それでも地球は回っている(それでもちきゅうはまわっている、伊: E pur si muove! / Eppur si muove!)とは、17世紀の科学者ガリレオ・ガリレイが、2度目の異端審問裁判で有罪判決を受け、地動説を放棄する宣誓をした後に、小声でつぶやいたとされる言葉である。
直訳すると「それでもなお、それは動く」といった意味になる。
自説を曲げざるを得なかった状況でも、真理への信念を捨てなかった科学者の魂の叫びとして、創作物などで引用されることも多い有名なエピソードであるが同時代の文献には記録がなく、史実ではなく後世の創作、つまり言っていない台詞であるというのが現在の定説である。
概要
この言葉を理解するためには、まずガリレオがなぜ異端審問にかけられたのかを正確に知る必要がある。一般的に「地動説を唱えたから処罰された」というイメージが強いが、裁判の争点はより複雑なものであった。
最初の警告(1616年)
1610年、ガリレオは自作の望遠鏡で木星の衛星を発見するなど、ニコラウス・コペルニクスの提唱した地動説を支持する観測結果を次々と発表し、一躍時の人となる。しかし、聖書の記述と矛盾すると考えられた地動説は、カトリック教会の教義と対立するものであった。
1616年、検邪聖省(異端審問所)は地動説を「異端である」と判定。ガリレオは呼び出され、今後コペルニクスの説を「いかなる形でも支持したり、教えたり、擁護したりしてはならない」という誓約をさせられた。この時点では、あくまで警告であり、処罰は受けていない。
2度目の裁判(1632年 - 1633年)
警告から十数年後、ガリレオの友人であり、科学にも理解があった枢機卿マッフェオ・バルベリーニが教皇ウルバヌス8世として即位する。これを好機と見たガリレオは、教皇の許可を得て、天動説と地動説を両論併記する形で議論を進める著作の執筆に取り掛かった。
こうして1632年に出版されたのが『天文対話』(Dialogo sopra i due massimi sistemi del mondo)である。しかし、この本の内容が大きな問題を引き起こした。
- 内容の不公平さ: 中立的な議論という建前にもかかわらず、内容は明らかに地動説を擁護するものだった。地動説を主張するサルヴィアティは聡明に、天動説を主張するシンプリチオ(Simplicio、「愚か者」「単純」の意も持つ)は、議論についていけない人物として描かれていた。
- 教皇への侮辱: 最大の問題は、天動説論者シンプリチオが最後に語る「神は全能なのだから、我々が観測する天体の動きを、我々の考える理論とは全く異なる方法で実現しているかもしれない。それを人間の矮小な知性で断定するのは不遜である」という趣旨の台詞にあった。これは、かつて教皇ウルバヌス8世自身がガリレオに語った言葉とほぼ同じだったのである。これを愚鈍な登場人物の口から語らせたことで、ガリレオは教皇を公然と愚弄したと見なされた。
この『天文対話』の出版は、1616年の誓約を破るものであり、かつ教皇の権威を失墜させる行為と判断された。これが2度目の異端審問の直接的な原因である。裁判の争点は、地動説の科学的な正しさではなく、教会に対するガリレオの「不服従」と「侮辱」だったのである。
判決
1633年6月22日、ガリレオは有罪判決を受ける。判決文には『天文対話』が禁書とされること、ガリレオに終身禁固刑が科されること、そして異端の説を放棄する旨の宣誓文を読み上げることが命じられた。
高齢(当時69歳)であったため、終身禁固刑はすぐに自宅での軟禁に減刑されたが、ガリレオは異端誓絶文を読み上げることとなった。 「それでも地球は回っている」という言葉は、この宣誓式の直後に語られたとされる。
言葉の真偽
結論から言えば、ガリレオが異端審問の場でこの言葉を発したという直接的な証拠はなく、後世の創作である可能性が極めて高い。
というのも、このエピソードが歴史の表舞台に登場するのは、ガリレオの死から100年以上が経過した1757年のことである。ロンドンで出版された、イタリア人ジャーナリストのジュゼッペ・バレッティによる著書『The Italian Library』の中で、この有名な逸話が初めて紹介された。
つまり、同時代を生きた人物による記録ではなく、死後1世紀以上経ってから突然現れた話なのである。異端審問という厳粛かつ緊迫した場で、有罪判決を受けた直後の被告人が、審問官たちに聞こえるような独り言を漏らすというのは状況的に考えにくい。もし発していたとすれば、即座にさらなる厳しい処罰の対象となったであろう。
史実としての「つぶやき」
一方で、判決後にガリレオが何かを「つぶやいた」という話自体は、当時から存在していた可能性も指摘されている。しかし、その内容が「それでも地球は回っている」であったという確証はなく、実際に何を発言したか(あるいは何も発言しなかったか)は不明である。
この言葉は史実ではないにせよ、権威に屈することなく真理の探究を続けたガリレオ・ガリレイの不屈の精神を象徴する言葉として、後世の人々の間で語り継がれてきたのである。
裁判後のガリレオ
「有罪判決を受け、自説を撤回したガリレオは、教会の権威に屈して失意のうちに生涯を終えた」という見方は、必ずしも正しくない。
裁判後、ガリレオはフィレンツェ近郊のアルチェトリにある自身のヴィラに軟禁された。客人の訪問は許可制で、行動は制限されていたが、研究を続けることは許されていた。そして、この軟禁生活の中で、ガリレオは自身の科学の集大成ともいえる大著を完成させている。
その本が、1638年に出版された『新科学対話』(Discorsi e dimostrazioni matematiche, intorno a due nuove scienze)である。この本は物体の運動や材料力学に関する考察をまとめたもので、近代物理学の基礎を築いた記念碑的著作として高く評価されている。
もちろん、カトリック教会のお膝元であるイタリアでは出版の許可が下りるはずもなかった。そこでガリレオは原稿を密かに国外へ持ち出し、カトリックの権威が及ばないプロテスタント国オランダのライデンで出版したのである。
この事実は、ガリレオが判決後も決して科学への情熱を失わず、あらゆる手段を用いて自らの研究成果を世に残そうとしていたことを示している。たとえ法廷で地動説の放棄を誓わされても、彼の心の中では、真理は決して揺らぐことはなかったのである。「それでも地球は回っている」という言葉は、こうした裁判後の彼の行動によって、より強い説得力を持つようになったと言えるだろう。それでもガリレオは言っていない。
主題が関連している作品
ボカロ曲
- ILU
- それでも地球は回ってる
(2016) - ナナツナツ
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(2022) - 高崎R
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(2024) - ヒロシ
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(2024)
漫画
- 秋里和国 - それでも地球は回ってる(1985)
- 石黒正数 - それでも町は廻っている(2005)
- 山本崇一朗 - それでも歩は寄せてくる(2019)
ビデオゲーム
邦楽
その他
- コニカミノルタプラネタリウム - ちびまる子ちゃん それでも地球は回っている(2019、プラネタリウム)
- taiyousun - SCP-3868-JP〈それでも地球はたこ焼きである〉(2025、シェアードワールド創作)
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関連項目
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