なでしこジャパンとは、日本の女子サッカー日本代表の愛称である。
日本サッカー協会により組織・選出される。
概要
ユニフォームは男子サッカー日本代表と同じく基本的に青、サブカラーに白。
ただし、ワンポイントで追加される色(2011年のユニフォームでは首元、2012年のユニフォームでは縦線)の色が男子は赤なのに対して、女子はなでしこの色であるピンクとなっている。
正式名称は「サッカー日本女子代表」。しかし、サッカー日本代表では男子のイメージが強い為、日本女子サッカー代表の知名度向上と女子サッカーの発展を背景にサッカーオーストラリア女子代表の愛称である「Matildas(マチルダス)」として知られているような日本女子サッカー代表の愛称を決める為に全国から公募がなされた。そこで名付けられたのが「なでしこジャパン(JAPAN)」である。(また、AFC女子サッカー予選大会2004で「大和撫子」という言葉が使われた事も愛称を決める後押しとなった。)
歴史
草創期(1980年代)
1970年代より、日本国内に女子サッカーチームが徐々に増えてくると、それらのチームが国際大会に参戦する事例も現れてきた。
女子サッカーの日本代表チームが最初に設立されたのは、1981年のAFC女子選手権(現:女子アジアカップ)とされている。このとき日本代表は、台湾とタイに敗れ、1次リーグで姿を消している。
世界への挑戦の始まり(1990年代)
世界的に女子サッカーが盛り上がりを見せてきたことを受け、1991年にFIFA女子ワールドカップが創設される。日本代表はアジア予選で準優勝し出場権を獲得。本大会は1次リーグ敗退。
1995年のFIFA女子ワールドカップにも出場。1996年のアトランタオリンピックから、オリンピックに女子サッカーの種目が追加されることが決まったため、この大会がオリンピック予選として使われることとなった(この扱いは2000年シドニーオリンピックまで)。この重要な大会で日本はベスト8入りし、オリンピック出場権を獲得した。オリンピックでは1次リーグ敗退。
1999年のFIFA女子ワールドカップにも出場。しかしこちらではベスト8入りを果たせず、オリンピックへの出場権も同時に失われた。
低迷と復活(2000年代前半)
2000年シドニーオリンピックへの出場権を獲得出来なかったことは、日本の女子サッカーへのダメージも大きく、当時の不景気もあって、日本女子サッカーリーグから多数撤退チームが出るなどの影響が出た。しかし2003年のFIFA女子ワールドカップ出場権獲得を機に、女子サッカーへの注目が上がり始める。2004年にはアテネオリンピックのアジア予選で強敵・北朝鮮を破って出場権を獲得。女子ワールドカップは1次リーグ敗退、オリンピックはベスト8。
アテネオリンピック本大会前に「なでしこジャパン」という名前が制定され、現在に至っている。
世界上位への進出(2000年代後半)
2007年のFIFA女子ワールドカップは1次リーグ敗退。
2008年の北京オリンピックでは、1次リーグ(4チームでの総当たり戦で行われた)初戦でニュージーランドに引き分け。第2戦でアメリカに敗れ後がなくなったが、第3戦のノルウェー戦で5-1と圧勝して決勝トーナメントに進出した。すると、続く決勝トーナメント1回戦(準々決勝)では地元・中国を破りベスト4入りを果たす。メダルへの期待もかかったものの、準決勝でアメリカに、3位決定戦でドイツに敗れて4位となり、メダル獲得はならなかった。そしてそのことは、なでしこジャパンにより強く、世界大会でのメダル獲得を意識させることになった。
FIFA女子ワールドカップ2011(ドイツ)での優勝
なでしこジャパンは、2011年にドイツで開かれた「FIFA女子ワールドカップ2011」にも出場。グループBの初戦でニュージーランドに苦しみながらも2-1で勝利すると、第2戦のメキシコ戦では澤穂希選手(愛称:キング澤)のハットトリックを含む4-0で圧勝。しかし第3戦ではイングランドに抑え込まれ0-2と敗戦。グループBを2位通過となり、準々決勝はグループAを1位通過した開催国・ドイツと対戦することとなった。
7月10日の準々決勝・ドイツ戦では、90分でも両者得点が生まれず延長戦に突入。この延長後半で日本の丸山桂里奈選手がゴールを決め、1-0で勝利した。地元開催でしかも三連覇を狙うドイツを破ったのみならず、女子サッカーのフル代表の公式戦として初めて日本がドイツに勝利したこと、またワールドカップ本戦で15試合無敗(1999年大会でアメリカ合衆国に敗れた以来)であったドイツに土をつけたという大金星であった。この時、FIFAの公式サイトにて「日本とフランスは歴史をつくった」と評された(どちらも初めてのベスト4入りであった。なおフランスは同日の準々決勝でイングランドに勝利している)。
続く準決勝スウェーデン戦において、前半10分に1点を入れられるも初先発の川澄奈穂美選手の2ゴール含め3-1で勝利した。これにより、なでしこJAPANは国際大会で初のメダル確定と決勝戦進出をした。(この試合は地上波で生中継が行われている。)
その後、決勝戦(日本対アメリカ合衆国)。前半戦は両チーム無得点で終了。後半戦は両チームが1点を入れた事により延長戦に突入。延長前半にアメリカが1点をいれるも後半戦に日本が同点に追いつきPK戦となる。アメリカ側がPK4本中3本を外し、日本が2本決めた状況でのPK4人目、熊谷紗希が蹴ったボールが成功した事により、日本女子代表の優勝が決定した。これはサッカー日本代表(男女・年代別問わず)における、FIFA主催のサッカー世界大会として初の世界制覇となった(準優勝は3度経験あり)。澤穂希選手がMVPと得点王を受賞した。
世界王者以降の戦い
ワールドカップ優勝に際し、団体としては初となる国民栄誉賞の受賞があったり、流行語大賞に選ばれたりとその知名度を一気に押し上げたなでしこジャパン。翌2012年初頭にはFIFA女子年間最優秀選手(バロンドール)に澤穂希選手が、FIFA女子年間最優秀監督に佐々木則夫監督が共にアジア人としては初めて選出されるなど、世界からの評価も受けている。
そんな中迎えた2012年のロンドンオリンピックは、前回の北京オリンピックでメダルまであと一歩の4位であったこと、何よりワールドカップを優勝したことからメダル待望論が高まる。グループリーグを1勝2分で通過したなでしこジャパンは、準々決勝でブラジルを、準決勝でフランスを破って女子サッカー初のメダル獲得を決める。迎えた決勝でアメリカに敗れたものの、男女通じてオリンピックのサッカー競技では44年ぶりとなるメダル獲得(銀メダル)となった。
女子サッカーではワールドカップ、オリンピックに次ぐ位置づけとされているアルガルベ・カップにも2011年から毎年参加。2012年と2014年の2度にわたって準優勝に輝いている。
ワールドカップ優勝時に比べてブームは落ち着きつつあるが、アルガルベ・カップや女子アジアカップといった大会、さらには年代別カテゴリの大会(いわゆるヤングなでしこやリトルなでしこなど)でも地上波中継が行われるようになり、日本の女子サッカーを取り巻く環境は厳しい情勢が残るものの変化の兆しは確実に現れているといえる。
ワールドカップ予選(≒アジア)での苦戦
2008年北京五輪で4位、2011年女子ワールドカップで優勝、FIFAランキングアジア最高位など力をつけているなでしこジャパンだが、予選(女子アジアカップ)では苦戦が続いており、1999・2003・2007・2011年大会といずれも予選敗退ギリギリまで追い詰められている。
- 1999・2011年大会の予選(アジアの出場枠3)では準決勝でそれぞれ北朝鮮・オーストラリアに惜敗し、3位決定戦に勝利して出場権を得ている。
- 2003・2007年大会の予選(アジアの出場枠3.5)では3位決定戦でそれぞれ韓国・北朝鮮に敗れ4位となり、北中米カリブ海地区とのプレーオフに回ることとなっている。このプレーオフの相手は2回ともメキシコであり、2回とも勝利して出場権を得ている。
このように、アジア地区でのタイトルもなかなか獲得できていなかったが、最近では東アジア選手権では2008・2010年に、アジア競技大会では2010年に優勝を果たしている。そして2014年には女子アジアカップでも初優勝を果たした。
世界大会の成績
FIFA女子ワールドカップ | オリンピック | ||
開催年 | 成績 | 開催年 | 成績 |
1991年 | グループリーグ敗退 | - | - |
1995年 | ベスト8 | 1996年 | グループリーグ敗退 |
1999年 | グループリーグ敗退 | 2000年 | 予選敗退 |
2003年 | グループリーグ敗退 | 2004年 | ベスト8 |
2007年 | グループリーグ敗退 | 2008年 | 4位 |
2011年 | 優勝 | 2012年 | 銀メダル |
2015年 | 準優勝 | 2016年 | 予選敗退 |
2019年 | ベスト16 | 2021年 | ベスト8 |
2023年 | ベスト16 | 2024年 |
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関連項目
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