極的な共犯だとされる。
- 第四の犠牲者。斧で後頭部を割られて「斧で自分を真っ二つにして」死亡。
- エミリー・キャロライン・ブレント
- いかにも頑迷で厳格な老婦人。
- 告発された罪は、過去に雇っていたメイドの妊娠を責めて追い詰め、自殺に追い込んだこと。強い信仰心と信念から本人は自分は悪くないと主張したが、その裏では不安と恐怖に苛まれていた。
- 第五の犠牲者。毒物を注射されて「蜂に刺されて」死亡。死体の近くには本物の蜂が放たれていた。
- ローレンス・ジョン・ウォーグレイヴ
- 元判事。殺人事件の裁判ではよく死刑を宣告し、「首吊り判事」と恐れられた。
- 告発された罪は、ある殺人事件で陪審員を誘導して不当な死刑判決を出し、被告を絞首刑にしたこと。ただし死刑執行後、決定的な証拠の発見によって被告の有罪は確定している。
- 第六の犠牲者。判事の正装をさせられた上で眉間を撃たれ、「大法院に入って」死亡。
- エドワード・ジョージ・アームストロング
- 医師。ロンドンの名医たちが集うストリートに医院を構えている。
- 告発された罪は、酔ったまま手術を行い、患者を死亡させたこと。
- 第六の事件までの死亡鑑定を行っていたが、その後行方不明となる。
- 第七の犠牲者(発見されたのは八番目)。「燻製のニシンに飲まれる」になぞらえ、海に突き落とされて溺死。
- ウィリアム・ヘンリー・ブロア
- 探偵で元警部。
- 告発された罪は、犯罪組織から賄賂を受け取って偽証し、無実の男に罪をかぶせて終身刑にしたこと。その後男は妻子を残し、刑務所で死亡した。
- 当初は偽名を名乗るなど自分の身元を隠そうとしたが、告発によって正体を暴かれ、渋々認めるなど非常に怪しい。
- 第八の犠牲者。大理石製の熊の置物を上から頭に落とされ、「熊に抱き締められて」死亡。
- フィリップ・ロンバード
- 元陸軍大尉。
- 告発された罪は、従軍した東アフリカで協力者の先住民を見捨てた上で食料を奪い、21人を死に至らしめたこと。
- 第九の犠牲者。最後に残されたヴェラと対峙し、お互いが黒幕であると疑心暗鬼になった結果、銃を奪われて射殺。死体は現場に置き去りにされ、奇しくも歌の通り「日に焼かれる」こととなった。
- ヴェラ・エリザベス・クレイソーン
- 若い娘。教師。学校が長期休暇の間には家庭教師や秘書を副業とする。
- 告発された罪は、家庭教師をしていた病弱な子供にわざと遠泳の許可を出し、溺死させたこと。この子供の叔父である青年と恋愛関係にあったが、子供が相続する予定の遺産を青年に相続させるために事故を引き起こした。しかし青年とはこの件が原因で破局している。
- 最後の犠牲者。ロンバードを返り討ちにするが、真犯人が用意していた首つりロープを見て錯乱、自ら「首を吊って」死亡。島には誰もいなくなった。
- フレッド・ナラコット
- 島への船を操縦した人物。客人が滞在中は食事などの物資を運ぶ予定だった。3日目の朝にSOS信号に気づき、島へと向かうが……。
- アイザック・モリス
- オーエン夫妻の代理として立ち回り、島の売買や管理を手配していた悪党。10人が島に集められた日、別の場所で死亡しているのが発見される。
- トマス・レッグ卿
- ロンドン警視庁副警視総監。最後に登場してこの事件を振り返る。
概要
「クローズド・サークル」と呼ばれる、閉鎖環境系ミステリーの代表作。
『アクロイド殺し』を発展させた巧みな叙述トリック、奇抜な展開、そして一晩で読める手ごろな厚さで、入門編としても親しまれている。
また『見立て殺人』ものでもあり、歌の通りに次々と被害者が殺されていくさまは非常に不気味。
クリスティといえば、エルキュール・ポアロとミス・マープルの作品が有名であり、累計20億冊の本の売り上げを誇る。そのため、世界で一番本が売れている作家として、ギネスブックに登録されている。
その中でも圧倒的な高評価を得ているのが本作である。ただし、本作はポアロもマープルも登場しない。全世界で推定1億冊を売上げ、ミステリーの人気ランキングでは、たびたび第1位に輝いている。
日本では清水俊二訳によるものが長年親しまれていたが、清水訳では叙述にアンフェアとされる部分があった。[1]
その後英文学者の若島正が原書にあたってクリスティが徹底してフェアな叙述をしていたことを明らかにし、2007年に青木久惠による新訳が刊行。現在は新訳版が新品で入手できる。
旧訳版で読んだきりの人は読み比べてみてもいいかもしれない。
また当初の作品では、モチーフとなる人形および童謡は「黒んぼ(nigger)」だったが、アフリカ系アメリカ人の差別用語であるとして、アメリカで本書が発行される際に「インディアン(indian)」に改変された。しかしこれもネイティブアメリカンを表す差別用語であるとして、最終的に「兵隊(soldier)」に変えられている。
日本においても青木訳では「兵隊」に変更されている。
クリスティ自身により戯曲化され、何度も舞台や映画、TVドラマ化されている。
脚本によってはハッピーエンドに改変されるなど、結末が違う場合もある。
横溝正史『獄門島』、綾辻行人『十角館の殺人』など、本作に影響された、あるいは本作にオマージュを捧げたミステリーは数多い。
ニコニコ動画内での扱い
文字通り、「誰もいなくなってしまった」という意味で動画タイトルやタグに時折使用されている。何かが起こって動画内から誰もいなくなったときにも、このタグやコメントが書かれることがある。
本歌取り・パロディ
有名作だけに、数限りなくパロディのネタにされている。日本のミステリー小説でも、本作のタイトルやシチュエーションを捻った本歌取り・オマージュ作品は前述の通り多数ある。
本作のパロディ(?)タイトルのミステリー
- そして扉が閉ざされた(岡嶋二人、1987年)
- そして誰かいなくなった(夏樹静子、1988年)
- そして犯人もいなくなった(司城志朗、1988年)
- そして誰もいなくなる(今邑彩、1993年)
- そして五人がいなくなる(はやみねかおる、1994年)
- そして二人だけになった(森博嗣、1999年)
- つまり誰もいなくならない(斎藤肇、2010年)
- そして、誰もが嘘をつく(水鏡希人、2011年)
- そして誰もいなくなる(西村京太郎、2014年)
- こうして誰もいなくなった(有栖川有栖、2019年)
- そして誰も死ななかった(白井智之、2019年)
- そして誰かがいなくなる(下村敦史、2024年)
- そして誰もいなくなるのか(小松立人、2024年)
ミステリー系以外でのパロディ
『東方Project』シリーズの作者・ZUN氏は、往年のミステリー作品を、スペルカードの名前などの元ネタとして使っている。ゲーム『東方紅魔郷』のEXステージのBGM「U.N.オーエンは彼女なのか?」やスペルカード「そして誰もいなくなるか?」で使用されているのは、言うまでもなくこの作品である。
また、パロディネタ満載であるアニメ『星のカービィ』の第72話「ワドルディ売ります」の回では、お城に誰もいなくなった際にデデデ大王が「そして誰もいなくなったZOY」と発言した。
ニコニコにおいては、動画・静画のタグとして使用される。たとえば、ゲーム『F-ZERO』には、「コースアウトすると復帰できないシステム」と「プレイヤーの挙動にCPUが引っ張られる仕様」がある。これらを利用してTASさんは落下判定ギリギリのコースを走り、結果としてCPUがすべて消え、TASさんだけになることがある。そのような動画・静画に「そして誰もいなくなった」とコメントがついたり、タグが付けられたりしている。
関連動画
関連項目
脚注
- *本作では登場人物全員の内心の声の描写があり、犯人の内心の声もあるのだが、どれが誰の内心の声であるのかが明示されておらず、読者が特定する必要がある。その上で犯人の内心の声は、原文では「これが犯人の思考だと即特定はされないが、どれが誰の内心の声なのかをしっかり特定していくと、これが犯人の内心の声であると判断できる」ものになるようにクリスティが注意深い書き方をしているのだが、訳者がそのことを理解しないまま訳したため、日本語訳では犯人の内心の声の訳が犯人のものではありえないものになってしまっていた。本作が「読者に犯人を特定できるだけの手がかりが与えられていないので、本格ミステリではなくサスペンス」と言われていたのはだいたいこれが理由。
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