ちどりとは、列車名である。
このうち、芸備線・木次線を経由して広島と米子・鳥取を結んでいた急行についてここでは記述し、関連する芸備線優等列車についても便宜上取り扱う。
概要
1953年に週末のみ運転の臨時快速として広島駅~米子駅間を結ぶ客車列車として運転を開始したのが最初である。列車名の「ちどり」は経由地である島根県松江市にある松江城の別名「千鳥城」から。
2年後の1955年には「夜行ちどり」も運転を開始し、1959年の準急化と合わせる形で気動車化(キハ55系)されている。
客車時代は線路規格が低く峠越えのある木次線に対応するためにC56を牽引機とし、客車数も限定した軽量編成としていた。
準急「ちどり」は1962年3月15日に「夜行ちどり」を組み込む形で「第1・第2ちどり」の2往復化。なお、同日には米子駅~広島駅間を伯備線・芸備線経由で結ぶ「しらぎり」と岡山駅~広島駅間を伯備線・芸備線経由で結ぶ「たいしゃく」が設定されている(なお、「たいしゃく・しらぎり」ともに伯備線では「しんじ」と併結)。
1964年には「ちどり」と同一経路で鳥取駅発着とした「いなば」が設定された。
1966年に「ちどり・たいしゃく・しらぎり・いなば」が急行に昇格すると広島と山陰地方を結ぶ陰陽連絡列車として運用され、このうち第2ちどりは夜行扱いであった。翌1967年には新見駅~広島駅間に急行「ひば」が設定されたが翌1968年に「たいしゃく」に吸収され、「しらぎり・いなば」も「ちどり」に吸収され「ちどり」が4往復(昼行2.5往復、夜行1.5往復)となった。
なお、旺盛な需要を満たすために増発便も運行されたが、1971年には広島駅~倉敷駅間を山陽本線で運行する夜行「ちどり51号」出雲市駅行きが設定されている(後年の51号は通常の経路に変更)。
1972年3月10日の山陽新幹線岡山開業により「やくも」が設定されると、「たいしゃく」は伯備線内運用を終了し、「ちどり」も4往復から3往復(昼行2往復、夜行1往復)に削減。この頃はまだ臨時の夜行便も設定されていたが、1975年に山陽新幹線が博多まで延伸すると時間短縮による旅客転移が発生。
夜行の「ちどり」は広島~松江・米子間の直通旅客が少なくなった事から1980年に廃止された。この廃止により芸備線の三次行き最終列車が繰り上がり庄原地区の利用者に大きな影響を与える事となった。
1985年には運転区間を短縮した「みよし」が運転を開始し「ちどり」「たいしゃく」は1往復に減少。1990年3月のダイヤ改正では「ちどり」の木次線運用が消滅し広島駅~備後落合駅間のみの運用となり、ここで木次線の優等列車が消滅。
その後も芸備線の優等列車として「ちどり」「たいしゃく」「みよし」の3列車体制で運用されていたが、2002年に「みよし」に統合される形で消滅している(その「みよし」も2007年に車両の老朽化などによって廃止された)。
なお、現在芸備線・木次線に優等列車は無く、芸備線・木次線に至っては一部区間で廃止が噂される程になってしまっている。
「ちどり」データ(廃止時)
参考:その他の「ちどり」
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